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ケラ&中野テルヲメモ

ケラ&ザ・シンセサイザーズ × 中野テルヲ
2011/12/18(Sun) at 新宿LOFT

●「中野テルヲ納め」かつ「シンセサイザーズ始め」となるライヴ。そう、諸事情によりシンセサイザーズは久しぶりなのだ。
●10日前のことなので記憶が定かではないが、開演前には『Music For Airports』かなんかが流れていた、気がする。

中野テルヲ

●中野テルヲは高円寺HIGHの2階席から観ることが多いので、真っ正面最後列というのは新鮮。センサを操作する手の動きがいつもより大きく派手に見えるのは気のせいか機材配置のせいか。
●ただ、前半はどうにも音が小さいのが気になった。バランスは悪くなく、各音源やヴォーカルもよく聞こえるのだがサウンドの密度が低い。
●終演後に、中野テルヲや高橋芳一と話したところ、気のせいではないようであったが、天井が低く客に音が吸収されやすいというLOFTの構造上の問題が大きいようだ。
●そんな粗も気にならなくなったライヴ中盤、予想(期待)通りにケラとみのすけが登場。ロング・バケーションとしてカヴァーしたザ・モノクローム・セットの「The Ruling Class(支配階級)」を中野ソロ的アレンジで演奏。
●再会は昨年。2010年10月2日に同じ新宿LOFTで行われた中野テルヲのライヴ打ち上げに、LOFT/PLUS ONEでトーク・ライヴを終えたケラが合流。1995年のロング・バケーション活動休止後、15年ぶりになるケラとの再会を中野テルヲは喜んだという。
●その夜、ケラもこんなことをtweetしていた。「帰りに犬山と緒川さんとロフトに寄って、中野テルヲらに挨拶。中野くんと来年何かしら一緒にやりたいもんだと話す
●アンコールで大々的にというわけではなく、中野テルヲのステージ中にさらりと1曲だけやるというのがカッコいい。なにごともなかったかのようにソロへと戻る。これは美意識だろう。
●そういえば、ケラも8月末に「年内に、ほんの数曲でも数分でもいいから、久しぶりに中野テルヲと人前で何かやれないかと考えている。みのすけも呼べるといいな。まだ考えてるだけだが」と言いながら「(ロング・バケーション再結成のような)そんな大仰なアレではなく。ひっそり」とtweetしていた。
●「行っちゃえ!」と始まったラスト前「Let’s Go Skysensor」でマシン・トラブルというのもよい中野納めであった。

ケラ&ザ・シンセサイザーズ

●前回は「渋谷クラブクアトロで観た」ということだけ記憶している。たぶん96年あたりだから、5年ぶり。申し訳ございません。
●演出家として名をなしてからケラを知った世代は、もしかしたらバンド活動を余技とかお遊びと思っているかもしれない。しかし、かつてケラは音楽と芝居の両方やってないとバランスがとれないということを常に言っていたし、それはいまも変わらないだろう。
●自分のように音楽から入った世代は、最初のうち「劇団健康」をお遊びだと思っていたくらいだが、それもまた間違いであった。
●tweetを探しても見つからないので不確かだが、ケラは「どうしてバンドは芝居みたいに客が入らないんだろう」みたいなことを言っていた。これは本気なのだろう。そういえば以前は「演劇では日本で5本の指に入ってしまうようになっちゃったけど、音楽ではそうはいかない。やはり芝居のほうが世界が小さく、音楽のほうが層が厚い」(大意)ということも言っていた。
●演劇も本気だし、音楽も本気。最終的に表現したいことも同じなのではないか。ただ、芝居のほうは(作品にもよるが)練りに練った複雑で論理的な構成で、ケラ個人に興味のない客も楽しませるようになっている。
●いっぽう音楽はケラそのものだし、表現がもっとストレイトだ。特にケラ&ザ・シンセサイザーズは、バンド名が示すように、その色合いが強い。なにより、ケラがいかに最高の気分で歌えるかが重要だし、バンドもそのために最高のサウンドを目指す。これが共有できれば、受け手も最高の気分になれる。
●シンセサイザーズは有頂天の曲もやればルースターズのカヴァーもやる。なんでもありだ。外野としては「これが有頂天です」と言ってもよいのではないかと思うが、ケラにとってそれはありえないことのようだ。いっそ元メンバがふたりもいるP-MODELと名乗るほうがまだアリなくらいに。
●アンコールでふたたび、みのすけがアコースティック・ギターで加わっての「ケムリの王様」は、わたしもケラとよきものが共有できた気がして昂揚した。終演後、バンド・マスター三浦俊一も満足げであったし、ケラもこんなふうに振り返っている。
●「仕事納め3DAYS終了。ケラ&ザ・シンセサイザーズロフト2DAYS、二日目の共演は中野テルヲ。みのすけも呼んで、あの三人で15年ぶりに一曲。楽しかったよ。シンセサイザーズのステージも、やりきった感があるのではないか。皆さんお疲れ様でした。来てくれた方ありがとう

