3月末に投稿募集を行い、たくさんの寄稿をいただいた『音のみぞ』第2号ですが、編集・制作作業がたいへん遅れております。
ご協力いただいた方々、読者の方々にはご迷惑をおかけして申し訳ございません。
現在、10月の発行を目標に作業を進めております。
もうしばしお待ちいただけるよう、よろしくお願いいたします。
「音楽」カテゴリーアーカイブ
『音のみぞ』第2号投稿募集「新譜としての旧譜」
『音のみぞ』第2号の制作準備を進めています。
最初隔月とか言ってたやつは誰なんだという感じで季刊すら通過して、いまや立派な不定期刊を目指しています。
いや、目指してはいないのですが、そうなってしまっています、すみません。
さて、第2号ではこんな特集を考えています。
特集: 「一気聴き」の至福もしくは後追いの天国と地獄(仮)
Project Archetype, 太陽系亞種音, Haldyn Dome ―― 新人リスナーはこう聴いた
わたしは常々思っていたのです。
あとから来た者は幸いであると。
だって「一気聴き」ができるじゃないですか。
だってこれまでの「旧譜」をすべて「新譜」として聴けるんですよ。
『太陽系亞種音』と『Haldyn Dome』で100時間連続P-MODEL&平沢ですよ。
ポリドール作品のリマスタ企画「Project Archetype」の仕事をしていた時も、新規リスナーが「新譜」として、どう聴いてくれるだろうか、ということが常に頭にありました。
こうした「初聴き一気聴き」の醍醐味というのは、リアルタイムのリスナーには味わえない楽しみです。
わたしにも覚えがあります。
ザ・ビートルズにしろキング・クリムゾンにしろすでに解散したバンドだったし、ボウイにしろZEPにしろすでにたくさんの作品を発表したあとだったので、歴史を遡る楽しみがありました。
もちろん昔の作品を現役で聴きたかったと思ったし、昔のライヴを観たかったとも思いましたが、後追いには後追いの楽しみがあります。
当時はBOXセットなんてなかったし、中学生や高校生にアルバム10枚いっぺんに買うような財力はありませんでしたが、次はどのアルバムを買おうかなとディスコグラフィを見るのも楽しいものでした。
マンガなんかも連載時に読むのと完結したあとで単行本で一気に読むのとでは、別の作品と言ってもよいほど印象が違ったりします。
ああ、わたしもP-MODEL全作品一気に初聴きなんて贅沢をしてみたかった。
リマスタリングされたソロ初期の5作品を新作として一気に聴いたり、タイムマシンよろしく『error』で30代の映像と初めて出会ってみたかった。
というわけで、次号に向けて投稿を募ります。
文章の長さは問いません。
文章だけではなくイラストでもけっこうです。
こちらのフォームからお待ちしています。
fascination.co.jp/modules/ccenter/?form=3
なんだ新規リスナーにばかり迎合しやがってというあなた。
リスナー歴は問いませんので、次回インタラクティヴ・ライヴ完全予想でもなんでも自由なテーマでの投稿をお送りください。
掲載作品には謝礼として掲載誌とプリペイド・カードをお送りします。
創刊第2号は5月下旬〜6月上旬の発行予定です。
あ、制作用PCを新調しなきゃだわ。
献本できてよかった
秋元一秀はP-MODEL凍結前のステージ袖で見かけたのが最初だったと思う。
スタッフというか準メンバーのように見えた。
1989年以降は平沢ソロのバンド・メンバーとして認知したが、1990年の世界タービン・ツアー(個人的には12月2日の新宿シアター・アプル夜の部)を最後にバンドを離れた。
それから9年。
P-MODELデビュー20周年/平沢進ソロ・デビュー10周年記念書籍『音楽産業廃棄物』の準備中、版元の編集者に「そういえば、秋元一秀ってなにやってんですかね」と言ったら、怪訝な顔で「なに言ってんですか。秋元きつねでしょ。いまや大先生ですよ」と返された。
なぜか『音楽産業廃棄物』はソフトバンク・パブリッシング(当時)のゲーム書籍の部署で作られていたので、その編集者は秋元きつねとも知り合いであった。
わたしはまったくゲームをやらないので『せがれいじり』の大ヒットも知らなかった。
それからさらに15年。
平沢進ソロ・デビュー25周年記念 Project Archetype の一環としてライヴ・ヴィデオ『error』とライヴCD『error CD』をカップリングで再発するにあたり『サウンド&レコーディング・マガジン』の國崎さんに「機材解説」を依頼していたのだが、情報が足りないとのこと。では、システム周りの担当だった秋元さんに話をきこうということになったが、わたしも國崎さんも交流がない。懇意にしているMecanoの中野店長に渡りをつけてもらい、メイルで取材させていただいた。
