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富士山麓に平沢啼く

これまでさんざ野外フェスなんか行かないと公言してきた手前どうにも言いづらいがフジロックへ行ってきた。

そもそもアウトドアは苦手であるし、野音や学祭で行われる○○フェスだってあまり好きではない。
狭量な人間なので、たとえホールのオムニバス形式のコンサートであっても、興味のないバンドを聴いているのが非常に苦痛だったりする。
もちろんそこに音楽的な発見があるのもほんとうだし、これまで自分にもそうした発見があったけれども、もはやスタンディングで好きでもないバンドを観るような体力はない。

ましてや、フジロックのような過酷な自然環境の大会場に大勢の人間が集まるお祭り騒ぎの高揚感とか。
ああ、ぜんぶダメ。
そんなのダメダメダメダメ人間。

だが、そのフジロックにインドア資質の極北と思える平沢進が出るという。
相変わらずあり得ないとされることをやるひとだね。
その意味では、平沢進のフジロックというのは、孤高のへそ曲がりの現れである。
さあ、困った。
いまどきフジロック出演を勲章のようにして大騒ぎするのはどうかと思うが、これはちょっと気になるではないか。
しかしなー、平沢進と同じ最終日のヘッドライナーはキュアーか。
実は自分でも意外なことにキュアーにはまったく思い入れがない。
好きか嫌いかと言われれば好きな部類に入る程度である。
むしろ、初日のケミカル・ブラザーズとトム・ヨークが3日目であれば、迷わず行ったと思う。

最終的に背中を押したのは、レッド・マーキーという庇つきステージであることと Zeusaphone Z-60 が登場すること、そして会場内ホテルが取れたことである。
人生なにごとも経験だとかなんとか陳腐な言い訳で自分を言いくるめた。

かくして2019年7月28日・日曜日。
東京から新幹線でたった1時間半、9:30には越後湯沢へ到着。
さして並ぶことなく11時前にはシャトルバスで苗場着。

80年代にその名を轟かせたお洒落なはずのリゾートホテルは粉々に壊れ廃墟のようであった。
いや、壊れたというのは言い過ぎだがなかなか荒廃した感じ。
フジロックでしか稼働していない棟もあるという。

荷物を預け、昼食をとって奥地(フィールド・オブ・ヘヴン)へ辿り着くと、渋さ知らズオーケストラが終わるころであった。
雨はほとんど降っていないが、前日襲来した颱風のせいで濁流が流れそこらじゅうが泥濘(ぬかる)んでいる。
立ち並ぶ飲食ブースは、代々木公園のタイ・フェスなんかと同様だが、こっちが先なのだろう。
会場内各所を徘徊し、いったんホテルへ戻って着替えればもう夕刻。
ひぐらしが鳴いている。
カレーを飲みこみ苗場食堂裏ステージの苗場音楽突撃隊へ。

池畑潤二+花田裕之+井上富雄という大江抜きのルースターズにヤマジカズヒデと細海魚が加わった洋楽カヴァー・バンド。
ゲスト・ヴォーカルも入って「ハッシュ」「アイ・ミー・マイン」とか(ルースターズ的には)意外な選曲をやる。
途中、雨足が強まりカッパをかぶる。
最後の3曲(だったかな)は花田裕之ヴォーカルのブルースっぽい曲で、門外漢にしてぜんぜん知らない曲だが、やはりよい。

にしても、隣の大音響DJブースが近すぎる。いくらフェスとはいえ、音が混ざりすぎ干渉しすぎ。
バトル・ロッカーズとマッド・スターリン の対決ライヴを思い出したくらいだ。

苗場食堂と隣のレッド・マーキーは近くて助かるが、20時スタートの平沢進とは時間差たった20分。
ジンギスカン臭漂う会場はすでに満員。
前半分は立っているが、うしろ半分は自前の椅子。
雨宿りの客も多いとうかがえる。

オープニング・ナンバーとしてはおなじみの(とはいえ久しぶりの)「TOWN-0 PHASE-5」から始まり「Archetype Engine」「フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ」という完全に攻めの選曲。
すでに「HYBRID PHONON」以来、平沢ソロ名義だろうがなんだろうがなんでもアリになっている。
平沢目当てではないオーディエンスも多かろうことを前提に、持ち時間の1時間に詰め込めるだけ詰め込んできた。
「アディオス」「聖馬蹄形惑星の大詐欺師」「アヴァーター・アローン」と比較的最近の曲に続いていよいよ「夢みる機械」へ。
The Musical Tesla Coil Zeusaphone Z-60 は2008年の「PHONON 2551」で初登場して以来11年。
5年前の「HYBRID PHONON」からは使われてなかった(はず)ので、故障してないか心配だったのだが、健在である。
前は見えないし、平沢のヴォーカルもあんまり聴こえなかったが、スパークの光と音はしっかり届いた。

続くイントロはなにこれと思ったら「ジャングルベッド I」というより「Astro-Ho」か。
「Astro-Ho」シリーズはソロ曲の位置づけなのでまったく違和感なかったのだが「ジャングルベッド I」だとすれば95年の「ENDING ERROR」以来。
続く新曲(タイトル不明)は「Perspective」かと思ったほどに素晴らしい。

「Nurse Cafe」「AURORA(4くらい?)」とまくしたてて「白虎野の娘」*であっという間に終了。
「AURORA」はまたぜんぜん変わっててイントロではわからんかった。
ラストはなにが来るかと思いきや「白虎野の娘」というのは、これが現在の代表曲ということか。正しい。