11月の黄昏サラヴァメモ

11月の黄昏 Crépuscule de novembre
2011.11.20(Sun) at サラヴァ東京

  • テノリエリ(tenorierie) http://www.myspace.com/tenorierie
  • 上野洋子 http://www.uenoyoko.com/
  • Shampoo http://www2.biglobe.ne.jp/~shampoo/SHAMPOO/HOME.html

▼初めて入るサラヴァ東京は椅子は60席ほどで、ライヴ・ハウスというよりカフェのように洒落ている。それもそのはずSaravahは1965年にピエール・バルーが設立したヨーロッパ最古のインディペンデント・レーベル、らしい。
▼隣のM田さんが「屋根裏くらいの広さかな」などと言う。もちろんロンドンと同じビルにあった屋根裏のことで、客席の広さはそんなものだが、サラヴァのステージはグランド・ピアノを置けるくらい広く屋根裏の倍以上ある。屋根裏はライヴ・ハウスの単位なのか。

▼テノリエリは、ライヴ前にMySpaceで「予習」した際「谷山浩子meetsテノリオン」とか思ったけど、そう外れてなかったみたい。
▼TENORI-ONによる弾き語りってことで、なかなか聴かせる。小さな風船を次々と割って音を出すのはなかなかなアイディア。
▼TENORI-ONって裏から見てもきれいなのね。

▼上野洋子はモールス信号をフィーチュアしたナンバーからスタートし、お、中野テルヲか高橋芳一かと思ってしまう。
▼ライヴ・コンセプトの「テクノかつファンタジー」というリクエストに応えるため「金沢明子meetsクラフトワーク」なパフォーマンス。「RADIO ACTIVITY/FUKUSHIMA」でソユーズ・プロジェクトとも勝手にシンクロ。
▼プログラマブルな世界最古のテクノ楽器という解釈でパンチカード式オルゴール(シート式オルガニート)で弾き語り。
▼さらには、テノリエリに感化されたたとかでTENORI-ONならぬKAOSSILATORでカオシヨーコな「雨降りお月さん」はなかなかぴったりなアレンジ。

▼Shampooは正装したKCのグランド・ピアノをバックに真っ白い盛装の折茂昌美が歌う「花束のプレゼント」でスタート。
▼横川理彦のヴァイオリン、molekul(PEVO2号)のフレットレス・ベースが加わりバンド編成になると、戦前の場末のナイト・クラブみたい(見たことないけど)な様相でジャズ、シャンソン、ボサ・ノヴァといった要素が混じり合う。
▼「シャンプーmeetsピエール・バルー」といった趣きのサラヴァ東京まんまなステージだったが、ピエール・バルーの「冬のある日」は、この日のためではなくたまたま以前もカヴァーしたこともあったとか。
▼ステージごとに様相の異なるシャンプーだけど、特にこのステージを見られたのは貴重だったかも。コーディネイトした木暮さんに感謝。

Shampoo
デザイナー・天津学さん撮影によるシャンプーのステージ。大きいサイズはfaccebookへ。レポートもここの文章よりわかやすく詳細で素晴らしい。
BLIZZARD DRIVE
Shampooのアルバム・タイトルおよび曲名にちなんだオリジナル・カクテル BLIZZARD DRIVE pix by mazda u

