献本できてよかった

秋元一秀はP-MODEL凍結前のステージ袖で見かけたのが最初だったと思う。
スタッフというか準メンバーのように見えた。
1989年以降は平沢ソロのバンド・メンバーとして認知したが、1990年の世界タービン・ツアー(個人的には12月2日の新宿シアター・アプル夜の部)を最後にバンドを離れた。

それから9年。

P-MODELデビュー20周年/平沢進ソロ・デビュー10周年記念書籍『音楽産業廃棄物』の準備中、版元の編集者に「そういえば、秋元一秀ってなにやってんですかね」と言ったら、怪訝な顔で「なに言ってんですか。秋元きつねでしょ。いまや大先生ですよ」と返された。
なぜか『音楽産業廃棄物』はソフトバンク・パブリッシング(当時)のゲーム書籍の部署で作られていたので、その編集者は秋元きつねとも知り合いであった。
わたしはまったくゲームをやらないので『せがれいじり』の大ヒットも知らなかった。

それからさらに15年。

平沢進ソロ・デビュー25周年記念 Project Archetype の一環としてライヴ・ヴィデオ『error』とライヴCD『error CD』をカップリングで再発するにあたり『サウンド&レコーディング・マガジン』の國崎さんに「機材解説」を依頼していたのだが、情報が足りないとのこと。では、システム周りの担当だった秋元さんに話をきこうということになったが、わたしも國崎さんも交流がない。懇意にしているMecanoの中野店長に渡りをつけてもらい、メイルで取材させていただいた。

秋元さんは國崎さんの細かな質問にもひとつひとつ叮嚀に答えてくれた。訊くほうも訊くほうだが、答えるほうも答えるほうだというくらい、双方ともよく当時のことを覚えている。取材というより、お互いに当時にことを確認し合ってるかのようだった。
秋元さんにはわたしが勝手に思い描いていた人物像をいい意味で裏切られた。

できあがったら見本盤をお送りする約束をして、電子書籍となった『音楽産業廃棄物』と『来なかった近未来』を献本した。
Amiga使いの秋元さんには『来なかった近未来』をぜひ読んでほしかったのだ。
平沢さんのユーモアについて、律儀なコメントをいただいたのは、9月8日のこと。

それからたった1か月と3週間。

IMAG1044

一昨日、見本があがってきた。
一瞬どうしたものかと躊躇したものの、やはり約束通りメーカから送ってもらうことにした。

合掌。

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