「平沢進/P-MODEL」カテゴリーアーカイブ

インタラクティヴ・ライヴ「ZCON」の情報的感動

ZCON

インタラクティヴ・ライヴ「ZCON」終了から1週間後の備忘録。
情報過多のライヴであったので、むしろ情報を遮断して記憶に残ったエッセンスのみ書き留めておく。
アーカイヴも観ていないので、すべては個人的な記憶世界のできごとである。

抑圧者(アヨカヨ)による被抑圧者(アンバニ)搾取の歴史と偽史の創造。
抑圧者滅亡後も残った外在的抑圧機構(ZCON)と内在的抑圧機構(ZCONITE)により被抑圧者は奴隷道徳から脱することができない。
それにより被抑圧者の人格は分裂し、このままでは残された被抑圧者(の世界)も滅んでしまう。
別のタイムラインにパラレルに存在する平沢進(改訂評議会長)と、過去のタイムラインに存在する平沢進(nGIAP)が世界救済へ向かう。

というのが前提となる物語の骨子。

しかしながら、平沢自身も認めるように、物語描写における情報整理が下手である。
ただでさえ隠喩に満ちた物語描写を好むうえに「語りすぎ」なのである。
音楽においてはあれほどに情報整理に長けているのに、映像においては「すべてを観せたがる」とは今 敏の名言。

情報の奔流によって、正直なところ、第1公演はライヴを楽しむどころではなかった。
「ZCON」では文字情報による説明からトーク映像(動画)による説明に変わったのだが、これはインタラクティヴ・ライヴ史におけるひとつのエポックである。
舞台前の紗幕に映像を投映するスタイルから舞台後方のモニタ映像に変更された「ノモノスとイミューム」もひとつのエポックだったが、インタラクティヴのスタイルは常に更新される。
ただ、しゃべり映像が長く、前半は楽曲を聴いてるより話を聴いてるようなコンサートになってしまった。
MCの長いフォーク・シンガーを笑えない。
どうせ動画に字幕を入れるくらいなら、従来通り演奏中に文字情報を流してもよかったのではないか。
あ、でも、それでは背景となるCG制作が大変!!
「ノモノスとイミューム」から実写が増えた理由もそうした点にあるのだろう。

※このあたり『音のみぞ』2号のインタラクティヴ特集(大和久勝インタヴューとジフさんの解説)はたいへんよいサブテキストになると思うのだが、残念ながら完売だ。

「ノモノスとイミューム」から「スター・システム」を採用したが、こんどの「ZCON」もでまたAstro-Ho!やΣ-12といったキャラクタが登場し、オールスター・キャストで贈る総集篇めいている。
nGIAPと改訂評議会長という(いつもの)2役の平沢に加え、シトリン(オリモマサミ)とルビイ(ナカム ラルビイ)という新キャラクタ。
さらには舞台上の天候技師(ストリングスあてぶり要員)としての会人2名登場はほんとうに必要だったでしょうか。
ただでさえ情報過多であるのだから、基本的に舞台上は平沢進ひとりでシンプルにしてもよかったのではないか。
会人には通常のライヴでもっとバンド的に演奏していただきたいのである。

すべてが過剰で押し寄せる情報の洪水。

特に第1公演はまだ情報が頭に入ってないので、中盤の「幽霊列車」からようやく楽曲と映像のカタルシス(カサンドラ・クロス!!)を得られるようになった。
第1公演は結果的に物語展開としても俗に言う「(超)バッド・エンディング」であんまりである。
「インタラクティヴ・ライヴ初演はゲネプロ」の法則はまだ活きているのか。
もちろん、全観客が全公演を観るわけではないし、どのエンディングであっても別の世界観を提示して終わるというのがインタラクティヴ・ライヴではある。
いわゆるグッド・エンディングが必ずしも目標なのではない、と平沢進も言っている。

とはいえ在宅・会場のオーディエンスが「正解」を求めて3公演を試行錯誤していくという盛り上がりは「点呼する惑星」以来だったのではないか。
「ノモノスとイミューム」からは在宅オーディエンスの物語進行への干渉度合いがぐっと低くなったけれども、その意味では「点呼する惑星」あたりの手法に回帰したと言えるかもしれない。
トゥジャリットという言葉を思い出すのに3曲分を費やすほどにはヤキが回ってはいるが、そのあたりの記憶がうっすら蘇ってくる。
1回か2回でいいかと思ったけど、3回観ることで得られるオーディエンス側の達成感というのも、やはりある。
裏方としては体験していたけれども、客席側でのこの体験は初めてだ。

在宅オーディエンス(天候技師)の作業は単純でかつてのように難問奇問を解いていくわけではなく、作業場用(進行確認用)のライヴ映像もなくなったようだが、会場で観るぶんには在宅オーディエンスの作業結果はスリリングで、歓声をもって迎えられた。
「ZCON」で「在宅オーディエンス一覧スクロール」はなくなってしまったけれども、もしあったならどんだけ長かったろう。
あれ、けっこう感動するんだよね。

一方、会場での分岐選択の難易度は高かったのではないか。
「歴史書の書き換え」は、必ずしも平沢進的世界観に合いそうな文章を選べばよいというわけでなく、ある分岐では不正解だったものが別の分岐では正解になる。
「わたしの言うことに従え」という意味ではない、と平沢進が言っているようである。
第2公演までは、世界の真実を知るオレ様が「オマエ」の呪縛を解いてやるという上から目線の物語と思われたが、第3公演で実は同一人物内のできごとだったように物語は展開する。
捏造された歴史からの解放、というのも、実は自己解放のことと解釈可能である。

ライヴのキイ・ヴィジュアルが公開された時に、なんでああいうプリミティヴなイメージなんだろと思っていたのだけど、小屋はZCON格納庫で、ふたりのキャラは「保護者」と知る。
第3公演のクライマックスでは、悪役たる「保護者」は超自我(もしくは太母や原両親)であると示唆された。
アフリカっぽいプリミティヴな仮面を被った「保護者」はぜんぜん抑圧者らしくないじゃないかと思っていたのだが、あれが内面的な人格統合の話だとするならば、おさまりはよい。
nGIAPのアニマたるシトリンとルビイの統合と「親殺し(母殺し・父殺し)」による「全き人格」の回復。
人格回復がトリガーとなり、自然と呼応する失われた音楽も復活する。

