「随時更新予定」とか「つづく」とか書いていながら、早1か月。
年も明け、もう正月10日である。
前回は諸事情により急いで書き上げてので、どうもまだまだ言い足りないことがあるような気がしたのだが、しかし、間をおいてみるとライヴについても新譜についても、ことさら付け加えることはないのではないかという気がしている。
意外と言い切っているじゃないかと。
しかもだ。
昨年末にリリースされた『サウンド&レコーディング・マガジン』2016年2月号のインタヴューが非常によいもので、なにを語ってもいまさら感が強い。
さすが國崎さんである。
www.rittor-music.co.jp/magazine/sr/15121001.html
インタヴューを読むと、わたしの感想というかメモめいたものもあながち外れていなかったのではないかと安堵したが、それはわたしの読みが鋭いわけでもなんでもなく、平沢進が、そのように伝わるように表現したに過ぎない。
まあ『パースペクティヴ』というより『ポプリ』だったかとか、細かいことはいろいろあるものの。
最初「ホログラムを登る男」(曲のほう)のオーケストレイションは風呂敷を広げるだけ広げて盛り上げには失敗してる(登り切らない)んじゃないかと思ったのだが、ライヴを見たあとでは盛り上げ切らないほうが正解なのかとも思う。
ライヴについても解析サイトなどで詳説されているので、分析はそちらにおまかせ。
いわゆる成功ルート(ハッピー・エンディング)となった初日が、すんなりいきすぎていちばんカタルシスがなかったのは皮肉。選曲やはらはらどきどきのストーリ展開だけでいうなら、在宅参加した2日めがいちばん盛り上がったのではないか。
もっとも、解析サイトじゃないけど、長年見てると曲数バランスや分岐ルールなどインタラクティヴ・ライヴでの不文律によって途中で「あ、こりゃダメだ」とわかってしまうわけだが。
3日めはなんとか成功ルートへ行こうという会場の一致団結が裏目に出たというか、不完全燃焼のきらいがあったようにも思う。しかし、それも3日間唯一のアンコール(曲数の公平性とも言う)「WORLD CELL」で帳消しになった。
和音の出来不出来をユーザ・インタフェイスにするというアイディアも含め、やはり、エンタテインメント性という意味では「ノモノスとイミューム」を凌駕する新機軸であったと思う。
インタラクティヴ・ライヴは無心になんも考えずに楽しんで参加するのがいちばん。といっては元も子もないか。いや、いろいろ考えちゃうから、虚心がいちばん難しいんですけどね。
あ、筑波Gazioラストについてはまたこんど。