フジロック的に当然なのか異例なのかはわからないが、予想外のアンコールで想定外の「回路OFF 回路ON」を演って解散。

仕込み段階の平沢tweetから力の入りようが伺えたけれども、雨宿りの連中を踊らせるほどに、選曲もパフォーマンスもアレンジも完璧であった。
1時間くらいのコンパクトなライヴっていいものだ。
惜しむらくは低音がびびりまくる音響。
「Astro-Ho」には歌詞があったというが、ぜんぜんヴォーカルなんて聴こえなかったし、心臓に悪い。
散見するtweetなどを鑑みるに、Youtube中継(たぶんライン出力)のほうは音がよかったようだし、意図的とは思えないので、音響システムの特性やオペレーションあるいは仮設会場の構造によるものなのだろう。

その流れで言うとキュアーのライヴで驚かされたのは音のよさ。
科学の進歩を感じる音響システム。
いまどきの野外ライヴ(行かないから知らない)では当たり前なのだろうが、下手なホール・コンサートよりよっぽど音がいい。
ところで、キュアーってあんなに演奏のうまいバンドだっけ? そっちも相当に驚いた。

キュアーのあとホテルでひと休みして卓球のDJへ行こうと思ってたのだが、気がついたらすでに朝。
かっこうが鳴いている。
エレヴェータでチェックアウトへ向かう卓球に出くわしたのが妙に気まずかった。

そういえば、ホテルは出演者やスタッフも泊まっているのでけっこう見かけたのだが、意外とファンが騒いでる様子もなく、そこは大人のイヴェントか。
不愉快だったのは、規制がほとんどないライヴ中の撮影、これまた規制がほとんどなく自由過ぎる喫煙、会場内・ホテル内の導線といったあたりか。

シャトルバスの列の長さに恐れをなして、帰りは路線バスを使ったが、これはなかなかしんどかった。
とはいえ、颱風が前日に通過してくれたおかげで、予想したより困難は少なく、遠出の泊まりがけライヴ程度で済んだ。
点検隊に比べればふつうのライヴの範疇である。

梅雨が明けて一転猛暑のなか帰途へついた。

●役に立ったもの
トレイル・ランニング用防水スニーカ
救済の橋のギルドのミニ・リュック
カッパ

●まったく使わなかったもの
折りたたみ椅子
折りたたみ傘
論理空軍ウィンドブレーカ
ソーラレイ・ブルーシート

防水スニーカは軽くて歩きやすく非常に快適だったのだが、たった1回のライヴのためと思うと痛い出費である。
しかし、一生のうちもう1回くらい行くかもしれない。
その時まで取っておこう。

2019/08/08追記

*ラスト「白虎野の娘」と思ったのだけど、ネット上では「白虎野」と書いてるひと多し。あとは「白虎野+白虎野の娘」って書いてるひともいた。
会場でヴォーカルはあんまし聴こえなかっが、中継でちゃんと聴くと「白虎野」だったらしい。

スターリンはスターレスだった

遠藤ミチロウの訃報を聞いてから、なにか書きたいと思いながらも書けないでいる。
理由のひとつは、自分が好きだったのは遠藤ミチロウのたった一部分でしかない、ということだろう。
結局のところ、多くのミチロウ・リスナー同様、自分にとっての遠藤ミチロウは、ザ・スターリンだったのだ。
これがどうにも引け目に感じてしまうのである。

そして、わたしにとってのザ・スターリンは「絶賛解散中」だった。
わたしにとってのザ・スターリンは1年にも満たない。

初めて観たザ・スターリンは、1984年6月3日・横浜国立大学学祭ステージにて、である。
もちろん目当ては共演のP-MODELだった。

遠藤ミチロウは『ロッキング・オン』に投稿していたので、メジャー・デビュー前から知ってはいたが、キワモノ的な先入観から敬遠していた。
ハードコア・パンクのライヴなんて恐くて行く気がしなかったし、臓物で衣服が汚れるのもいやだし。

それでも、P-MODELとのジョイントであるというので、文字通り恐いもの見たさで行くことにした。
当時最新作だった遠藤ミチロウ・ソロ名義のカセットブック『ベトナム伝説』や『虫』「Go Go スターリン」なんかを弟から借りて予習もしたのだが、いまひとつピンとこなかった。
ライヴを観て印象がまったく変わった……というわけでもない。
屋外ステージの予定が、雨のため急遽屋内の大教室(講堂だったかもしれない)へ変更になり、あまりの人いきれに音を上げて「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました。」あたりで会場から出てきてしまったくらいだ。
PAの上に登って歌詞を読み上げるミチロウの姿を尻目に。
いま思えばイヌの北田コレチカ(昌宏)が参加していた時期の貴重なライヴだったので、もったいないことをした。

しかし、それがどうしたことだろうか。
なぜだか9月14日の後楽園ホールへ行った。

横浜国大のライヴ後、フラッシュバックのようにミチロウの毒が効いてきたのだろうか。
友人から『トラッシュ』『スターリニズム』といった自主制作時代のレア盤まで借りて聴きまくった。
『虫』はいちばんよく聴いた。
あれはなんだったのだろう。

12月29日〜31日の新宿ロフトも通った。
(12月21日・22日はP-MODELも新宿ロフトでライヴだったので、ほんとロフトに通ってるようだった)

明けて1985年2月21日、調布の大映撮影所でのラスト・ライヴ。
1985年1月15日、ミチロウはザ・スターリンの解散を宣言し、すでにソロ・アルバムのレコーディングに入っていた。
解散宣言後のライヴゆえに「絶賛解散中」と銘打たれたわけだ。

美術も演出も「ザ・スターリンというバンドの葬式」をコンセプトに行われたライヴ。
不穏な空気のなか幕を開けたライヴは2部構成で、前半は新作『FISH INN』を中心にしたスロウなナンバー中心、ジャケットを着たミチロウが菊の花を抱いて歌った。
後半は怒涛のザ・スターリン・ベスト・セレクション。