秋元さんは國崎さんの細かな質問にもひとつひとつ叮嚀に答えてくれた。訊くほうも訊くほうだが、答えるほうも答えるほうだというくらい、双方ともよく当時のことを覚えている。取材というより、お互いに当時にことを確認し合ってるかのようだった。
秋元さんにはわたしが勝手に思い描いていた人物像をいい意味で裏切られた。
できあがったら見本盤をお送りする約束をして、電子書籍となった『音楽産業廃棄物』と『来なかった近未来』を献本した。
Amiga使いの秋元さんには『来なかった近未来』をぜひ読んでほしかったのだ。
平沢さんのユーモアについて、律儀なコメントをいただいたのは、9月8日のこと。
それからたった1か月と3週間。
一昨日、見本があがってきた。
一瞬どうしたものかと躊躇したものの、やはり約束通りメーカから送ってもらうことにした。
合掌。
訃報
代理にて投稿させていただきます。
去る2014年10月20日未明、秋元きつねが病気の悪化により自宅にて永眠いたしました。(享年46歳): t.co/vxL8hPuN2c— 秋元きつね (@_kitune) October 28, 2014
平沢進ソロ・デビュー25周年 Project Archetype 第1弾リリース その2
もう書くことないと言いつつ、質問があったりしたので、選曲についてなど。
2枚組『Archetype | 1989-1995 Polydor years of Hirasawa』のDiscそれぞれの性格だが、プロジェクト始動当初はベストとアルバム未収録(レア音源)集という考えであった。しかし、それではDisc1はシングルになっているような代表曲ばかりになってしまうし、絞るのも大変過ぎる、入りきらない。逆にDisc2の収録曲は少ない。というわけで、出したアイディアがDisc2はシングル+アルバム未収録(レア音源)集というもの。これならば、シングル曲はDisc1からはじけるので選曲に余裕が出て苦しくない。
「ハルディン・ホテル」がDisc1にオリジナルが、Disc2にシングルの「Fractal Terrain Track」ヴァージョンが入っているのは、Disc1とDisc2が別テーマのCDであり、ベスト盤もしくは入門盤という性格であるDisc1に「ハルディン・ホテル」のオリジナル・ヴァージョンは欠かせないとの考えから。もちろん、アルバムとシングルとでヴァージョンが同じならDisc2のみに収録していたとは思う。
じゃあ、逆になぜ「バンディリア旅行団」がシングルの「Physical Navigation Version」ヴァージョンしか収録しなかったかというと、ライナーノーツに竹内さんが書いている通り、録音順からいって、実質的にシングル・ヴァージョンのほうがオリジナルであるから。『ヴァーチュアル・ラビット』収録曲は、シングル・ヴァージョンをアルバムに馴染みやすく「大人しく」したヴァージョンだとも言える。シングルのアレンジのままだときっと浮いちゃうんだよね。で、この曲に関してはシングル・ヴァージョンを収録すれば充分かという判断。
ここらへんは竹内さんと高橋とで意見をぶつけて決めております。
ところで、実は「バンディリア旅行団」には、もう1ヴァージョン存在しており、マスターテープを聴いて「なんだこれ」ということになった。頭にクリック音が入っており、商品とは思えない。あとで調べたところ、クリック・ヴァージョンは『デトネイター・オーガン』の製作発表記者会見(1991年3月1日)等で配布されたラフ・ミックスであることが判明した。みんな忘れてるのだ(笑)。
『サイエンスの幽霊』は、シングル収録の「世界タービン」「フィッシュ・ソング」はDisc2に入れることにしたので、Disc1に入れる曲は迷ったのだが、アルバムの性格がよく出ている「テクノの娘」を選んだ。2枚組でなければ「世界タービン」「ロケット」「フィッシュ・ソング」あたりの選曲で、もしかすると「テクノの娘」「夢みる機械」は選外だったかもしれない。