歴史の修復
人格の回復
音楽の復権

このみっつがセットになった物語であったわけだ。
この「英雄」的冒険を成し遂げたのは舞台上の平沢進なのだろうか。
あー複雑。

しかしながら、このインタラクティヴ・ライヴが特殊であったのは、音楽的感動でも映像的感動でもなく「情報的感動」であったころである。
確かに「還弦アート・ブラインド(Lonia)」「還弦LEAK」は盛り上がったし、福間創追悼の「還弦ASHURA CLOCK」がクライマックスのキイに使われたのは感動した。
確かにナカム ラルビイのサックスは鳴り響き、オリモマサミのコーラスは会場を包んだ。
けれども、音楽的感動という肉体的カタルシスではない。
少なくともわたしにとってはそうではなかった。
そこにその曲が配置されたという「情報的感動」なのだ。
過剰な情報が押し寄せることによる感動。
もちろん音楽も映像もそれ自体が情報には違いないのだが、文字情報や音声情報といった通常のコンサートではありえない量の情報を浴び、ストーリ解釈や分岐の選択といった思考を迫られることによる感動なのである。
純音楽的には邪道とも言える、音楽以外の情報を体験することにより脳内で構成される感動だ。
しかし、そんなものを構築して提供する人間はほかにいないではないか。

実を言うといろんな意味で「これが最後かもしれない」と思って3公演に足を運んだのである。
終わってみるといろんな意味で「これが最後ではないかもしれない」となった。

2022年4月3日(4月4日追記) 高橋かしこ

 

以下は自分向け資料。

 

2022/03/25
東京ガーデンシアター
INTERACTIVE LIVE SHOW 2022
ZCON(ジーコン)
ゲスト: オリモマサミ、ナカムラ ルビイ、会人SSHO, 会人TAZZ
●演奏曲目
01: COLD SONG
02: TRAVELATOR
03: LANDING
HOT POINT
04: 消えるTOPIA
05: クオリア塔(LG-G ver?)
HOT POINT
06: 燃える花の隊列
07: 転倒する男
08: 幽霊列車
HOT POINT
09: 論理的同人の認知的別世界
10: BEACON(中断)
11: TIMELINEの終わり
12: ASHURA CLOCK(還弦ver.)
13: BEACON
14: 記憶のBEACON

2022/03/26 (DAY)
東京ガーデンシアター
INTERACTIVE LIVE SHOW 2022
ZCON(ジーコン)
ゲスト: オリモマサミ、ナカムラ ルビイ、会人SSHO, 会人TAZZ
●演奏曲目
01: COLD SONG
02: TRAVELATOR
03: LANDING
HOT POINT
04: 燃える花の隊列
05: 転倒する男
HOT POINT
06: アート・ブラインド(還弦ver.)
07: 消えるTOPIA
08: 幽霊列車
HOT POINT
09: 論理的同人の認知的別世界
10: BEACON(中断)
11: TIMELINEの終わり
12: ASHURA CLOCK(還弦ver.)
13: BEACON
14: 記憶のBEACON

2022/03/26 (NIGHT)
東京ガーデンシアター
INTERACTIVE LIVE SHOW 2022
ZCON(ジーコン)
ゲスト: オリモマサミ、ナカムラ ルビイ、会人SSHO, 会人TAZZ
●演奏曲目
01: COLD SONG
02: TRAVELATOR
03: LANDING
HOT POINT
04: 燃える花の隊列
05: 転倒する男
HOT POINT
06: 消えるTOPIA
07: 幽霊列車
08: LEAK(還弦ver.)
HOT POINT
09: 論理的同人の認知的別世界
10: BEACON(中断)
11: TIMELINEの終わり
12: ASHURA CLOCK(還弦ver.)
13: BEACON
14: 記憶のBEACON

参考サイト:
平沢進公式サイト
www.susumuhirasawa.online/2022zcon
ひ組
higumi.com/

 

 

sato-kenについて覚えているいくつかのこと

6月の生井秀樹に続き、9月25日にsato-kenこと佐藤賢慈が他界した。
1949年8月13日生まれ(函館出身)享年72歳。

生井さんについては、平沢進や加藤普(久明)が語っているので、わたしがなにか言うまでもない。
sato-kenについては平沢さんほか近親者からなにもコメントがなかったので、それほど親しい関係ではなかったけれども、ここに思い出すことなどを記しておきたい。

sato-kenとの出会いは忘れもしない成田空港。
1999年1月31日、書籍『音楽産業廃棄物(初版)』平沢サイド巻頭用タイランド撮影のため、スタッフ一同集合した時である。
星条旗柄のダブっとしたよくわからないパンツを穿いて、けたたましく、とめどなく喋り続ける小太りの男がいた。
それまでの平沢スタッフにはいないタイプだし、独立後の人員配置がよくわからなかったので、同行するレコード会社プロモータHさんにきいた。
「あのひとがマネージャーですか」
実のところその時はマネージャー不在状態で、sato-kenはタイ方面に詳しいコーディネイターとして同行したのであった。

本人曰く、グルーヴァーズのタイ撮影に携わったのが縁で、万国点検隊(1994年〜)の仕込み、アルバム『Sim City』(1995年)のレコーディングやジャケット撮影のコーディネイトを行い、ワイ・ラチャタチョティック(2016年4月に他界)とともに平沢進を「タイ・ショック」に引きずり込んだ張本人、だとか。

1997年、平沢進が設立したケイオスユニオンのスタッフとなり、インタラクティヴ・ライヴ「WORLD CELL」(1998年)からコンサート・プロデューサーとして深く関わるようになった。
アルバム『賢者のプロペラ』(2000年)からインタラクティヴ・ライヴ「WORLD CELL 2015」(2015年)まではエグゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされている。
※制作期間にスタッフを離れていた『ホログラムを登る男』(2015)にはクレジットされていない。

古株の平沢リスナーにとっては2000年から2008年まで公式サイトにほぼ毎日掲載されていた「賢者sato-kenのヒラサワ番日誌」でおなじみだろう。
実際、彼の書くメイルはああした顔文字と3点リーダ(中黒)だらけの意味不明の文章で、それを面白がった平沢進がWeb連載にしたわけだ。
ちなみに、2006年のサイトのリニュアル時にすべてではないが「NO ROOM」へ移設した記憶があるけれども、現在その痕跡は残っていない。

10年ほど外部スタッフとして平沢進のライヴやバンコク点検隊に関わるなかで、sato-kenとは個人的に話をする機会も多くあったが、彼のプロフィルについての記憶は断片的だ。