わたしにとってのザ・スターリンは、圧倒的な「終わっていく感」これに尽きる。
ラスト・ライヴ「絶賛解散中」はもちろんのこと、ラスト・アルバム『FISH INN』や解散ライヴに向かっていくザ・スターリンを取り巻く空気そのものがが「終わっていく感」を表現していた。

終焉へ向かっていく高揚感やカタルシスといえば、ザ・ビートルズの『アビィ・ロード』とかキング・クリムゾンの『レッド』あたりが典型だろう。
「スターレス」という曲はいま聴くとちょっと叙情的過ぎるきらいもあるが、終末感に包まれたアルバム『レッド』のエンディングとしては見事である。
ああいったすべてが「終わり」に向けて収束していくテンションの高まりを、ザ・スターリンは最後の1年で表現しきった。
ザ・スターリンはプログレッシヴ・ロックなのだ。

ザ・スターリン解散後、ミチロウのソロ・プロジェクトも追いかけたのだが、なぜだかザの取れたスターリンの『STREET VALUE』あたりから疎遠になり、1992年のスターリン解散後にソロへ転じてからはぱたりと聴かなくなってしまった。
2001年の一夜限りのザ・スターリン復活ライブを観にいったのが最後だった。以来、18年間、ミチロウのライヴは観ていない。弾き語りのライヴも1度くらい観ておこうかなと思ったこともあったが、観ないまま逝ってしまった。
それがどうにも後ろめたい理由だろう。

ミチロウの音楽的な原点であり、後半生の活動の大部分を占めた弾き語りというのが、わたしにとってはもっとも苦手な音楽スタイルなのである。
ミチロウの死後、ドキュメンタリ映画『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました。』も観たが、その点は変わらなかった。

いまたまたまパティ・スミスをSpotifyで聴きながらこの原稿を書いているが、そういえばうちにはパティ・スミスが1枚もない。
よくミチロウはパティ・スミスを影響を受けたミュージシャンに挙げていた。根はフォークだが、時に激しいロックン・ロールを歌うというところはミチロウに近かったのかも知れない。

小柄な優等生の遠藤道郎。
バックパッカーで東南アジアを旅した遠藤道郎。
フォーク・ソングの弾き語りをしていた遠藤道郎。
彼がザ・スターリンの遠藤ミチロウへ「変身」した経緯や心情については、多く語られている。
女性週刊誌に記事が載ったころ、彼の実家界隈では道郎くんは気違いになったと噂され、母親から実家に帰ってくるなと言われたそうだ。

ザ・スターリンのコピー・バンドで歌ったことがある。
わたしは人前に出るのが苦手で、ましてや歌ったりするのはほんとうにダメなのだけど、なぜだかザ・スターリンは歌いたかったのである。
ミチロウの豹変に自分を見ていたのかもしれないし、肉体性を拒絶して生きてきた自分に自己解放を求めたのかもしれない。
歌うという行為は肉体性の回復だった。
とにかくミチロウの歌詞は歌っていて気持ちがいいのだ。
歌っていて笑いがこみ上げてくる。

中央線はまっすぐだ!!

これが現代詩というものなのか、と当時は思った。

そういえば、ビデオ・スターリン時代、ミチロウには1度だけ取材をしたことがある。
かなり意気込んで臨んだのだが、実際にはなかなか話が噛み合わず、会話の深まらないインタヴューであった。
エロ・ヴィデオ雑誌の真面目なインタヴュー・コーナーというミチロウにはぴったりのメディアであったのだが、空回りに終わった。
自分としては感心するという意味で「その年齢でよく裸になりますね」と言ったつまりだったのだが、どうもミチロウには悪意に取られたらしく「いや、イギー・ポップだってさー」と福島訛りで反論されたのをよく覚えている。
1988年だからミチロウは37歳とか38歳だったはず。

あれからさらに30年。とっくにミチロウの年齢も追い越してしまった。
ミチロウのように痩せたまま生きていきたい。

合掌

音のミゾからハロー 番外篇 デヴィッド・ボウイ

ボウイが逝った。

自分が受けた衝撃と喪失感にむしろ驚いている。
もし、ボウイが2013年に『The Next Day』でカムバックしなかったら、もし、それがあんなに素晴らしい作品でなかったら。
もし、死の2日前の誕生日に新譜『★ (Blackstar)』をリリースしなかったら、もし、それがあんなに素晴らしい作品でなかったら。
こんなふうに感じはしなかっただろう。
ボウイの最後の策略にまんまと引っかかったのだ。

考えてみれば、ぼくがボウイを真剣に聴いていたのは1977年から1982年のたった5年間なのである。
出会いが『”Heroes”(英雄夢語り)』というのは幸福だった。
そこから『Low』『Station to Station 』と遡った。
クラフトワークやニュー・ウェイヴを聴きはじめたころだったので、タイミングもよかった。
たしかそのあとに聴いたのが、名作の誉れ高き『 The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(ジギー・スターダスト/屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群)』であるが、最初は「なんだこれ」である。
よく書いているが、ぼくはフォーク・ソングやアコースティック・ギターの弾き語りがほんとに苦手で、この作品世界に入り込むには年月がいった。
ライヴ盤を聴いてからは「Five Years」や「Rock’N’Roll Suicide」も好きになったものの、いまでも、フォークっぽい初期ボウイは苦手である。
同時期のアルバムでは『Hunky Dory』『Aladdin Sane』のほうが好きなくらいである。
ソウルやファンクも苦手なわたしではあるが『Young Americans』『Station to Station』でのいんちきくさいプラスティック・ソウルは大好きである。