『AURORA』は、高橋案としては「LOVE SONG」「オーロラ」「舵をとれ」の3曲。選曲の基準は、個人的なベストにしてしまうとえらいことになるので、あくまで「入門書」として機能するような、いわゆるキャッチーな曲、アッパーな曲を中心にしようと思ったからだが、竹内さんより全体のバランスや流れを考慮し、また『AURORA』の性格がわかる曲ということで「広場で」が推された。もちろん、異論はない。「舵をとれ」はベルセルク以降のファンを意識しての選曲でもあったが、わたしも次点としては「風の分身」あたりのメロディや歌唱の美しい曲を考えていた。國崎さんも「広場で」は大好きなナンバーに挙げており、正解だったようだ。
意外と困ったのは『Sim City』の選曲で、当初はマストが5曲、次点が3曲あった。自分ではリリース当初の印象から『Sim City』は苦手なアルバムと思っていたのだが、意外にも好きな作品が多かったらしい。先日の國崎さんとのトーク・ライヴでも力説したが『Sim City』は物議を醸した作品で、拒否反応を示したり、離れていったリスナーも少なくなく、ここでソロ時代最初のの「リスナー入れ替え」が起こったのである。
最終的には、タイトル曲「Sim City」を外すという荒業で『Sim City』からは4曲に絞った。「Sim City」はオリジナル・アルバムやライヴのなかでこそ機能する曲で、単品としては扱いづらいという位置づけである。竹内さんも『Sim City』からの曲は、曲順で最後まで迷っていた。「Lotus」で終わるか「環太平洋擬装網」で終わるかであるが、結局は後者で落ち着いた。
今回のプロジェクトで、平沢さんから示された指針のようなものとしては、既発表曲の扱いは任せるけれども、デモや別ヴァージョンなどの未発表曲は基本的に扱わないというものがあった。お蔵出しではないということだ。ましてや当時はソフトウェア化しなかったTV番組などのソースもなし。個人的にはせめてカセット・ブックの『魂のふる里』は、既発表だし、なんとかCD化したかったのだけど。
レア・ヴァージョンとしては前述した「バンディリア旅行団」のクリック・ヴァージョンのほかにもいろいろあったわけだが、収録は断念。その一部を平沢さんの許可を得て、Gazioのトーク・ライヴで公開させてもらった。
ヴァージョン違いといえば『Archetype』収録の「フローズン・ビーチ」は微妙にヴァージョンが違う。オリジナル・アルバムでは、イントロとアウトロに波や流氷がぶつかる音(らしい)のSEが入っているが、今回はつなぎの関係上、アウトロのSEは入っていない。イントロも含めて完全にSEなしのヴァージョンという案もあったが、迫力に欠けるので見送り。
「フローズン・ビーチ」で思い出したことがひとつ。80年代後半、P-MODELのライヴで「フローズン・ビーチ」のアレンジがのちのソロ・ヴァージョンに近いものに変わって、間奏にキイボードで「炎のランナー」っぽいフレイズが入るようになった時、実はちょっとヤダった。しかし今回、國崎さんのライナーノーツでソロ・デビューにあたっては「歌えるヴァンゲリス」というコンセプトがあったことを知り、そういえば平沢さん、ヴァンゲリス好きだって言ってたなぁ、あれは狙いだったのかとようやく理解した。
平沢進ソロ・デビュー25周年 Project Archetype 第1弾リリース
平沢進のソロ・デビュー25周年を記念したポリドール(現ユニバーサル ミュージック)時代のリイシュー企画「Project Archetype」の第1弾が9月24日にリリース。リマスタリングされたオリジナル・アルバム3作『時空の水』『サイエンスの幽霊』『ヴァーチュアル・ラビット』に加えて、2枚組のコンピレイション『Archetype | 1989-1995 Polydor years of Hirasawa』も同時リリースとなった。詳細はこちら。
moderoom.fascination.co.jp/modules/info/index.php?page=article&storyid=179
blogs.yahoo.co.jp/adoopt_s/64973735.html
当時の担当ディレクターで、現在はフリーランスの音楽プロデューサーとして活躍する竹内修とともに、わたしも一応「監修」として参加しており、プロジェクトの詳細は竹内さんのブログに記されている。
wilsonicjournal.blogspot.jp/2014/09/wilsonic-works-41.html
リイシュー全体の方向性にアイディアや意見を出したり、編集盤の内容を考えたり、紙モノの編集者的作業といったあたりが主な仕事で、ライナーノーツもいくつか書かせていただいた。ライナーノーツは、シリーズ全体の「サウンド解説」をサウンド&レコーディング・マガジンの國崎晋が担当し、作品の背景や作品への個人的な思いなどを作品ごとに違うライターに書き分けてもらった。1stと4thはわたし、2ndはプロデューサーの神尾(有島)明朗、3rdはMecanoの中野泰博、5thはカメラマンの生井秀樹、となっている。