函館出身、大学では応援部に所属。
酒を飲まないにもかかわらず、打ち上げでもっともハイテンションの男。
なにかにつけガハハと大声で笑う。
若いころにタイ人と結婚しようとしたことがあり、彼女の住む村に水を引き、家も建てたが、逃げられた。
インプラントで歯を植えていたが、全部植える前に資金が尽きた。
クルマの運転はできないので、アーティストに運転してもらっていた。
現場ではけっこう厳しい顔になることもある。
リハーサルなどには大量にシュー・クリームを買ってくる。
しかしながら、甘いもののほか大好物のKFCなども糖尿を患っていたため医者に止められていた。
インタラクティヴ・ライヴ「LIMBO-54」では「スナイパー」役で出演。
2006年にタイ人と結婚、女児をもうける。
タイに定住し、平沢ライヴの折には「来日」するようになる。
2012年に、心筋梗塞で生死の境を彷徨うも生還。結局、死因も同じだった。

彼の来歴について詳しくは知らないが、広告関係の仕事をしてきたらしく、知り合った当時も平沢関係と並行して航空会社の販促仕事なんかをしていた。いまはなきJASの機内放送でP-MODELや平沢ソロ曲が流れたり、機内で配られたCD-ROMにTAINCO-Iが収録されたりしたのはそのせいである。

平沢進以外に、Wappa Gappa(わっぱがっぱ)というプログレッシヴ・ロック・バンドのマネージメント(プロデュース?)を行っていた時期もあり、わたしも1回(たしか渋谷クロコダイルで)ライヴを観たことがある。
sato-ken自身はプログレなんて聴いたこともなく「ヒラサワはプログレの師匠なんだよね」なんて言っていた。ずいぶんとからかわれながらも、平沢進から音楽的知識を得ていたようだ。

「Ride The Blue Limbo」について「一面金色の草原を麦わらを手にした師匠が先頭に立って行進している様が見えます」というようなコメントをして「ぜんぜん違う。まったくそういう曲じゃないから」なんて言われていたことがある。
万事がそんな調子。
平沢進とまったく共通項がないようでいて、異様に気が合う。延々とバカ話をしていたりする。

そもそもsato-kenは音楽畑の人間ではないし、音楽には疎いといっても過言ではなかった。にもかかわらず、平沢進に信頼されていたというのは、人がらの問題もあるが、仕事が「できた」のである。
ガサツで大雑把で穴だらけのようでありながら、実のところ細かいところに気がつき、神経質で、また全体も俯瞰できる。リハーサルやコンサート本番に立ち会って、それはよくわかった。
平沢進の独立時には原盤権など権利関係の整理にも尽力したと聞く。

sato-kenとは、平沢関連以外でも、彼が携わっていたプーケットのスポーツ・イヴェント「Phuket Walk & Run」のサイト制作を手伝ったりしたことがあるけれど、いい意味でもそうでない意味でも驚かされることが多々あった。
初対面でも遠慮がなく、傍若無人な態度を取るキャラクタだったので、そのアクとクセの強さに引いてしまうスタッフもいたが(わたしも最初はそうだった)慕っているスタッフや平沢ファンも多かった。
F嬢をはじめ、タイの友人たちが葬儀の写真をFacebookにアップしてくれていた。

よく「早くまたタイへおいでよ」なんて言われてたし「点検隊聖地巡礼ツアーでも開催したら団長(隊長)やってね」なんて言ってくれていた。
こうなったら、ひとりで聖地巡礼とも思うが、ワイさんもsato-kenもいないいまとなっては、あの「赤土」がどこにあったのかさえわからない。迷子になることは確実である。
でも、出入国が自由になったら、会いにいきますよ。

2021.10.18 高橋かしこ

パガン(ミャンマー)でのsato-ken(2000年) 自分で撮った写真だと思うけど、違っていたらすみません
Wappa Gappa | ディスコグラフィー | Discogs より www.discogs.com/ja/artist/1804966-Wappa- Gappa 左端はsato-kenだな、メンバーじゃない

 

 

富士山麓に平沢啼くII(備忘録)

フジロックも2回めなので取り立てて書くことはない。
などというと早くも通気取りで剣呑だが、東京から新幹線に乗って1時間半で越後湯沢、そこからシャトルバスに乗り換え30分で苗場である。実はけっこう近いことが前回わかった。
ことしはバス代が往復500円から1000円へ値上がりになったが、感染症対策で乗車率を抑えてあり(乗った車両は3割程度)すぐに出発する。
前回のようにさんざん待たされた挙句にギューギュー詰めということはなく快適。
心配だったのは天候で、まさに「山の天気は変わりやすい」を実感することになった。
事前に見ていた天気予報サイトの情報は毎日よく変わるので予測を立てにくく、実際の現地の天候もまさに「降ったりやんだり晴れたり曇ったり」で、2回ほど移動中に短期集中で降られた。
20年の時を経て納戸から出された「論理空軍ウィンドブレイカー」が初めて役に立ったが、レインパンツなるものは結局使わず終いであった。

例年では、各ステージのトリ(未だヘッドライナーという呼称になじまない)は時間をずらしてあるようなのだが、ことしは感染症対策で集中を避けるためか、グリーンの電気グルーヴ(21:40〜22:50予定)とホワイトの平沢進(21:00〜22:30)はほぼ丸かぶりである。ステージ間の移動を考えると平沢後のDGはムリか。

などと思いつつ、雨がやむのを見計らい、ホテルからホワイトの山塚アイ(19:10〜20:00)へと向かう。
山際が山向こうの雷で光っている。美しいがこちらも土砂降りになりそうで不穏である。演奏のせいか遠いせいか、雷鳴はほとんど聞こえない。
途中でカレーを飲み、ホワイトの忌野清志郎トリビュートで池畑潤二&花田裕之の演奏に見入っていたため、着いた時には山塚アイは終わっていた。
スタンディング・エリア外で椅子に座って開演を待っていたが、しとしとと少し降ってきたので椅子をたたんでスタンディング・エリアへ。
感染症対策の立ち位置マークは1m弱の間隔か。後方であったせいか、終演まで周囲の観客はまばらであった。
ホワイトの観客エリアは例年だとキャパシティは15000人らしいが(どこまでを観客エリアにしているのかよくわからない)ことしは見た目は大きなライヴ・ハウス程度で、せいぜいキャパ5000人くらいなのではないか(あくまで目視)。それでも全体が混み合うほどではない。スタンディング・エリア外はさらにまばらだ。
開演時間にはすっかり雨はあがっていた。