しかしながら、ありがちな話ではあるがEMI移籍後のディスコ路線『Let’s Dance』でがっくりし、83年の来日公演 SERIOUS MOONLIGHT TOUR で決別してしまった。
あの剃刀のような「Breaking Glass」を鈍ら刀のようなディスコ・アレンジで聴かされ、ミーハーにも憤ったわけだ。
つまりは、自分にとってのデヴィッド・ボウイはRCA時代のデヴィッド・ボウイなのである。
あー、ありがち、
それでも、もうライヴをやるのはこれが最後という触れ込み(ボウイはそんなことばっかり言ってる)だったので1990年「Sound + Vision Tour」は行ったりしたのである。
そう、すっかり忘れていたが行ったのだ。
東京ドームで観るボウイはやっぱり自分にとってはただのショウでしかなく、どうもしっくりこなかった。
タダ券で酒宴に盛り上がる広告代理店のグループが不愉快だったことくらいしか覚えてない。
自分にとってのボウイのライヴは、岩谷宏のレヴューでしか知らない73年のジギーと、NHK『ヤング・ミュージック・ショー』でしか知らない78年の Low And Heroes Tour である。

そんなこんなで幾星霜、30年ぶりに聴いた新作が『The Next Day』というわけである。
ジャケットからして『”Heroes”』を意識したとわかる作品だが、サウンドが似ているわけではない。
自らの最高傑作を超えるという意味あいだろうが、60代半ばのボウイが歌うラヴ・ソング(だよね?)にやられてしまった。
ザ・ビートルズの「When I’m Sixty-Four」の年齢を超えたボウイが「Valentine’s Day」を歌うわけである。

ここからボウイ熱が再燃し、それまでアナログ盤でしか持ってなかったRCA時代の作品をCDで買い直し、昨年は迷ったけれどもボックス・セットも買って、やっぱり初期フォークのボウイは苦手だと再認識したりしていた。
さてさて『Tonight』(1984)から『Reality』(2003)まで20年間のブランクも埋めるかね、などと思い、なぜか『Earthling』を聴いてがっくりきたりしていたのである。
『★ (Blackstar)』を聴いたあとその思いは強まり『The Buddha Of Suburbia 』『.Outside 』あたりは押さえておこうかと思っていたのである。
正月にT.REXをまとめ買いしてしまったので、来月はボウイかなぁと思っていたのである。
話は逸れるが、T.REXというかTyrannosaurus Rex時代のマーク・ボランが好きになったのはつい数年前である。フォーク嫌いなのでずっと敬遠していたのであるが、ぜんぜんフォークじゃないというか。わたしはフォーク嫌いというより単にボブ・ディラン系が苦手なのかもしれない。アコースティック・ギターでも、Tyrannosaurus Rexはよいです。

閑話休題、ボウイである。

実を言うと、なぜ10代でボウイにあれだけ入れ込んだのか自分でもわかっていない。
それがわかりそうな気がして『The Next Day』『★ (Blackstar)』を聴いていたのかもしれない。

ボウイは70年代におけるロックという概念やイデオロギーを体現していた。
ロックはメディアであり、自分自身もまたメディアであると明示した初めてのミュージシャンである。
それまでもやもやとして曖昧だったロックの概念をはっきりと示し、音楽以上のなにかがあるのではないかという幻想を確信に変えた。
だからこそ、イデオロギー雑誌であった時代の『ロッキング・オン』の看板であった。
強くあるより美しくあれとか、ボウイをメディアとした、岩谷宏の表現もかなり重なっていたと思う。

ちなみに、すっかり名前負けしている株式会社ファッシネイション社名は、ぼくじゃなくて別なスタッフがつけたもので、候補に上がった時には曲名の「Fascination」だと思って「いいんじゃないかな」と言ったのだけど、彼としては「Changes」のフレイズからとったらしい。
「Changes」の Strange fascination, fascinating me♪ ってところ。
まあ「Fascination」の Fascination comes around♪ ってことでもいいのだけど。

そういう意味では、デヴィッド・ボウイの死はロックの死であり、だからこそ、自分でも驚くくらいの衝撃を受けたのだ。
『The Next Day』『★ (Blackstar)』を聴いて、老いや死をテーマにできるミュージシャンはボウイくらいだろうと感じた。
若者にとっての甘美な死の誘惑ではなく、老いと隣り合わせの死。
ボウイほど若くして死ぬことを望まれた(自分自身も一時期はそう望んでいたであろう)ミュージシャンはいない。
「レッツ・ダンス」以降は、RCA時代に死んでいたら伝説になったのにと本気で言うやつも少なくはなかった。

ぼくも一時期はちょっとそうは思ったけれども、かつてのように自分が納得できる作品ができなくてもがき続け、試行錯誤を続けるボウイ(ぼくにはそう見えた)は、100まで生きてほしいと思うようになった。
この先、すごい作品ができちゃったりすることはないかもしれないが、生き続ける姿を見せてほしいと思っていた。

そう思っていたら『The Next Day』がリリースされたのだ。
それは驚くだろう。
ほかのどのミュージシャンも表現できなかった老いや死を引き受けたロック。
ほんとにやってしまった。

『The Next Day』『★ (Blackstar)』の意味がわかるには、まだ20年はかかるかもしれないが、いまは聴き続けるしかない。
などと37.7度の熱でぼーっとしながら思っている。

IMAG0601(書き終わって測ったら、37.9度まで上がってた…)

(結局、38.7度まで上がった…インフルエンザであった…)

『ホログラムを登る男』および「WORLD CELL 2015」に関するメモ その2

「随時更新予定」とか「つづく」とか書いていながら、早1か月。
年も明け、もう正月10日である。

前回は諸事情により急いで書き上げてので、どうもまだまだ言い足りないことがあるような気がしたのだが、しかし、間をおいてみるとライヴについても新譜についても、ことさら付け加えることはないのではないかという気がしている。
意外と言い切っているじゃないかと。