わたしのライナーノーツはいろいろと試行錯誤したものの結局は「いつもの感じ」になってしまったが、國崎さんの「サウンド解説」が補って余りある内容なのでご安心いただきたい。また、ほかの方々も方向性がそれぞれ異なる文章になっていて、よいバランスになったのではないかと思う。わたしの仕事は、ライターとしてはともかく、編集者としてはよいものになったのではないかと、その点は自画自賛している。
シリーズ全体のリマスタリングは鎮西正憲・監修。リマスタリングによる音質の変化がいちばんわかりやすいのは『ヴァーチュアル・ラビット』あたりだろうか。生の弦楽器を使用した「バンディリア旅行団」は、マスタリング・スタジオで聴いたマスター音源の感動がそのまま収録されたような感動がある。國崎さんはリマスタリングによって1番好きな『AURORA』がもっと好きになり、発表当時は動揺した『Sim City』が好きになったとのこと。編集盤『Archetype』で全リイシューを「味見」するのもよいだろう。その仕上がりについては下記レヴューを参照されたい。
kissa-p.at.webry.info/201409/article_1.html
コンピレイション『Archetype | 1989-1995 Polydor years of Hirasawa』は、2枚組のうちの1枚はいわゆるベスト・アルバムで、もう1枚はシングル曲とオリジナル・アルバム未収録曲の詰め合わせとなっている。アルバムの構成は、竹内さんと高橋とで行った。基本的な選曲を高橋が行い、竹内さんが曲順を考え、バランスを考慮して選曲を補完してくれた。概ねこんなもので納得していただけるのではないかとは思う一方、個人個人で「必須アイテム」は異なるだろうし、なぜこれが入っていてあれが入っていないのか、という声も聞こえてきそうな気もする。ベスト・アルバムは「 A Young Person’s Guide to Early Hirasawa Works」という側面もあるので、選曲では敢えて「ダーク・サイド・オブ・ヒラサワ」はといった趣の作品は外しているが、この本作を入り口にして平沢進を聴き始めたリスナーは、ぜひオリジナル・アルバムで奥深い平沢ワールドに迷い込んでいって欲しい。
というのは『Archetype』のブックレットからの引用・要約だが、ライナーノーツでは高橋が平沢ソロ史を概説したうえで、竹内さんが全曲解説を行っている。これが滅法面白い。レコーディング裏話あり、膝を打つ作品解説あり。担当ディレクターでなくては書けない内容である。
このブックレットやシリーズ全体のアート・ディレクションは中井敏文(ノングラフ/シールズフロア/モノグラム)が行っており、これがまた素晴らしい。『Archetype』ジャケットやブックレットの使用写真はすべて生井さんの撮影で、これまでアーティスト写真やジャケット写真で使用されものやそのアウトテイク、ライヴ写真などだが、カラーや未加工な状態ではほとんど出回っていない写真も多い。中井さんが得意とするロゴタイプを大胆にあしらったジャケットはカッコよく、twitterなどの反応を見るにこれも大好評なようで、編集担当としては安堵している。デザインや写真のセレクトにアドヴァイスをくれた内輪のスタッフもありがとう。
各作品についてはこれまでにいろんな局面で書いてきたし、ライナーノーツでも書き尽くしたので、もう特に書くことはないのだが、プロジェクト名についてちょっとだけ書いておく。Project Archetype はもちろん「Archetype Engine」からの拝借した単語だが、ポリドール時代はユング心理学でいうところの元型イメージを扱った作品が多いことも理由となっている。またポリドール時代には平沢作品のパターンのようなものが出揃い、作品の原型のようなものができあがった時期でもある。元型も原型も英語では Archetype になるので、プロジェクト名としてはよいのではないかと考えた次第。ライナーノーツやオビの煽り文句などでは「元型ポップ」という造語を敢えて多用してみた。
担当する作業はほぼ終了したので、なんだかプロジェクト全体が終了したような気がするけれども、11月5日には第2弾リリースとして、残りのオリジナル・アルバム2枚、ライヴ作品『error CD+DVD(仮)』およびインストゥルメンタル集『Symphonic Code(仮)』(詳細は週明けあたり発表予定)が控えている。まだまだこれからである。