▼サラヴァ余談

  • 前日の高円寺HIGHのステージおよびバック・ステージに集った面々の重複率が高かったけれど、この日、中野テルヲと鎮西暴力音楽技師の2ショットを見られたあなたは幸運かもしれない。
  • 菊池達也、横川理彦、中野テルヲという歴代P-MODELベーシストによる奇蹟の3ショット(わたしは見ていない)に遭遇したあなたは、もう先が長くないかもしれない。
  • そこに三浦俊一まで会していたのだから、全P-MODELメンバの1/3が集結していたこになる。
  • 黒いPowerbookが世界一似合う中野テルヲは、白いiPhoneは世界一似合わないミュージシャンであることも判明。
  • そんな元P-MODELメンバがもっとも気にかけているのが田井中貞利の行方である。
  • 田井中貞利はP-MODEL内のアイドルだったらしい。

11/23附記: 小西さんはサラヴァには来ていなかったそうで(前日の記憶が混濁)その箇所は修正しました。

マルチプル高円寺ハイメモ

4-D mode1 presents Multipel Konversation
2011.11.19(Sat) at 高円寺HIGH

  • 高橋芳一 http://twitter.com/#!/UTS_takahashi_y
  • バチバチソニック http://bbsonic.exblog.jp/
  • monogramme http://seal-s.com/
  • 4-D mode1+Sabrina http://4dmode1.jp/

▼高橋芳一は以前のライヴの印象もあり、アンビエント・テクノ的なサウンドのスタティックなパフォーマンスを想像していたら、中野テルヲに続きまさかのハンド・マイク。ノイバウテンのブリクサを彷彿とさせる唸り声に驚愕。
▼あとできいたところ、平沢進以外で高橋芳一が敬愛するヴォーカリストはデヴィッド・シルヴィアン、ペル・ウブ(デヴィッド・トーマス)、キャプテン・ビーフハート、ダモ鈴木、原マスミらしい。
▼なるほどデヴィッド・シルヴィアン的うねりヴォーカルもありました。

▼バチバチソニックってこんなにグルーヴィだったっけ。前に観た時とえらく印象が違う。
▼005Harryのアタックが強くてスネアが派手なドラムと伊藤英紀のフレットレスじゃないのにフレットレスみたいなベース(なんという幼稚な表現)のコンビネイション。seogram(Vo)のパフォーマンスも余裕が出てきた。
▼PEVO1号のタルボは言及するまでもないのだが、あれ、前からLEDついてたかな。
▼バチバチソニックによる強烈にパーカッシヴな「ATOM-SIBERIA」を聴いたので、翌日、非常に久しぶりに『ANOTHER GAME』を聴いてみたのだが、どうも物足りない。記憶の音はライヴなのだ。005Harryのドラムは田井中さんみたいに派手かつ荒木さんみたいに音がデカくて正確だった。

▼いまのトリオ編成モノグラム(monogramme)のライヴは初めてだが、これまで観たなかではベストではいか。
▼その時々でメンバーも音楽性も変化してきたモノグラムなのだけど、今回は中学時代のメンバーとかでモノグラムの原点。
▼キイボードはシーケンサに任せて、ギター、ベース、ドラムというシンプルな構成、ロックン・ロールでも不思議ではない3ピース・バンドだ。
▼中井敏文のヴォーカルが際立つ。ついうっかり中井さんが歌が上手いってこと忘れてました、すみません。
▼途中、シークレットというかサプライズって感じで、ゲストのケラが登場。一時期は中井敏文も参加していたザ・シンセサイザーズの「だいなし」モノグラムがナゴムから出した「てみやげ」そしてP-MODELの「HEAVEN」と3曲をデュエット。
▼この日は中井本人もベスト・パフォーマンスの自覚と感慨があったそうで、終演後も充実感をたたえていた。

▼4-Dは、ニュー・アルバムにも参加しているというゲストのサブリナから登場。カメラマンだとばかり思っていたので、その正当派ソプラノに驚く。
▼モノグラムの「HEAVEN」に呼応するかのように演奏されためちゃくちゃファンキイなアレンジの「AFTER DINNER PARTY」で盛り上がる。イトケンのドラムも冴える。
▼アンコール「Very」はあのPVのせいでつい笑ってしまう。
▼来年で結成30周年という4-Dだが、mode1の3人はソロでもパフォーマンスできるそれぞれが自立したミュージシャンによるユニットだからこそ、どんなメンバーやゲストが入っても成り立つ。その強みと魅力を活かした記念イヴェントの開催を期待してしまう。