しかもだ。
昨年末にリリースされた『サウンド&レコーディング・マガジン』2016年2月号のインタヴューが非常によいもので、なにを語ってもいまさら感が強い。
さすが國崎さんである。
http://www.rittor-music.co.jp/magazine/sr/15121001.html

インタヴューを読むと、わたしの感想というかメモめいたものもあながち外れていなかったのではないかと安堵したが、それはわたしの読みが鋭いわけでもなんでもなく、平沢進が、そのように伝わるように表現したに過ぎない。
まあ『パースペクティヴ』というより『ポプリ』だったかとか、細かいことはいろいろあるものの。

最初「ホログラムを登る男」(曲のほう)のオーケストレイションは風呂敷を広げるだけ広げて盛り上げには失敗してる(登り切らない)んじゃないかと思ったのだが、ライヴを見たあとでは盛り上げ切らないほうが正解なのかとも思う。

ライヴについても解析サイトなどで詳説されているので、分析はそちらにおまかせ。
いわゆる成功ルート(ハッピー・エンディング)となった初日が、すんなりいきすぎていちばんカタルシスがなかったのは皮肉。選曲やはらはらどきどきのストーリ展開だけでいうなら、在宅参加した2日めがいちばん盛り上がったのではないか。
もっとも、解析サイトじゃないけど、長年見てると曲数バランスや分岐ルールなどインタラクティヴ・ライヴでの不文律によって途中で「あ、こりゃダメだ」とわかってしまうわけだが。
3日めはなんとか成功ルートへ行こうという会場の一致団結が裏目に出たというか、不完全燃焼のきらいがあったようにも思う。しかし、それも3日間唯一のアンコール(曲数の公平性とも言う)「WORLD CELL」で帳消しになった。
和音の出来不出来をユーザ・インタフェイスにするというアイディアも含め、やはり、エンタテインメント性という意味では「ノモノスとイミューム」を凌駕する新機軸であったと思う。
インタラクティヴ・ライヴは無心になんも考えずに楽しんで参加するのがいちばん。といっては元も子もないか。いや、いろいろ考えちゃうから、虚心がいちばん難しいんですけどね。

あ、筑波Gazioラストについてはまたこんど。

 

『ホログラムを登る男』および「WORLD CELL 2015」に関するメモ

平沢進3DAYSが終了した。
忘れないうちに私的断片メモを残しておく。
随時更新予定。

INTERACTIVE LIVE SHOW
WORLD CELL 2015

水道橋・東京ドームシティホール
2015年11月27日(金)
オープング「舵をとれ」
『ホログラムを登る男』全曲
「幽霊船」
「WORLD CELL」

2015年11月28日(土)
オープング「舵をとれ」
『ホログラムを登る男』全曲
「オーロラ(3)」
「橋大工」

2015年11月29日(日)
オープング「舵をとれ」
『ホログラムを登る男』全曲
「オーロラ(3)」
アンコール「WORLD CELL」

1998年開催「WORLD CELL」の再演(続篇)となる。
わたしは初日と楽日に会場、中日は初の在宅参加してみた。

http://interactive-live.org/world-cell-2015/

ライヴに先んじて、アルバム『ホログラムを登る男』もリリースされたが、ライヴからたった10日前の2015年11月18日発売である。こんなに新譜のリリースとライヴが近いのは初めてではないか。

http://susumuhirasawa.com/special-contents/13th-hologram/

よって、アルバム・コンセプトとライヴのコンセプトはリンクしている。というか、ライヴのプロットを作りながら、アルバムのコンセプトを作っていったのかもしれない。
なんで『現象の花の秘密』で影を潜めた(ように見える)怒りがここでまた再燃しているのか、とも思ったが、ライヴを観て納得。
そういうことか。
わたしは勝手に『BLUE LIMBO』『白虎野』『点呼する惑星』を「ディストピア3部作」と名づけていたが、ここにきて『現象の花の秘密』『ホログラムを登る男』は「カタストロフ3部作」とか「終末3部作」って感じになるのなぁ、などとこれまた勝手に考えている。
サウンド的には『突弦変異』『変弦自在』『現象の花の秘密』と続いた還弦主義完結篇というか総集篇。
P-MODEL的手法も管弦サウンドで内包できると踏んでのなんでもあり感。ヴァラエティの豊かさでいったらソロ初期3部作(統合3部作)に通じる。
各楽曲ごとの手法でいうと、既聴感の連続で、新しさというか、平沢的発見・発明は見当たらないが、このすべてを内包したスタイルこそが、平沢史的には新機軸であり、発明と言える。
「Heaven2015」「庭師2015」から「冠毛種子2015」まで。
1巡したということか。これほど「円熟」という言葉が似合わないひとが円熟期を迎えるとは意外であったが、帯にもそのようなことが書いてあるので、意図的なのだろう。

さらに見方を変えると、1曲めから9曲めまでは、10曲めのための壮大なイントロダクションだとも言える。
ラストで大団円を迎えるようなアルバム構成も珍しいといえば珍しい。

アルバムを聴いた時点では「ホログラムを登る」という行為を肯定的なイメージで捉えていた。ヴァーチュアル・リアリティを物理的リアルにしていまうミュージシャン的想像力・創造力を感じた。ない山も登るし、ない橋も渡るし、ない羽で空も飛ぶというような。
しかしながら、ライヴでは乗り越えるべき幻影として描かれている。元も子もない表現をするなら、メディアもしくは統治者が放った情報によって作られた虚構ではなく、自分の目で見た現実に還ろうというような。
平沢流「脱走と追跡のサンバ」か。
近年のインタクティヴ・ライヴは、わかりやすいエンタテインメントを追求しているので、アルバムのテーマや表現とは違うのも当然であるが。
なお、FOOさん情報によると量子論に「ホログラフィック原理」というのがあるそうな。