そういえばきょう、別件でちょっと調べものをしていて、たまたまポリドール時代の作品リリース当時に自分が書いた原稿を四半世紀前ぶりに目にする機会があったのだが、意外といいこと言っていた(笑)。「初期3部作」という言葉は『ピコ』2号(93年)のP-MODEL特集で使った記憶はあったのだが、なんと『ヴァーチュアル・ラビット』のレヴュー(91年)ですでに「ソロ3部作完結篇」という表現をしていた。作品リリース時にそういう認識があったというのは意外。
『error CD』のレヴューではこんなことを書いていた。
「10年後には素晴らしいタイム・マシンになることだろう」
10年前どころか25年前に行けるタイム・マシンになってしまったことだよ。
ニュー・ウェイヴとはなんだったのか福間創篇および音のみぞ
昨日8月30日はGazioでのトーク・イヴェント「ニュー・ウェイヴとはなんだったのか」の第3回「福間創〜この音こそニュー・ウェイヴ〜」がで昼夜3部構成で開催された。
たまたまだが、ちょうど福間さんの新譜制作が終わったところで、開場のみ販売のバルク版「Flowers-soundtrack-(β.Bulk2014)」として先行リリースでき、プロモーションに微力ながら協力できたのが幸い。
www.soyuzproject.com/
moderoom.fascination.co.jp/modules/eguide/event.php?eid=5
moderoom.fascination.co.jp/modules/eguide/event.php?eid=4
これまでの3回とも、リアルタイムではない世代の参加者が多く、回顧イヴェントではなく、「新しい音楽」を発見するきっかけになっていただいているようなケースがtwitterなどで散見されて嬉しい。
福間さんは、ニュー・ウェイヴを「姿勢(発想)としてのニュー・ウェイヴ」と「スタイル(伝統芸)としてのニュー・ウェイヴ」と2系統に分けて解説。前者の代表例がセックス・ピストルズ〜PiLのジョン・ライドン、後者の代表例がクラッシュ(のフォロワ)であるとして参加者をうまく引っ張ってくれた。ニュー・ウェイヴ系のミュージシャンの特徴としてサウンドの変化が激しいことを挙げ、その例として、ジョン・ライドン、大江慎也を紹介したのが、これが非常にわかりやすく、ウケにウケた。また、技術ではないアイディア先行、いわゆるヘタウマの例としてのニュー・オーダーへの愛あるツッコミにも場内爆笑。資本に頼らずアイディア先行で変化・更新し続ける「姿勢としてのニュー・ウェイヴ」で最も尊敬するミュージシャンは平沢進であるとして、ナイスな落としどころへもってきた。
そこでふと思ったのだが、ニュー・ウェイヴにはもう1系統「(時代的に)普遍性のあるニュー・ウェイヴ」というカテゴリもあるのではないか。というのも、このところエレ・ポップとかネオ・アコとか、当時は苦手だったジャンルを敢えて聴いてみるようにしているのだが、意外とよいものがあるのだ。リアルタイムには敬遠してぜんぜん聴き込んでいないので、懐メロではまったくないのだが、新譜として聴いて新鮮というか楽しいものがある。「エヴァー・グリーンなニュー・ウェイヴ」というとこっ恥ずかしいし、わたしもよく「時代の徒花こそニュー・ウェイヴ」とか言ったりするけれども、時代を越えてよいものはよい。
というわけでこの夏はヤング・マーブル・ジャイアンツの『Colossal Youth』とカップリングのおまけCDばかり聴いていた。ちなみにこのアルバム、リリース時には『ロッキンf』で平沢進がレヴューしている。
さて、遅れに遅れている『音のみぞ』創刊号ですが申し訳ございません。ようやく巻頭特集用の原稿を書き終わりました。特集はほかの執筆者にも依頼中です。また、表紙デザイナーも決まってそちらも依頼中です。なんとか9月中、遅くとも平沢さんのライヴまでには出したい所存。予約された方、もうしばしお待ちください。
次回のトーク・イヴェント「ニュー・ウェイヴとはなんだったのか 番外篇 平沢進ソロ・デビュー25周年特集」は夜の部のみ2席空き(8/31時点)があります。
moderoom.fascination.co.jp/modules/eguide/event.php?eid=7
*9/2時点では完売、キャンセル待ちとなってます
GO GAZIO!!