2021/08/22

平沢進 + 会人
脱出系亞種音

FUJIROCK FESTIVAL’21
苗場スキー場特設会場
WHITE STAGE 21:00〜22:30

サポート: 会人SSHO+会人TAZZ
ゲスト: ユージ・レルレ・カワグチ(#STDRUMS)

01: ZCONITE 〜 COLD SONG(テスラ・コイル)
02: ENOLA
03: BEACON
04: Solid air
05: TRAVELATOR
06: 幽霊列車
07: アヴァター・アローン
08: 消えるTOPIA
09: アンチモネシア(テスラ・コイル)
10: HOLLAND ELEMENT
11: パレード(テスラ・コイル)
12: 夢みる機械
13: 論理的同人の認知的別世界
14: Big Brother(可逆的分離態様?)
15: 救済の技法
16: TIMELINEの終わり
EN
17: 庭師KING

新譜とP-MODELナンバーを多めにやるだろうとは思っていたが、まさかオープニングがテスラ・コイル・ヴァージョンの「COLD SONG」とは意表を突かれた。
広いステージに置かれた Musical Tesla Coil Zeusaphone Z-60 も後方からでは小さく見えるものだな。
10年ぶりの「Solid air」は還弦主義ヴァージョンではない。「カナリアの籠」から数えてどんだけヴァージョンあるんだという変遷だが、ここにきてまたニュー・アレンジ。
ギターから音が出ず、マシン・トラブルでノイズの嵐となったが、これが最高によい。ずっとこのノイズに打ちのめされていたいくらいだ。
そしてニュー・パート入りの「HOLLAND ELEMENT」には39年前の日仏会館でのプロトタイプからから聴いてきた人間でも驚いた。
「Solid air」「HOLLAND ELEMENT」の2曲(83年以降は加えて「ATOM-SIBERIA」の3曲)は80年代P-MODELでライヴを殺気立たせる定番曲であった。
本気だ。トラブルへの苛立ちもあったろうが、久しぶりに平沢進から殺気を感じた。
まさに「脱出系亞種音」というタイトルが示す通りの選曲。ディストピアからの離脱。狂気からの正気の脱出。
ただ、意外だったのは、支持者のみを載せて地球を脱出するロケット(SF的イメージ)ではなく、詰め込めるだけ詰め込むノアの方舟になりたいのではないかということ。
ノアだって嘲笑されたというではないか。そういえば「羊」など、キリスト教的比喩が近ごろ目に付く。
『BEACON』のレヴューで「救済のない技法」と書いたけれども、選曲には「救済の技法」があり「庭師KING」もある。
リスナーの意識にドリルを打ち込み、破壊しながらも、覚醒と新世界への離脱を願っているのではないか。
それがたとえ大きなお世話であっても。

『BEACON』のレヴューではまた
———————
ここから「ネオ・ディストピア3部作(消えるTOPIA3部作)」が始まって、10年で3枚出したりしたらすごい。
———————
とも書いたけれど、ここから「脱ディストピア3部作(人間回復3部作)」が始まることとなるのではないか。

予定より5分以上早く平沢進は終了したので、急ぎグリーンの電気グルーヴへ。「MAN HUMAN」か。非常に音がよい。PAのせいかエンジニアリングのせいか会場のせいかわからないが、ホワイトより遥かに音の広がりがよく迫力がある。
最後方から一面の観客を観ると、急にどメジャーなコンサートへ来たような気分になる。妙な表現だが、フジロック内の暗い閉鎖空間から急に眩しい屋外へ出てきたような感じである。
といっても、例年4万人以上のキャパシティとのことだが、ことしは1万人もいない感じ(あくまで目視)。後日発表されたこの日の入場者数は9300人とのことだったので、グリーンから流れてきた客を合わせてもそのくらいであったろう。
10分オーヴァーの23時くらいに終了したので「Baby’s on fire」から「富士山」まで30分は観ることができた。

レッド・マーキーでまりんのDJを聴いて締め。
最初は閑散としていてびっくりしたが、すぐにDG帰りがどやどやと入ってきた。
「FLASHBACK DISCO」もかけたりするサーヴィス。
2000年くらいまで音楽情報誌で電気グルーヴの担当ライターをしていたことがあるので、まりん在籍時の電気グルーヴにはけっこう思い入れがあったりするのだ。

覚えているのはこんなところである。
備忘録といってもハナから覚えてないことが多いので、備忘録ですらないか。

2021/08/29 高橋かしこ

富士山麓に平沢啼く

これまでさんざ野外フェスなんか行かないと公言してきた手前どうにも言いづらいがフジロックへ行ってきた。

そもそもアウトドアは苦手であるし、野音や学祭で行われる○○フェスだってあまり好きではない。
狭量な人間なので、たとえホールのオムニバス形式のコンサートであっても、興味のないバンドを聴いているのが非常に苦痛だったりする。
もちろんそこに音楽的な発見があるのもほんとうだし、これまで自分にもそうした発見があったけれども、もはやスタンディングで好きでもないバンドを観るような体力はない。

ましてや、フジロックのような過酷な自然環境の大会場に大勢の人間が集まるお祭り騒ぎの高揚感とか。
ああ、ぜんぶダメ。
そんなのダメダメダメダメ人間。

だが、そのフジロックにインドア資質の極北と思える平沢進が出るという。
相変わらずあり得ないとされることをやるひとだね。
その意味では、平沢進のフジロックというのは、孤高のへそ曲がりの現れである。
さあ、困った。
いまどきフジロック出演を勲章のようにして大騒ぎするのはどうかと思うが、これはちょっと気になるではないか。
しかしなー、平沢進と同じ最終日のヘッドライナーはキュアーか。
実は自分でも意外なことにキュアーにはまったく思い入れがない。
好きか嫌いかと言われれば好きな部類に入る程度である。
むしろ、初日のケミカル・ブラザーズとトム・ヨークが3日目であれば、迷わず行ったと思う。

最終的に背中を押したのは、レッド・マーキーという庇つきステージであることと Zeusaphone Z-60 が登場すること、そして会場内ホテルが取れたことである。
人生なにごとも経験だとかなんとか陳腐な言い訳で自分を言いくるめた。