ライヴでは難解なカタストロフものも期待したが、エンタテインメント路線の新展開であった。
極論すれば、テーマと設定だけあるけど、ストーリーはない、みたいな。一見さん大歓迎、予習の必要なし。よい意味で史上最高に「ゆるい」インタクティヴ・ライヴ。
振るだけ振って回収されないネタ、張るだけ張って放置される伏線。
どんなアクシデントも解決される言葉。「あとはわたしがなんとかしておく」

しかし、それはそれでいいのだ。
インタクティヴ・ライヴは別次元へ向かっているのだから。
すでにインタクティヴであってインタクティヴでない、というような。
ここらへんは『音のみぞ』2号で予想した通り。

また、次回のアルバムのテーマは「食と戦争」であるという大胆予想もしたが、これもあながち外れていないのではないか。
直截的に食に言及した曲があるわけではないが、食の常識というのは、メディアもしくは統治者による情報によって作られた虚構に満ち満ちているのだから。

(続く)

11/22松田勇治が語るナイロン100%からGazioまで BGM曲目リスト&ナイロン100%炒飯レシピ

ニュー・ウェイヴとはなんだったのか PartII vol. 3
ニュー・ウェイヴとカフェ/クラブ〜松田勇治が語るナイロン100%からGazioまで

日時: 2015年11月22日(日)12:00開場/13:00開演
場所: Cafe Bar & Music Gazio
茨城県つくば市吾妻3-16-7
http://gazio-tx.com/

冒頭から「ナイロン100%」を「ナイロン100℃」と言い間違える大ボケ(高橋)からスタートしたトーク・ライヴでしたが、少数精鋭の参加者のみなさんはお楽しみいただけたようで、たいへん安堵しております。
マシン・トラブルもありましたが、松田さんの繰り出すネタの数々に場の雰囲気もなごみ、なんとか切り抜けました。
この回はこれまでと違って具体的な音楽解説はなかったため、曲目を知りたいという要望もありましたので、BGMに使用した曲目一覧を掲載いたします。

001: Spring Is coming with a Strawberry in the mouth / OPERATING THEATER
002: Two tickets for RIO / GRUPPO SPORTIVO
003: Screaming in my pillow / SSQ
004: Honey Dew / MELON
005: ウインター・バスストップ / ヴァージンVS
006: Sad Films / NEW MUSIK
007: I got along without you very well / DRUTTI COLUMN
008: Smack your lips / Residents
009: I know where Syd Barret lives / TELEVISION PERSONALITIES
010: Sugar girl / CURE
011: デンキ / 小川美潮
012: Elstree / BUGGLES
013: See-SawでSee / PSY・S
014: 盗まれたレプリカ / SPY
015: Extrovert / XTC
016: Still Waiting / DOROTHY
017: Hard facts from the fiction department / BILL NELSON
018: わたしのすきなくに / IMITATION
019: LEAK / P-MODEL
020: Honey Mad Woman / RAINCOATS
021: At Last I Am Free / ROBERT WYATT

そして、松田勇治が記憶の奥底からすくい上げたレシピをもとに、You1店長が腕を棒にして作り上げた37人分の「ナイロン100%炒飯」も大好評。こちらもリクエストがあったので公開します。

ナイロン100%炒飯
マツダ_ユウジ @beesworks 11月22日
30年ぶりに試作したNYLON100%レシピのチャーハン(盛付が甘くてちょっと崩れちゃってます)。機材トラブルで時間がなくて一度しかレクチャーできなかったんだけど、それだけで37食を作り上げたU1店長恐るべし。 @gazio_tx

■一人前の材料(具材の分量はお好みで調整してください)

  • チャーシュー(純正レシピとしては渋谷の栄屋肉店で売ってるもの): 15g
  • ナルト: 5g
  • キクラゲ: 2g
  • 卵: 1個
  • 桃屋の(重要!)ザーサイ: 少々
  • ニンニク: 少々
  • ご飯: 150g程度
  • サラダ油 or 白絞油
  • 中華あじ@味の素(これも重要)
  • 醤油

チャーシュー、ナルト、キクラゲは5mm角に切る。ザーサイとニンニクは可能な限り細かくみじん切り。フードプロセッサがあればそれを使うのが吉。葱は薄い輪切りに。
※ここまでに仕込んだものは葱以外全部混ぜちゃって、一食分ずつ小分けにパッキングして冷凍しておくと便利です。店でもそうしてました。

■調理

  1. 卵を割って軽く塩を振ってざっくり混ぜておく。
  2. 中華鍋に油を多めに入れて鍋肌になじませたら油を外す。そのまま煙が立つまで熱してから新しい油を中匙1ぐらい投入。
  3. 混ぜた卵を鍋に入れて混ぜる。ゆるゆるのスクランブルエッグ状態になったら鍋から外す。
  4. 葱を鍋に入れて香りが出るまで炒める。だいたい5〜10秒ぐらい。
  5. その他の材料を入れて混ぜ合わせつつ炒めてからご飯を入れる。
  6. 1分ぐらい炒めたら卵を戻して全体を混ぜつつ中華あじを小匙1/2〜1程度投入。
  7. さくっと混ざったら鍋肌に醤油を数滴たらしてから10回ほど鍋をあおる。醤油はあくまで香り付けなので量に注意。
  8. 完成。スープ(中華あじをお湯で溶く)とサラダ(キャベツの千切り、サニーレタス)を添える。
  9. 炒めすぎないこともポイントかな。卵を鍋に入れてから完成まで2分かからないぐらいが目安です。

松田勇治曰く「化学の力」なそうですが、そんなにキツくないので美味しくいただけました。

『音のみぞ』第2号発行遅れのお詫び

3月末に投稿募集を行い、たくさんの寄稿をいただいた『音のみぞ』第2号ですが、編集・制作作業がたいへん遅れております。
ご協力いただいた方々、読者の方々にはご迷惑をおかけして申し訳ございません。
現在、10月の発行を目標に作業を進めております。
もうしばしお待ちいただけるよう、よろしくお願いいたします。