初期P-MODELの歌詞やアート・ワークを手がけた平沢裕一が、つくばにカフェ・バー「GAZIO」を開店。プレ・オープニング・イヴェント「GAZIO CYCLE-Z」が4月26〜30日に開催。
gazio-tx.com/
305-0031
茨城県つくば市吾妻3-16-7
029-896-8201
というわけで行って来ました。
オープン前にスマートフォンで写真を撮っていると、どこからか「盗撮禁止」という聞き覚えのある声が。
TVモニタにビッグ・ブラザーならぬ平沢進の顔が。どうやらこの店は監視下にあるらしい。
あとは写真とキャプションで。
Theピーズ 25周年 at 日比谷野外音楽堂 メモ
2012年6月23日 Theピーズ at 日比谷野外大音楽堂
あろうことか入場券を忘れて大手町から引き返す。不吉にも雨具なんか用意してるからだ。
大急ぎでとって返して地下を走る。日比谷のA14出口へ向かって全力疾走したのは10数年ぶりだろうか。
にしても、いくら土曜だからって17:30開演って早過ぎないか。
地上へ出ると もう音が聞こえてる。知らない曲だ。新曲だろう。会場へ入ると「ドロ舟」が始まった。なん曲目だろうか。
あとで調べたところ「三度目のキネマ」「幸せなボクら」と新曲で始まって「ドロ舟」は3曲目だったらしい。
新曲で挨拶とはピーズらしい。
ピーズはライヴで新曲を練り上げていくことが多い。
にしてもすごい客入り。立見券が追加発売されたらしいが掛け値無しの大入り満員。
“雨バンド”Theピーズなのに、しかも梅雨なのに、奇跡的に晴れ。
はるもいつになく上機嫌。
M5「とどめをハデにくれ」の「最低だ」がいちぶ「最高だ」になってた。
涼しい梅雨の谷間の夕暮れ。
この日は、演奏だけでなく、野音という場の「ゆるい秩序」みたいなものが醸す空気が非常によろしかった。
踊るひと、フリマネするひと、座るひと、飲むひと、おしくらまんじゅうするひと。みなそれぞれ好きに観る。老若男女の均衡がいいせいもあるのか、たいへんなごやか。
座れだの立てだの文句を言うやつなんてもちろんいない。
ぎりぎりの線の酔っぱらいもいたけど、ぎりぎりの線で踏みとどまって場を壊さない。
先行予約のわりにずいぶんうしろだったが、ちょうど通路側の席で気兼ねがなく、若者ばっかり、女子ばっかりのライヴと違って居心地がよい。
遅れてきたことなんて途中からどーでもよくなっていた。
25年のキャリアがあるといっても、いまやネット通販が頼みのインディ・バンドである。
それなのにまさかの野音満員。
しばらく入手難だったビクター時代の音源もようやく再発される。
それでもやっぱり、はるのアンコールでのMC「10年やって5年休んで10年」「シンイチロウもアビさんもピーズだけで喰ってるわけじゃないから忙しいけど」「もう25年もやったんだから、いまさらやめるもなにもないでしょ。この3人がいる限り続けますよ」(言葉遣いは正確じゃありません)というのはちょっと驚いた。
この3人になってからは活動が滞ることがなくなったとはいえ、やっぱりTheピーズは(というか、はるは)いつ解散しても不思議じゃないような不安定さがあるからだ。
と、ここまで当日の自分のtweetをまとめながら書いてみたけど、曲目を調べるのに検索かけたら、似たようなことを書いているひとが幾人もいて、がっくり(笑)。
ま、いい。そういうもんだ。
「ニューマシン」ってピーズ版の「チキ・チキ・バン・バン」なんだよなあ、とか。
「デブ・ジャージ」って「ディスチャージ」にひっかてるんだろうな、とか。
「シニタイヤツハシネ」って、CDになるまで曲も詞もけっこう変わったよな、とか。
ああ、マスタニさんはどうしているだろうか、とか。
ビクターの青山スタジオに日本酒を差し入れたら飲み始めてしまったなあ、とか。
いろんなことが駆けめぐる25年走馬燈のライヴではあった。
ところでなんで「パープー」やらなかったんだろ。
PHONON2555のあとさき
6月7日・8日・9日の3日間、五反田・ゆうぽうとホールで行われたPHONON2555。
個人的にはPHONON2550以来5年ぶりに客席で観られた平沢進のライヴとして感慨深かった。
しかし、舞台のうしろや袖から見る(というかあまり見られないけど)のに慣れてしまうと、客席にいるのは意外と落ち着かないもので、このライヴでは「仕事」がないというのに、なんだかそわそわしていた。
ただ、本番中には仕事がなかったけれど、実は本番前にはちょっとだけ仕事をした。
選曲用の平沢楽曲データベースの制作というもので、ライヴ後に平沢進本人もtweetしていたアレである。具体的な内容を書くと平沢tweetがつまらなくなってしまうし、業務上知り得た事実を勝手に公開するわけにもいかないので、基本仕様がどういうものかということだけ記しておく。
つまり「あなたも作れる平沢楽曲データベース」だ(笑)。
データベースは「全楽曲データ」「(ほぼ)全演奏記録」「全歌詞」の3種類から成る。前2者のデータソースはこのサイトで公開しているものである。「歌詞」には著作権があるので当然このサイトで公開してはいないが、各自で写経すればよろしい。
それらのテキスト・データを表計算ソフトに落とし込んで加工し、さらにデータベース・ソフトに落とし込む。フリーソフトウェアであるOpenOffice(LibreOffice)あたりを使えばよろしい。それらデータベースのテーブルを「曲名」でリンクするフォームを作成すれば完成である。
このデータベースでどういうことができるかというと、たとえば「ハルディン・ホテル」をクリックすれば、楽曲に関するデータ(収録アルバムやメーカ、発売日、その他もろもろ)や歌詞、過去の演奏履歴がたちどころに表示される。あー、便利。
「デューン」をクリックすれば94年を最後に演奏されてないなあ、なんてこともたちどころにわかる。演奏時のヴァージョンなんかもわかる。
このデータベースをライヴの演奏曲目決定に利用すると、使い方によっては非常にバランスがとれた結果になり、使い方によっては演者酸欠という墓穴を掘る結果にもなるわけである。PHONON2555でアノ曲やアノ曲が演奏されたのは、このデータベースのせいかもしんない。
このデータベースを作ってみて、自分でも面白がって遊んでいたわけであるが、こういうのスマートフォン用アプリケイションにすると売れたりしないですかね。歌詞の使用料とかでいったいどのくらいになるかわからんけど。
あなた、いくらなら買いますか?