かくして2019年7月28日・日曜日。
東京から新幹線でたった1時間半、9:30には越後湯沢へ到着。
さして並ぶことなく11時前にはシャトルバスで苗場着。

80年代にその名を轟かせたお洒落なはずのリゾートホテルは粉々に壊れ廃墟のようであった。
いや、壊れたというのは言い過ぎだがなかなか荒廃した感じ。
フジロックでしか稼働していない棟もあるという。

荷物を預け、昼食をとって奥地(フィールド・オブ・ヘヴン)へ辿り着くと、渋さ知らズオーケストラが終わるころであった。
雨はほとんど降っていないが、前日襲来した颱風のせいで濁流が流れそこらじゅうが泥濘(ぬかる)んでいる。
立ち並ぶ飲食ブースは、代々木公園のタイ・フェスなんかと同様だが、こっちが先なのだろう。
会場内各所を徘徊し、いったんホテルへ戻って着替えればもう夕刻。
ひぐらしが鳴いている。
カレーを飲みこみ苗場食堂裏ステージの苗場音楽突撃隊へ。

池畑潤二+花田裕之+井上富雄という大江抜きのルースターズにヤマジカズヒデと細海魚が加わった洋楽カヴァー・バンド。
ゲスト・ヴォーカルも入って「ハッシュ」「アイ・ミー・マイン」とか(ルースターズ的には)意外な選曲をやる。
途中、雨足が強まりカッパをかぶる。
最後の3曲(だったかな)は花田裕之ヴォーカルのブルースっぽい曲で、門外漢にしてぜんぜん知らない曲だが、やはりよい。

にしても、隣の大音響DJブースが近すぎる。いくらフェスとはいえ、音が混ざりすぎ干渉しすぎ。
バトル・ロッカーズとマッド・スターリン の対決ライヴを思い出したくらいだ。

苗場食堂と隣のレッド・マーキーは近くて助かるが、20時スタートの平沢進とは時間差たった20分。
ジンギスカン臭漂う会場はすでに満員。
前半分は立っているが、うしろ半分は自前の椅子。
雨宿りの客も多いとうかがえる。

オープニング・ナンバーとしてはおなじみの(とはいえ久しぶりの)「TOWN-0 PHASE-5」から始まり「Archetype Engine」「フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ」という完全に攻めの選曲。
すでに「HYBRID PHONON」以来、平沢ソロ名義だろうがなんだろうがなんでもアリになっている。
平沢目当てではないオーディエンスも多かろうことを前提に、持ち時間の1時間に詰め込めるだけ詰め込んできた。
「アディオス」「聖馬蹄形惑星の大詐欺師」「アヴァーター・アローン」と比較的最近の曲に続いていよいよ「夢みる機械」へ。
The Musical Tesla Coil Zeusaphone Z-60 は2008年の「PHONON 2551」で初登場して以来11年。
5年前の「HYBRID PHONON」からは使われてなかった(はず)ので、故障してないか心配だったのだが、健在である。
前は見えないし、平沢のヴォーカルもあんまり聴こえなかったが、スパークの光と音はしっかり届いた。

続くイントロはなにこれと思ったら「ジャングルベッド I」というより「Astro-Ho」か。
「Astro-Ho」シリーズはソロ曲の位置づけなのでまったく違和感なかったのだが「ジャングルベッド I」だとすれば95年の「ENDING ERROR」以来。
続く新曲(タイトル不明)は「Perspective」かと思ったほどに素晴らしい。

「Nurse Cafe」「AURORA(4くらい?)」とまくしたてて「白虎野の娘」*であっという間に終了。
「AURORA」はまたぜんぜん変わっててイントロではわからんかった。
ラストはなにが来るかと思いきや「白虎野の娘」というのは、これが現在の代表曲ということか。正しい。

フジロック的に当然なのか異例なのかはわからないが、予想外のアンコールで想定外の「回路OFF 回路ON」を演って解散。

仕込み段階の平沢tweetから力の入りようが伺えたけれども、雨宿りの連中を踊らせるほどに、選曲もパフォーマンスもアレンジも完璧であった。
1時間くらいのコンパクトなライヴっていいものだ。
惜しむらくは低音がびびりまくる音響。
「Astro-Ho」には歌詞があったというが、ぜんぜんヴォーカルなんて聴こえなかったし、心臓に悪い。
散見するtweetなどを鑑みるに、Youtube中継(たぶんライン出力)のほうは音がよかったようだし、意図的とは思えないので、音響システムの特性やオペレーションあるいは仮設会場の構造によるものなのだろう。

その流れで言うとキュアーのライヴで驚かされたのは音のよさ。
科学の進歩を感じる音響システム。
いまどきの野外ライヴ(行かないから知らない)では当たり前なのだろうが、下手なホール・コンサートよりよっぽど音がいい。
ところで、キュアーってあんなに演奏のうまいバンドだっけ? そっちも相当に驚いた。

キュアーのあとホテルでひと休みして卓球のDJへ行こうと思ってたのだが、気がついたらすでに朝。
かっこうが鳴いている。
エレヴェータでチェックアウトへ向かう卓球に出くわしたのが妙に気まずかった。

そういえば、ホテルは出演者やスタッフも泊まっているのでけっこう見かけたのだが、意外とファンが騒いでる様子もなく、そこは大人のイヴェントか。
不愉快だったのは、規制がほとんどないライヴ中の撮影、これまた規制がほとんどなく自由過ぎる喫煙、会場内・ホテル内の導線といったあたりか。

シャトルバスの列の長さに恐れをなして、帰りは路線バスを使ったが、これはなかなかしんどかった。
とはいえ、颱風が前日に通過してくれたおかげで、予想したより困難は少なく、遠出の泊まりがけライヴ程度で済んだ。
点検隊に比べればふつうのライヴの範疇である。

梅雨が明けて一転猛暑のなか帰途へついた。

●役に立ったもの
トレイル・ランニング用防水スニーカ
救済の橋のギルドのミニ・リュック
カッパ

●まったく使わなかったもの
折りたたみ椅子
折りたたみ傘
論理空軍ウィンドブレーカ
ソーラレイ・ブルーシート

防水スニーカは軽くて歩きやすく非常に快適だったのだが、たった1回のライヴのためと思うと痛い出費である。
しかし、一生のうちもう1回くらい行くかもしれない。
その時まで取っておこう。