4-D mode1
4-Dのジャケットも手がけるデザイナー・天津学さん撮影による4-Dのステージ(大きいサイズはfaccebookへ)

▼驚いてばっかりだった4時間の余談

開演前に中井さんから、ことぶき光がP-MODEL在籍時代に 「different≠another」をやっていたかときかれた。
P-MODELのライヴにおいて「different≠another」は、伝統的にキイボードが「different!!」とシャウトすると平沢進が間髪入れず「another!!」とシャウトし返すのがお約束になっていた。
高橋芳一の解脱シャウトは印象的だったが、ことぶき光のシャウトは覚えがないなあという話。
(ここで実際には中井さんが、ことぶきさんのモノマネで「different≠another」をシャウト)
あとで調べてみたら、ことぶき光在籍時に「different≠another」は1回だけ1990.9.23にやってるのだけど、その際はゲストのケラが「different!!」とシャウトしたのだった。

デンシコン2高円寺メモ

2011.11.12 デンシコンツアー2 at 高円寺HIGH に関するメモ

1: デンシコンツアーとは三浦俊一が主宰するビートサーファーズのレーベル「電子音楽部」所属ミュージシャンによるコンサート・ツアー(東名阪)のことである。
出演 = 中野テルヲ / soyuz project / COSMO-SHIKI feat. miurashunichi

2: 清水良行のソロ・プロジェクトCOSMO-SHIKI(コスモ式)は、三浦俊一がギターでサポート。バンド・マスターではないし、いいあんばいにリラックス。

3: カヴァが1曲あったのだけど「あの曲なんだっけ、あの曲」と曲名を丸1日思い出せなかった。記録されていることは記憶しない主義なのだ。

4: 福間創のソユーズ・プロジェクトには「iPad VJ」として、デスクトップワークス代表の田口真行が参加。自社開発したVJアプリケイション(もうじきiTunes Storeで正式リリース)を使って、ステージ上でリアルタイムに映像処理する。

5: ビールを飲みながらプレイしていた福間さんよりも、アルコールが入っていないと思われる田口さんのほうがノリノリで踊りまくってVJしていたのが印象的。客席でiPadを回してオーディエンスがVJ参加する簡易インタラクティヴ・ライヴ的演出も楽しい。

6: オブジェクトをドロップしたりピンチ・イン&アウトしたりという簡単な操作でVJできるツールはほんとのインタラクティヴ・ライヴでも使えるかも。カメラのリアルタイム映像とミックスもできるし。

7: 中野テルヲはツアー用の必要最低限で組んだコンパクトなセットで登場。映像もなくいたってシンプルなステージは、さびしくはなく、むしろカッコいい。ただし衣装はドレス・アップ(笑)。

8: 独特の「寡黙(ストイック)なライヴ」で知られる中野テルヲだが、スカイセンサー(3バンド・ラジオ)を振り回したり、前に出てハンド・マイクで歌うといったサーヴィス(新境地?)もあり。

9: ダブ好きの中野テルヲはダブをフィーチュアした「My Demolition Work」シリーズというシングルを3枚リリース。京都市立芸術大学の学園祭では狂言と競演したらしいし、12月18日にはケラ&シンセサイザーズと新宿ロフトでライヴをやる。2年前まで5年ほど活動休止していたとは思えない。

10: このメンバーでのライヴなら客席は寿司詰めになるかと思いきや、少し余裕があって、当日券も出たもよう。去年から本年にかけて元P-MODEL界隈のライヴで見られた異様な熱狂は落ち着いてきたようだ。

11: 2012年2月11日(日)には高円寺HIGHでソユーズ・プロジェクトの1マン・ライヴがある。そこでまた新たな局面が見えてくるかもしれない。

2011年11月12日の月

喰わず嫌いの治し方 その2

実を言うと、わたしは日本で言うところのエレポップがダメだった。
テクノ・ポップやニュー・ウェイヴが好きな人間なら嫌いなわけはなかろうと思う向きもあるだろうが、なぜだかどしてだか苦手だった。
もともとディスコっぽいサウンドが苦手だったからではないかと思われる。
フュージョン+ディスコのYMOがダメだったのもそこらへんにルーツがありあそうだ。
なお、ここで言うエレポップは80年以降の音楽です。
それはさておき、エレポップ嫌いは10年ほど前にニューオーダーのシングル集とミュートのコンピレイションで悔い改めたので許してください。
でもOMDはやっぱり恥ずかしい。