発掘原稿: Limbo-54 への道 (16)
2003年11月ころ、FAMIGA投稿用に書いたインタラクティヴ・ライヴ「Limbo-54」とAMIGAの仕込みに関する発掘原稿です。
2002年3月に始まった仕込みのことから書きはじめ、ようやく2003年4月・5月のライヴ本番の話まで書き終わりました。
発掘原稿はこれで最後です。
Interactive Live 2003 への道 — その16 そうは問屋が卸さなかった篇
●アクシデントその2
5月4日・東京公演初日、PowerTowerA4000が激不調となりました。
アニメーションが同じ箇所をいったりきたりするなどの怪現象が起き、特にオープニングとエンディングという重要な箇所のの演出にかなりひびきました。
初めて見る人は「こういう演出なのかな」と思っていたようですが、大阪公演を見た人にはしっかり気づかれました。
なんとかこの日のコンサートは乗り切ったのですが、明日の最終日にはこのような事態を回避しなくてはなりません。
シリアスなはずの場面で笑いをとっちゃいかんのです。
そのため5月5日はリハーサル前にAmigaのチェックです。
原因のひとつはグラフィック・カードのグラつきだろうということで工作活動が得意なサウンド・エンジニアの鎮z氏に手伝っていただき、しっかりカードを固定しました。
また、いざという時のためにHighFlyerA4000もスタンバイさせ、昨日までのデータをコピーしたりせねばなりません。
スウィッチ・オン!! ……起動しません。
またかよ。
しかし、こいつをメンテナンスしている時間はなさそうです。
HighFlyerは諦めて本番に臨むことにいました。
幸いグラフィック・カードののメンテナンスが功を奏したのか本番ではPowerTowerA4000が問題なく稼働。
コンサートは大団円を迎えることができました。
●その後のA1200HD/30
ライヴも無事終了し、ステージで使用されたAmigaはメンテナンスのためいったんわたしの事務所へと運ばれてきました。
死亡かと思われていたA1200HD/030は、問題なく起動しました。
仮死だったようです。
ただ、よく見るとちゃんとケース(筐体)はしまっていないわ、FDDは固定ネジが外れてヘンな位置にずれているためディスクの出し入れできないわ、といった状態なので、分解してチェックすることに。
ケースは汚れもひどいのでまずは水洗い(笑)。ネジ穴が壊れている箇所はエポキシで補修。足りないネジ類を補完し、組み立て直しました。
●その後のPowerTowerA4000
こちらも分解、チェック、再組み立てしました。
移動中の衝撃か、ライヴ中の振動か、ネジがいくつも外れていました。
また、ライヴ最終日に会場でメンテナンスした際、CPUとグラフィックカードのクーリング・ファンに電源ケーブルをつなぐのを忘れていたことも発覚。
本番中に熱暴走しなくてよかったです。
ニッカド電池は念のためニッケル水素電池に交換しておきました。
ついでにサウンドカードも挿してみましたが、どうにも音が鳴りません。
動作確認リストと照合し、チップの型番までチェックして買ったカードなので適合するはずですし、Prefsではカード自体は認識しているようなのですが、いかんせん鳴りません。謎です。
しかし、これは平沢さんのメイン・マシンなので早急に筑波のスタジオへ返す必要があます。
サウンド・カードについてはペンディングのまま、PowerTowerA4000は5月20日、筑波へと戻っていきました。
●その後のA4000/040(D)
しばらくほうっておいたのですが、7月にオークションでドイツからよさげなマザーボードを安価でゲット。
昨年の失敗は繰り返すことなく、非常にクリーンなよいマザーボードで、バッテリもニッケル水素に交換してありました。
売り主はメイルのやりとりから根っからのアミーガンであることがうかがえましたが、根はいかにも「律儀なドイツ人」といった感じです。
WarpEngineを装着した場合に起動まで異様に時間がかかる理由も判明しました。
ハードディスクをつないでいないのにWarpEngineのSCSIをAutoBootに設定しているといつまでもSCSI器機を探してしまうようです。
WarpEngineのSCSIコントローラとA4000のマザーボード上のIDEコントローラが競合してしまうのかもしれません。