2019/08/08追記

*ラスト「白虎野の娘」と思ったのだけど、ネット上では「白虎野」と書いてるひと多し。あとは「白虎野+白虎野の娘」って書いてるひともいた。
会場でヴォーカルはあんまし聴こえなかっが、中継でちゃんと聴くと「白虎野」だったらしい。

『ホログラムを登る男』および「WORLD CELL 2015」に関するメモ その2

「随時更新予定」とか「つづく」とか書いていながら、早1か月。
年も明け、もう正月10日である。

前回は諸事情により急いで書き上げてので、どうもまだまだ言い足りないことがあるような気がしたのだが、しかし、間をおいてみるとライヴについても新譜についても、ことさら付け加えることはないのではないかという気がしている。
意外と言い切っているじゃないかと。

しかもだ。
昨年末にリリースされた『サウンド&レコーディング・マガジン』2016年2月号のインタヴューが非常によいもので、なにを語ってもいまさら感が強い。
さすが國崎さんである。
www.rittor-music.co.jp/magazine/sr/15121001.html

インタヴューを読むと、わたしの感想というかメモめいたものもあながち外れていなかったのではないかと安堵したが、それはわたしの読みが鋭いわけでもなんでもなく、平沢進が、そのように伝わるように表現したに過ぎない。
まあ『パースペクティヴ』というより『ポプリ』だったかとか、細かいことはいろいろあるものの。

最初「ホログラムを登る男」(曲のほう)のオーケストレイションは風呂敷を広げるだけ広げて盛り上げには失敗してる(登り切らない)んじゃないかと思ったのだが、ライヴを見たあとでは盛り上げ切らないほうが正解なのかとも思う。

ライヴについても解析サイトなどで詳説されているので、分析はそちらにおまかせ。
いわゆる成功ルート(ハッピー・エンディング)となった初日が、すんなりいきすぎていちばんカタルシスがなかったのは皮肉。選曲やはらはらどきどきのストーリ展開だけでいうなら、在宅参加した2日めがいちばん盛り上がったのではないか。
もっとも、解析サイトじゃないけど、長年見てると曲数バランスや分岐ルールなどインタラクティヴ・ライヴでの不文律によって途中で「あ、こりゃダメだ」とわかってしまうわけだが。
3日めはなんとか成功ルートへ行こうという会場の一致団結が裏目に出たというか、不完全燃焼のきらいがあったようにも思う。しかし、それも3日間唯一のアンコール(曲数の公平性とも言う)「WORLD CELL」で帳消しになった。
和音の出来不出来をユーザ・インタフェイスにするというアイディアも含め、やはり、エンタテインメント性という意味では「ノモノスとイミューム」を凌駕する新機軸であったと思う。
インタラクティヴ・ライヴは無心になんも考えずに楽しんで参加するのがいちばん。といっては元も子もないか。いや、いろいろ考えちゃうから、虚心がいちばん難しいんですけどね。

あ、筑波Gazioラストについてはまたこんど。

 

『ホログラムを登る男』および「WORLD CELL 2015」に関するメモ

平沢進3DAYSが終了した。
忘れないうちに私的断片メモを残しておく。
随時更新予定。

INTERACTIVE LIVE SHOW
WORLD CELL 2015

水道橋・東京ドームシティホール
2015年11月27日(金)
オープング「舵をとれ」
『ホログラムを登る男』全曲
「幽霊船」
「WORLD CELL」

2015年11月28日(土)
オープング「舵をとれ」
『ホログラムを登る男』全曲
「オーロラ(3)」
「橋大工」

2015年11月29日(日)
オープング「舵をとれ」
『ホログラムを登る男』全曲
「オーロラ(3)」
アンコール「WORLD CELL」

1998年開催「WORLD CELL」の再演(続篇)となる。
わたしは初日と楽日に会場、中日は初の在宅参加してみた。

interactive-live.org/world-cell-2015/

ライヴに先んじて、アルバム『ホログラムを登る男』もリリースされたが、ライヴからたった10日前の2015年11月18日発売である。こんなに新譜のリリースとライヴが近いのは初めてではないか。

susumuhirasawa.com/special-contents/13th-hologram/

よって、アルバム・コンセプトとライヴのコンセプトはリンクしている。というか、ライヴのプロットを作りながら、アルバムのコンセプトを作っていったのかもしれない。
なんで『現象の花の秘密』で影を潜めた(ように見える)怒りがここでまた再燃しているのか、とも思ったが、ライヴを観て納得。
そういうことか。
わたしは勝手に『BLUE LIMBO』『白虎野』『点呼する惑星』を「ディストピア3部作」と名づけていたが、ここにきて『現象の花の秘密』『ホログラムを登る男』は「カタストロフ3部作」とか「終末3部作」って感じになるのなぁ、などとこれまた勝手に考えている。
サウンド的には『突弦変異』『変弦自在』『現象の花の秘密』と続いた還弦主義完結篇というか総集篇。
P-MODEL的手法も管弦サウンドで内包できると踏んでのなんでもあり感。ヴァラエティの豊かさでいったらソロ初期3部作(統合3部作)に通じる。
各楽曲ごとの手法でいうと、既聴感の連続で、新しさというか、平沢的発見・発明は見当たらないが、このすべてを内包したスタイルこそが、平沢史的には新機軸であり、発明と言える。
「Heaven2015」「庭師2015」から「冠毛種子2015」まで。
1巡したということか。これほど「円熟」という言葉が似合わないひとが円熟期を迎えるとは意外であったが、帯にもそのようなことが書いてあるので、意図的なのだろう。

さらに見方を変えると、1曲めから9曲めまでは、10曲めのための壮大なイントロダクションだとも言える。
ラストで大団円を迎えるようなアルバム構成も珍しいといえば珍しい。

アルバムを聴いた時点では「ホログラムを登る」という行為を肯定的なイメージで捉えていた。ヴァーチュアル・リアリティを物理的リアルにしていまうミュージシャン的想像力・創造力を感じた。ない山も登るし、ない橋も渡るし、ない羽で空も飛ぶというような。
しかしながら、ライヴでは乗り越えるべき幻影として描かれている。元も子もない表現をするなら、メディアもしくは統治者が放った情報によって作られた虚構ではなく、自分の目で見た現実に還ろうというような。
平沢流「脱走と追跡のサンバ」か。
近年のインタクティヴ・ライヴは、わかりやすいエンタテインメントを追求しているので、アルバムのテーマや表現とは違うのも当然であるが。
なお、FOOさん情報によると量子論に「ホログラフィック原理」というのがあるそうな。

