平沢進3DAYSが終了した。
忘れないうちに私的断片メモを残しておく。
随時更新予定。
INTERACTIVE LIVE SHOW
WORLD CELL 2015
水道橋・東京ドームシティホール
2015年11月27日(金)
オープング「舵をとれ」
『ホログラムを登る男』全曲
「幽霊船」
「WORLD CELL」
2015年11月28日(土)
オープング「舵をとれ」
『ホログラムを登る男』全曲
「オーロラ(3)」
「橋大工」
2015年11月29日(日)
オープング「舵をとれ」
『ホログラムを登る男』全曲
「オーロラ(3)」
アンコール「WORLD CELL」
1998年開催「WORLD CELL」の再演(続篇)となる。
わたしは初日と楽日に会場、中日は初の在宅参加してみた。
interactive-live.org/world-cell-2015/
ライヴに先んじて、アルバム『ホログラムを登る男』もリリースされたが、ライヴからたった10日前の2015年11月18日発売である。こんなに新譜のリリースとライヴが近いのは初めてではないか。
susumuhirasawa.com/special-contents/13th-hologram/
よって、アルバム・コンセプトとライヴのコンセプトはリンクしている。というか、ライヴのプロットを作りながら、アルバムのコンセプトを作っていったのかもしれない。
なんで『現象の花の秘密』で影を潜めた(ように見える)怒りがここでまた再燃しているのか、とも思ったが、ライヴを観て納得。
そういうことか。
わたしは勝手に『BLUE LIMBO』『白虎野』『点呼する惑星』を「ディストピア3部作」と名づけていたが、ここにきて『現象の花の秘密』『ホログラムを登る男』は「カタストロフ3部作」とか「終末3部作」って感じになるのなぁ、などとこれまた勝手に考えている。
サウンド的には『突弦変異』『変弦自在』『現象の花の秘密』と続いた還弦主義完結篇というか総集篇。
P-MODEL的手法も管弦サウンドで内包できると踏んでのなんでもあり感。ヴァラエティの豊かさでいったらソロ初期3部作(統合3部作)に通じる。
各楽曲ごとの手法でいうと、既聴感の連続で、新しさというか、平沢的発見・発明は見当たらないが、このすべてを内包したスタイルこそが、平沢史的には新機軸であり、発明と言える。
「Heaven2015」「庭師2015」から「冠毛種子2015」まで。
1巡したということか。これほど「円熟」という言葉が似合わないひとが円熟期を迎えるとは意外であったが、帯にもそのようなことが書いてあるので、意図的なのだろう。
さらに見方を変えると、1曲めから9曲めまでは、10曲めのための壮大なイントロダクションだとも言える。
ラストで大団円を迎えるようなアルバム構成も珍しいといえば珍しい。
アルバムを聴いた時点では「ホログラムを登る」という行為を肯定的なイメージで捉えていた。ヴァーチュアル・リアリティを物理的リアルにしていまうミュージシャン的想像力・創造力を感じた。ない山も登るし、ない橋も渡るし、ない羽で空も飛ぶというような。
しかしながら、ライヴでは乗り越えるべき幻影として描かれている。元も子もない表現をするなら、メディアもしくは統治者が放った情報によって作られた虚構ではなく、自分の目で見た現実に還ろうというような。
平沢流「脱走と追跡のサンバ」か。
近年のインタクティヴ・ライヴは、わかりやすいエンタテインメントを追求しているので、アルバムのテーマや表現とは違うのも当然であるが。
なお、FOOさん情報によると量子論に「ホログラフィック原理」というのがあるそうな。
ライヴでは難解なカタストロフものも期待したが、エンタテインメント路線の新展開であった。
極論すれば、テーマと設定だけあるけど、ストーリーはない、みたいな。一見さん大歓迎、予習の必要なし。よい意味で史上最高に「ゆるい」インタクティヴ・ライヴ。
振るだけ振って回収されないネタ、張るだけ張って放置される伏線。
どんなアクシデントも解決される言葉。「あとはわたしがなんとかしておく」
しかし、それはそれでいいのだ。
インタクティヴ・ライヴは別次元へ向かっているのだから。
すでにインタクティヴであってインタクティヴでない、というような。
ここらへんは『音のみぞ』2号で予想した通り。
また、次回のアルバムのテーマは「食と戦争」であるという大胆予想もしたが、これもあながち外れていないのではないか。
直截的に食に言及した曲があるわけではないが、食の常識というのは、メディアもしくは統治者による情報によって作られた虚構に満ち満ちているのだから。
(続く)