A2000のようにマザーボード上にディスクコントローラがない機種でもSCSIカードを複数挿し、AutoBootに設定していると同様の現象が起きます。
「理由も判明」といっておきながらちっとも判明はしてないのですが(笑)。
WarpEngineのAutoBootをオフにしておくと問題なのでよしとしたました。
ところで、わたしの許へやってきたマザーボードは昨年からこれで通算何枚目になるのでしょう(笑)。
どうやらマザーボード6号にあたるようですね。
このA4000にもCD-ROMや内蔵スキャンダブラ/フリッカフィクサなんぞも取り付け、システムも整備し、いっちょまえになりました。
●その後のHighFlyerA4000
このHighFlyerはどうにもこうにもたたられているようで、ライヴ後もPAR用ハードディスクが死亡するなど多くのトラブルに見舞われました。
急いでなかったとはいえメンテナンスが終了したのは8月も末になってからです。
起動したりしなかったりする原因はIDEケーブルの断線のようでした。
CD-ROMドライヴと電源の間にぎっちり挟まれていたのが悪かったのか、それとも安物を使ってしまったのが悪かったのか。
IDEケーブルの曲がり方によって起動したりしなかったりすることが判明したのです。
IDEコントローラも疑ったのですが、そうじゃなくてよかったです。
起動するしないのほかの挙動不審の原因もこれにあったのかもしれません。
ケーブルを新調することで、問題は起きなくなりました。
ずいぶん昔、PCの専門家に「ケーブルは安物を使ってはいけない」と言われたことがありますが、その通りだったようです。
素人はドライヴなどに金をかけるくせにケーブルなどはついケチりがちですからね。
その後、電源の改良も施しました。
詳しくは9番会議室「コモドールアミーガを噛め」に書きましたが、HighFlyerは無駄に2個も電源ついているので、A4000本来の電源を外しPC電源に一本化したわけです。
本来の「棒で押すスウィッチ」は取り外し、形状の似たスウィッチを削ったりパテで埋めたりしてはめこみました(笑)。
ただ、たまに電源が入らないことがあるのが困りものです。
マザーボードから電源コネクタ抜いてスウィッチをオンオフすると直ったりするのですが、これはPowerTowerでも見られた現象です。
ATX電源をATに変換しているせいかもしれません。
素人の予想としては、PowerGoodに適正な電流が流れていないのではないかと考えています。
●さらにその後のA4000/040(D)
コンポジット出力機器でTVモニタに出力するとモノクロになったり、どうもげせない部分がありました。
周辺機器のほうが悪いのかとも思いましたが、違ったようです。
このA4000に搭載されているマザーボードはドイツから買った中古品で、つまりもともとはPAL環境で使われていたもの。
ですからもちろん、日本で使うにあたっては、ジャンパJ212をNTSCにセッティングしております。
わたしはそれだけでよいと思っていたのですが、ダメだったんですね。
PAL用の28.375156MHzのクリスタル(水晶発振子)をNTSC用の28.63636MHzにつけかえなくてはいけないんですね。
幸い、A4000のクリスタルはソケットタイプで付け替えは簡単ですし、死んだNTSCマザーボードが手許に残っていたので、そのクリスタルを外して使いました。
というわけで、ヴェテラン・ユーザには常識なのでしょうが、備忘録がわりにここに記しておきます。
さて、朝起きて顔洗って歯を磨いてご飯を食べました〜という小学生の作文のようにだらだらと書き綴ってきましたが、特にこれといったオチもなく、
1年間の記録はこれにて終了。
いよいよ明日(2003年11月26日)にはDVD『INTERACTIVE LIVE SHOW 2003 LIMBO-54』がリリースされます。
通販のみの販売ですので、ご興味がある方は下記までどうぞ。
ブックレットには三吉さんの文章も掲載されたりしています。
「FAMIGA (@nifty Amiga Forum) インタラクティブ・ライブ要素技術支援プロジェクト」という実はたいへん正式名称が長いプロジェクトの成果の一端を垣間見ることができるでしょう。
長々とおつきあいいただきありがとうございました。