『音のみぞ』第2号投稿募集「新譜としての旧譜」

『音のみぞ』第2号の制作準備を進めています。
最初隔月とか言ってたやつは誰なんだという感じで季刊すら通過して、いまや立派な不定期刊を目指しています。
いや、目指してはいないのですが、そうなってしまっています、すみません。
さて、第2号ではこんな特集を考えています。

特集: 「一気聴き」の至福もしくは後追いの天国と地獄(仮)
Project Archetype, 太陽系亞種音, Haldyn Dome ―― 新人リスナーはこう聴いた

わたしは常々思っていたのです。
あとから来た者は幸いであると。
だって「一気聴き」ができるじゃないですか。
だってこれまでの「旧譜」をすべて「新譜」として聴けるんですよ。
『太陽系亞種音』と『Haldyn Dome』で100時間連続P-MODEL&平沢ですよ。
ポリドール作品のリマスタ企画「Project Archetype」の仕事をしていた時も、新規リスナーが「新譜」として、どう聴いてくれるだろうか、ということが常に頭にありました。

こうした「初聴き一気聴き」の醍醐味というのは、リアルタイムのリスナーには味わえない楽しみです。
わたしにも覚えがあります。
ザ・ビートルズにしろキング・クリムゾンにしろすでに解散したバンドだったし、ボウイにしろZEPにしろすでにたくさんの作品を発表したあとだったので、歴史を遡る楽しみがありました。
もちろん昔の作品を現役で聴きたかったと思ったし、昔のライヴを観たかったとも思いましたが、後追いには後追いの楽しみがあります。
当時はBOXセットなんてなかったし、中学生や高校生にアルバム10枚いっぺんに買うような財力はありませんでしたが、次はどのアルバムを買おうかなとディスコグラフィを見るのも楽しいものでした。
マンガなんかも連載時に読むのと完結したあとで単行本で一気に読むのとでは、別の作品と言ってもよいほど印象が違ったりします。
ああ、わたしもP-MODEL全作品一気に初聴きなんて贅沢をしてみたかった。
リマスタリングされたソロ初期の5作品を新作として一気に聴いたり、タイムマシンよろしく『error』で30代の映像と初めて出会ってみたかった。

というわけで、次号に向けて投稿を募ります。
文章の長さは問いません。
文章だけではなくイラストでもけっこうです。
こちらのフォームからお待ちしています。

http://fascination.co.jp/modules/ccenter/?form=3

なんだ新規リスナーにばかり迎合しやがってというあなた。
リスナー歴は問いませんので、次回インタラクティヴ・ライヴ完全予想でもなんでも自由なテーマでの投稿をお送りください。
掲載作品には謝礼として掲載誌とプリペイド・カードをお送りします。
創刊第2号は5月下旬〜6月上旬の発行予定です。

あ、制作用PCを新調しなきゃだわ。

音のみぞ1号表4

献本できてよかった

秋元一秀はP-MODEL凍結前のステージ袖で見かけたのが最初だったと思う。
スタッフというか準メンバーのように見えた。
1989年以降は平沢ソロのバンド・メンバーとして認知したが、1990年の世界タービン・ツアー(個人的には12月2日の新宿シアター・アプル夜の部)を最後にバンドを離れた。

それから9年。

P-MODELデビュー20周年/平沢進ソロ・デビュー10周年記念書籍『音楽産業廃棄物』の準備中、版元の編集者に「そういえば、秋元一秀ってなにやってんですかね」と言ったら、怪訝な顔で「なに言ってんですか。秋元きつねでしょ。いまや大先生ですよ」と返された。
なぜか『音楽産業廃棄物』はソフトバンク・パブリッシング(当時)のゲーム書籍の部署で作られていたので、その編集者は秋元きつねとも知り合いであった。
わたしはまったくゲームをやらないので『せがれいじり』の大ヒットも知らなかった。

それからさらに15年。

平沢進ソロ・デビュー25周年記念 Project Archetype の一環としてライヴ・ヴィデオ『error』とライヴCD『error CD』をカップリングで再発するにあたり『サウンド&レコーディング・マガジン』の國崎さんに「機材解説」を依頼していたのだが、情報が足りないとのこと。では、システム周りの担当だった秋元さんに話をきこうということになったが、わたしも國崎さんも交流がない。懇意にしているMecanoの中野店長に渡りをつけてもらい、メイルで取材させていただいた。

秋元さんは國崎さんの細かな質問にもひとつひとつ叮嚀に答えてくれた。訊くほうも訊くほうだが、答えるほうも答えるほうだというくらい、双方ともよく当時のことを覚えている。取材というより、お互いに当時にことを確認し合ってるかのようだった。
秋元さんにはわたしが勝手に思い描いていた人物像をいい意味で裏切られた。

できあがったら見本盤をお送りする約束をして、電子書籍となった『音楽産業廃棄物』と『来なかった近未来』を献本した。
Amiga使いの秋元さんには『来なかった近未来』をぜひ読んでほしかったのだ。
平沢さんのユーモアについて、律儀なコメントをいただいたのは、9月8日のこと。

それからたった1か月と3週間。

IMAG1044

一昨日、見本があがってきた。
一瞬どうしたものかと躊躇したものの、やはり約束通りメーカから送ってもらうことにした。

合掌。

http://kudanwork.wix.com/kitune


http://blogs.yahoo.co.jp/adoopt_s

 

