10年が経った。
これを書いたのが2年前。
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基本的な思いは変わらず、いちばんは、どんな形であれ、どうして『夢みる機械』は世に出ないのだろうということ。
死を目前にした今 敏がもっとも願ったのは、どんな形であれ、作品を完成させて欲しいということだった。
これだけは間違いない。
彼以外に完成させるのは不可能という判断もわかるが、あとを引き継ぐ監督や作品の完成形に、彼は感謝こそすれ、文句は言わなかっただろう。
映画の続き、TVアニメーション、いろんな話はあったはずだが、形になってはいない。
完成している部分のアニメーション。
完成している部分の絵コンテ。
未完成部分演出案語りおろし。
使用予定だった音楽。
起用予定だった声。
完成していたシナリオ。
もうこれだけでいいじゃないかとも思う。
しかし、それすら世に出ないというのはなんらかの力が働いているのではないかと陰謀論めいたことまで考えたくなる。
権利や出資者の問題があるのもわかるが、なんとかならないものだろうか。
10年が経った。
巷間で言われているように、東日本大震災やCOVID-19を彼が経験していたらどうだったろうとは思う。
まさかたった10年でこんなに映画みたいなことがいくつも起きるとは。
この国に戦争が起きなかったことがまだ幸いか。
まるで彼の映画のなかに生きているようじゃないか。
自分自身にもいろんなことがあった。
いろんなひとが死んだ。
いろんなひとと別れた。
いろんなひとが去っていった。
いいことも少しだけあった。
新しい出会いも少しだけあった。
仕事もずいぶんと変わった。
生活も聴く音楽もけっこう変わった。
生きていたら彼とは変わらずつきあい続けただろうか。
もしかすると愛想を尽かされていたかもしれない。
すっぱりと人間関係を切るところは見ている。
しかし、死は永遠とはよく言ったものだ。
彼が去っていくことはない。
わたしのなかで、世界じゅうで、彼は生きている。
同じところに留まっていては彼に叱られるな。