ライヴでは難解なカタストロフものも期待したが、エンタテインメント路線の新展開であった。
極論すれば、テーマと設定だけあるけど、ストーリーはない、みたいな。一見さん大歓迎、予習の必要なし。よい意味で史上最高に「ゆるい」インタクティヴ・ライヴ。
振るだけ振って回収されないネタ、張るだけ張って放置される伏線。
どんなアクシデントも解決される言葉。「あとはわたしがなんとかしておく」

しかし、それはそれでいいのだ。
インタクティヴ・ライヴは別次元へ向かっているのだから。
すでにインタクティヴであってインタクティヴでない、というような。
ここらへんは『音のみぞ』2号で予想した通り。

また、次回のアルバムのテーマは「食と戦争」であるという大胆予想もしたが、これもあながち外れていないのではないか。
直截的に食に言及した曲があるわけではないが、食の常識というのは、メディアもしくは統治者による情報によって作られた虚構に満ち満ちているのだから。

(続く)

『音のみぞ』第2号発行遅れのお詫び

3月末に投稿募集を行い、たくさんの寄稿をいただいた『音のみぞ』第2号ですが、編集・制作作業がたいへん遅れております。
ご協力いただいた方々、読者の方々にはご迷惑をおかけして申し訳ございません。
現在、10月の発行を目標に作業を進めております。
もうしばしお待ちいただけるよう、よろしくお願いいたします。

『音のみぞ』第2号投稿募集「新譜としての旧譜」

『音のみぞ』第2号の制作準備を進めています。
最初隔月とか言ってたやつは誰なんだという感じで季刊すら通過して、いまや立派な不定期刊を目指しています。
いや、目指してはいないのですが、そうなってしまっています、すみません。
さて、第2号ではこんな特集を考えています。

特集: 「一気聴き」の至福もしくは後追いの天国と地獄(仮)
Project Archetype, 太陽系亞種音, Haldyn Dome ―― 新人リスナーはこう聴いた

わたしは常々思っていたのです。
あとから来た者は幸いであると。
だって「一気聴き」ができるじゃないですか。
だってこれまでの「旧譜」をすべて「新譜」として聴けるんですよ。
『太陽系亞種音』と『Haldyn Dome』で100時間連続P-MODEL&平沢ですよ。
ポリドール作品のリマスタ企画「Project Archetype」の仕事をしていた時も、新規リスナーが「新譜」として、どう聴いてくれるだろうか、ということが常に頭にありました。

こうした「初聴き一気聴き」の醍醐味というのは、リアルタイムのリスナーには味わえない楽しみです。
わたしにも覚えがあります。
ザ・ビートルズにしろキング・クリムゾンにしろすでに解散したバンドだったし、ボウイにしろZEPにしろすでにたくさんの作品を発表したあとだったので、歴史を遡る楽しみがありました。
もちろん昔の作品を現役で聴きたかったと思ったし、昔のライヴを観たかったとも思いましたが、後追いには後追いの楽しみがあります。
当時はBOXセットなんてなかったし、中学生や高校生にアルバム10枚いっぺんに買うような財力はありませんでしたが、次はどのアルバムを買おうかなとディスコグラフィを見るのも楽しいものでした。
マンガなんかも連載時に読むのと完結したあとで単行本で一気に読むのとでは、別の作品と言ってもよいほど印象が違ったりします。
ああ、わたしもP-MODEL全作品一気に初聴きなんて贅沢をしてみたかった。
リマスタリングされたソロ初期の5作品を新作として一気に聴いたり、タイムマシンよろしく『error』で30代の映像と初めて出会ってみたかった。

というわけで、次号に向けて投稿を募ります。
文章の長さは問いません。
文章だけではなくイラストでもけっこうです。
こちらのフォームからお待ちしています。

fascination.co.jp/modules/ccenter/?form=3

なんだ新規リスナーにばかり迎合しやがってというあなた。
リスナー歴は問いませんので、次回インタラクティヴ・ライヴ完全予想でもなんでも自由なテーマでの投稿をお送りください。
掲載作品には謝礼として掲載誌とプリペイド・カードをお送りします。
創刊第2号は5月下旬〜6月上旬の発行予定です。

あ、制作用PCを新調しなきゃだわ。

音のみぞ1号表4

献本できてよかった

秋元一秀はP-MODEL凍結前のステージ袖で見かけたのが最初だったと思う。
スタッフというか準メンバーのように見えた。
1989年以降は平沢ソロのバンド・メンバーとして認知したが、1990年の世界タービン・ツアー(個人的には12月2日の新宿シアター・アプル夜の部)を最後にバンドを離れた。

それから9年。

P-MODELデビュー20周年/平沢進ソロ・デビュー10周年記念書籍『音楽産業廃棄物』の準備中、版元の編集者に「そういえば、秋元一秀ってなにやってんですかね」と言ったら、怪訝な顔で「なに言ってんですか。秋元きつねでしょ。いまや大先生ですよ」と返された。
なぜか『音楽産業廃棄物』はソフトバンク・パブリッシング(当時)のゲーム書籍の部署で作られていたので、その編集者は秋元きつねとも知り合いであった。
わたしはまったくゲームをやらないので『せがれいじり』の大ヒットも知らなかった。

それからさらに15年。

平沢進ソロ・デビュー25周年記念 Project Archetype の一環としてライヴ・ヴィデオ『error』とライヴCD『error CD』をカップリングで再発するにあたり『サウンド&レコーディング・マガジン』の國崎さんに「機材解説」を依頼していたのだが、情報が足りないとのこと。では、システム周りの担当だった秋元さんに話をきこうということになったが、わたしも國崎さんも交流がない。懇意にしているMecanoの中野店長に渡りをつけてもらい、メイルで取材させていただいた。

秋元さんは國崎さんの細かな質問にもひとつひとつ叮嚀に答えてくれた。訊くほうも訊くほうだが、答えるほうも答えるほうだというくらい、双方ともよく当時のことを覚えている。取材というより、お互いに当時にことを確認し合ってるかのようだった。
秋元さんにはわたしが勝手に思い描いていた人物像をいい意味で裏切られた。

できあがったら見本盤をお送りする約束をして、電子書籍となった『音楽産業廃棄物』と『来なかった近未来』を献本した。
Amiga使いの秋元さんには『来なかった近未来』をぜひ読んでほしかったのだ。
平沢さんのユーモアについて、律儀なコメントをいただいたのは、9月8日のこと。