平沢進ソロ・デビュー25周年 Project Archetype 第1弾リリース その2

もう書くことないと言いつつ、質問があったりしたので、選曲についてなど。

2枚組『Archetype | 1989-1995 Polydor years of Hirasawa』のDiscそれぞれの性格だが、プロジェクト始動当初はベストとアルバム未収録(レア音源)集という考えであった。しかし、それではDisc1はシングルになっているような代表曲ばかりになってしまうし、絞るのも大変過ぎる、入りきらない。逆にDisc2の収録曲は少ない。というわけで、出したアイディアがDisc2はシングル+アルバム未収録(レア音源)集というもの。これならば、シングル曲はDisc1からはじけるので選曲に余裕が出て苦しくない。

「ハルディン・ホテル」がDisc1にオリジナルが、Disc2にシングルの「Fractal Terrain Track」ヴァージョンが入っているのは、Disc1とDisc2が別テーマのCDであり、ベスト盤もしくは入門盤という性格であるDisc1に「ハルディン・ホテル」のオリジナル・ヴァージョンは欠かせないとの考えから。もちろん、アルバムとシングルとでヴァージョンが同じならDisc2のみに収録していたとは思う。
じゃあ、逆になぜ「バンディリア旅行団」がシングルの「Physical Navigation Version」ヴァージョンしか収録しなかったかというと、ライナーノーツに竹内さんが書いている通り、録音順からいって、実質的にシングル・ヴァージョンのほうがオリジナルであるから。『ヴァーチュアル・ラビット』収録曲は、シングル・ヴァージョンをアルバムに馴染みやすく「大人しく」したヴァージョンだとも言える。シングルのアレンジのままだときっと浮いちゃうんだよね。で、この曲に関してはシングル・ヴァージョンを収録すれば充分かという判断。
ここらへんは竹内さんと高橋とで意見をぶつけて決めております。

ところで、実は「バンディリア旅行団」には、もう1ヴァージョン存在しており、マスターテープを聴いて「なんだこれ」ということになった。頭にクリック音が入っており、商品とは思えない。あとで調べたところ、クリック・ヴァージョンは『デトネイター・オーガン』の製作発表記者会見(1991年3月1日)等で配布されたラフ・ミックスであることが判明した。みんな忘れてるのだ(笑)。

『サイエンスの幽霊』は、シングル収録の「世界タービン」「フィッシュ・ソング」はDisc2に入れることにしたので、Disc1に入れる曲は迷ったのだが、アルバムの性格がよく出ている「テクノの娘」を選んだ。2枚組でなければ「世界タービン」「ロケット」「フィッシュ・ソング」あたりの選曲で、もしかすると「テクノの娘」「夢みる機械」は選外だったかもしれない。

『AURORA』は、高橋案としては「LOVE SONG」「オーロラ」「舵をとれ」の3曲。選曲の基準は、個人的なベストにしてしまうとえらいことになるので、あくまで「入門書」として機能するような、いわゆるキャッチーな曲、アッパーな曲を中心にしようと思ったからだが、竹内さんより全体のバランスや流れを考慮し、また『AURORA』の性格がわかる曲ということで「広場で」が推された。もちろん、異論はない。「舵をとれ」はベルセルク以降のファンを意識しての選曲でもあったが、わたしも次点としては「風の分身」あたりのメロディや歌唱の美しい曲を考えていた。國崎さんも「広場で」は大好きなナンバーに挙げており、正解だったようだ。

意外と困ったのは『Sim City』の選曲で、当初はマストが5曲、次点が3曲あった。自分ではリリース当初の印象から『Sim City』は苦手なアルバムと思っていたのだが、意外にも好きな作品が多かったらしい。先日の國崎さんとのトーク・ライヴでも力説したが『Sim City』は物議を醸した作品で、拒否反応を示したり、離れていったリスナーも少なくなく、ここでソロ時代最初のの「リスナー入れ替え」が起こったのである。
最終的には、タイトル曲「Sim City」を外すという荒業で『Sim City』からは4曲に絞った。「Sim City」はオリジナル・アルバムやライヴのなかでこそ機能する曲で、単品としては扱いづらいという位置づけである。竹内さんも『Sim City』からの曲は、曲順で最後まで迷っていた。「Lotus」で終わるか「環太平洋擬装網」で終わるかであるが、結局は後者で落ち着いた。

今回のプロジェクトで、平沢さんから示された指針のようなものとしては、既発表曲の扱いは任せるけれども、デモや別ヴァージョンなどの未発表曲は基本的に扱わないというものがあった。お蔵出しではないということだ。ましてや当時はソフトウェア化しなかったTV番組などのソースもなし。個人的にはせめてカセット・ブックの『魂のふる里』は、既発表だし、なんとかCD化したかったのだけど。
レア・ヴァージョンとしては前述した「バンディリア旅行団」のクリック・ヴァージョンのほかにもいろいろあったわけだが、収録は断念。その一部を平沢さんの許可を得て、Gazioのトーク・ライヴで公開させてもらった。

ヴァージョン違いといえば『Archetype』収録の「フローズン・ビーチ」は微妙にヴァージョンが違う。オリジナル・アルバムでは、イントロとアウトロに波や流氷がぶつかる音(らしい)のSEが入っているが、今回はつなぎの関係上、アウトロのSEは入っていない。イントロも含めて完全にSEなしのヴァージョンという案もあったが、迫力に欠けるので見送り。

「フローズン・ビーチ」で思い出したことがひとつ。80年代後半、P-MODELのライヴで「フローズン・ビーチ」のアレンジがのちのソロ・ヴァージョンに近いものに変わって、間奏にキイボードで「炎のランナー」っぽいフレイズが入るようになった時、実はちょっとヤダった。しかし今回、國崎さんのライナーノーツでソロ・デビューにあたっては「歌えるヴァンゲリス」というコンセプトがあったことを知り、そういえば平沢さん、ヴァンゲリス好きだって言ってたなぁ、あれは狙いだったのかとようやく理解した。

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