それからたった1か月と3週間。

IMAG1044

一昨日、見本があがってきた。
一瞬どうしたものかと躊躇したものの、やはり約束通りメーカから送ってもらうことにした。

合掌。

kudanwork.wix.com/kitune


blogs.yahoo.co.jp/adoopt_s

 

平沢進ソロ・デビュー25周年 Project Archetype 第1弾リリース その2

もう書くことないと言いつつ、質問があったりしたので、選曲についてなど。

2枚組『Archetype | 1989-1995 Polydor years of Hirasawa』のDiscそれぞれの性格だが、プロジェクト始動当初はベストとアルバム未収録(レア音源)集という考えであった。しかし、それではDisc1はシングルになっているような代表曲ばかりになってしまうし、絞るのも大変過ぎる、入りきらない。逆にDisc2の収録曲は少ない。というわけで、出したアイディアがDisc2はシングル+アルバム未収録(レア音源)集というもの。これならば、シングル曲はDisc1からはじけるので選曲に余裕が出て苦しくない。

「ハルディン・ホテル」がDisc1にオリジナルが、Disc2にシングルの「Fractal Terrain Track」ヴァージョンが入っているのは、Disc1とDisc2が別テーマのCDであり、ベスト盤もしくは入門盤という性格であるDisc1に「ハルディン・ホテル」のオリジナル・ヴァージョンは欠かせないとの考えから。もちろん、アルバムとシングルとでヴァージョンが同じならDisc2のみに収録していたとは思う。
じゃあ、逆になぜ「バンディリア旅行団」がシングルの「Physical Navigation Version」ヴァージョンしか収録しなかったかというと、ライナーノーツに竹内さんが書いている通り、録音順からいって、実質的にシングル・ヴァージョンのほうがオリジナルであるから。『ヴァーチュアル・ラビット』収録曲は、シングル・ヴァージョンをアルバムに馴染みやすく「大人しく」したヴァージョンだとも言える。シングルのアレンジのままだときっと浮いちゃうんだよね。で、この曲に関してはシングル・ヴァージョンを収録すれば充分かという判断。
ここらへんは竹内さんと高橋とで意見をぶつけて決めております。

ところで、実は「バンディリア旅行団」には、もう1ヴァージョン存在しており、マスターテープを聴いて「なんだこれ」ということになった。頭にクリック音が入っており、商品とは思えない。あとで調べたところ、クリック・ヴァージョンは『デトネイター・オーガン』の製作発表記者会見(1991年3月1日)等で配布されたラフ・ミックスであることが判明した。みんな忘れてるのだ(笑)。

『サイエンスの幽霊』は、シングル収録の「世界タービン」「フィッシュ・ソング」はDisc2に入れることにしたので、Disc1に入れる曲は迷ったのだが、アルバムの性格がよく出ている「テクノの娘」を選んだ。2枚組でなければ「世界タービン」「ロケット」「フィッシュ・ソング」あたりの選曲で、もしかすると「テクノの娘」「夢みる機械」は選外だったかもしれない。

『AURORA』は、高橋案としては「LOVE SONG」「オーロラ」「舵をとれ」の3曲。選曲の基準は、個人的なベストにしてしまうとえらいことになるので、あくまで「入門書」として機能するような、いわゆるキャッチーな曲、アッパーな曲を中心にしようと思ったからだが、竹内さんより全体のバランスや流れを考慮し、また『AURORA』の性格がわかる曲ということで「広場で」が推された。もちろん、異論はない。「舵をとれ」はベルセルク以降のファンを意識しての選曲でもあったが、わたしも次点としては「風の分身」あたりのメロディや歌唱の美しい曲を考えていた。國崎さんも「広場で」は大好きなナンバーに挙げており、正解だったようだ。

意外と困ったのは『Sim City』の選曲で、当初はマストが5曲、次点が3曲あった。自分ではリリース当初の印象から『Sim City』は苦手なアルバムと思っていたのだが、意外にも好きな作品が多かったらしい。先日の國崎さんとのトーク・ライヴでも力説したが『Sim City』は物議を醸した作品で、拒否反応を示したり、離れていったリスナーも少なくなく、ここでソロ時代最初のの「リスナー入れ替え」が起こったのである。
最終的には、タイトル曲「Sim City」を外すという荒業で『Sim City』からは4曲に絞った。「Sim City」はオリジナル・アルバムやライヴのなかでこそ機能する曲で、単品としては扱いづらいという位置づけである。竹内さんも『Sim City』からの曲は、曲順で最後まで迷っていた。「Lotus」で終わるか「環太平洋擬装網」で終わるかであるが、結局は後者で落ち着いた。

今回のプロジェクトで、平沢さんから示された指針のようなものとしては、既発表曲の扱いは任せるけれども、デモや別ヴァージョンなどの未発表曲は基本的に扱わないというものがあった。お蔵出しではないということだ。ましてや当時はソフトウェア化しなかったTV番組などのソースもなし。個人的にはせめてカセット・ブックの『魂のふる里』は、既発表だし、なんとかCD化したかったのだけど。
レア・ヴァージョンとしては前述した「バンディリア旅行団」のクリック・ヴァージョンのほかにもいろいろあったわけだが、収録は断念。その一部を平沢さんの許可を得て、Gazioのトーク・ライヴで公開させてもらった。

ヴァージョン違いといえば『Archetype』収録の「フローズン・ビーチ」は微妙にヴァージョンが違う。オリジナル・アルバムでは、イントロとアウトロに波や流氷がぶつかる音(らしい)のSEが入っているが、今回はつなぎの関係上、アウトロのSEは入っていない。イントロも含めて完全にSEなしのヴァージョンという案もあったが、迫力に欠けるので見送り。

「フローズン・ビーチ」で思い出したことがひとつ。80年代後半、P-MODELのライヴで「フローズン・ビーチ」のアレンジがのちのソロ・ヴァージョンに近いものに変わって、間奏にキイボードで「炎のランナー」っぽいフレイズが入るようになった時、実はちょっとヤダった。しかし今回、國崎さんのライナーノーツでソロ・デビューにあたっては「歌えるヴァンゲリス」というコンセプトがあったことを知り、そういえば平沢さん、ヴァンゲリス好きだって言ってたなぁ、あれは狙いだったのかとようやく理解した。

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