さて、レーベル単位という狭いジャンルを克服してもしょうがいないので、もっと大きく出てみよう。
わたしの苦手な広大なジャンルにフォーク・ソングというのがある。
フォーク・ソングは直訳すると民謡になってしまうがそうではなく、もちろんフォーク・ギターで弾き語るアレである。
という説明をしなくてもたいていのひとはそう思う。
フォーク・ソングにも細かいジャンル分けや定義づけもあるだろうが、とにかくアレ一般がダメなのである。
フォーク・ギターでもってジャカジャカやるだけの音楽のどこがいいのか、まったくもって計り知れない。
それじゃあおまえが好きなロックとかいうのはエレクトリック・ギターでギュンギュンやる音楽でいいのかと言われれば、それでいいです。
それじゃあおまえが好きなテクノ・ポップとかいうのはシンセサイザーでピコピコやってる音楽でいいのかと言われれば、それでいいです。

とにかくフォーク・ギターでもってジャカジャカやる音楽の総本山とされるのが、たぶんボブ・ディランなんだろう。
まずはここから攻略してみよう。
これまで避けて通ってきたが、ジョン・レノンだって、デヴィッド・ボウイだって多大な影響を受けたどころかパクったとさえ言われているボブ・ディランである。
もしかして好きになるかもしれない。
しかしだ、ジョン・レノンにしろ、デヴィッド・ボウイにしろ、フォーク・ギターでもってジャカジャカやるタイプの曲はあんまり好きじゃないのである。
実を言うとデヴィッド・ボウイは『スペース・オディティ』を持っていないし『ジギー・スターダスト』より『アラジン・セイン』のほうが好きなのである。
「フリー・フェスティバルの思い出」とか、なんだかなあと思ってしまう、ごめんなさい。
ところで『スペース・オディティ』ってタイトルより『Man of Words, Man of Music』のほうがよかないか。
幼少時には2種類のタイトルがあって混乱したぞ。
『ハンキー・ドリー』も「Changes」「Oh! You Pretty Things」「Life On Mars?」とかすごくいいんだけど「Song For Bob Dylan」「The Bewlay Brothers」とかになるとしらけちゃうんだよなあ、ボウイの声はいいんだけど、ごめんなさい。
あ、でも「Quicksand」はけっこう好きかも。

というわけでディラン入門篇としては、ロック寄りになったと言われる『Highway 61 Revisited(追憶のハイウェイ 61)』あたりが抵抗感が少なかろうと予測されるので、ピーター・ガブリエルの還弦アルバム『New Blood』を買うついでにカートに入れた。
で、聴いみた。
ん? これ、ロック転身アルバムなんですか。
エレキを使ってるってだけで、あたしにはまごうことなきフォーク・ソングなんですけど。
もしくはブルース?
マイク・ブルームフィールドとかアル・クーパーも参加した作品として知られているが、わたしにとっては附加価値にならないんだよな、ここらへん。
そうですよ、そうですとも、アメリカン・ロックという極めて大雑把なくくりのジャンル分けがかつて存在しましたが、わかるひとにはわかるそこらへんのバンドはぜんぜんよさがわからなかったんだよなあ。
アメリカン・ロックとかブリティッシュ・ロックというジャンル分けが意味をなしたのは70年代までだろうか。
もうちょっと狭めてウェストコースト・サウンドとかサザン・ロックとかいうくくりもあったなあ。
ザ・バンドとか? ドゥービー・ブラザーズとか? CCRとか?
イントロでスルーしちゃいました、すみません。
ZZトップはバカバカしくてちょっとおかしいと思ったけど。
アメリカのバンドで聴いたのは、キッス、エアロスミス、ドアーズ、ヴェルベット界隈、テレヴィジョン界隈、トーキング・ヘッズ界隈、そしてDEVOくらいじゃないかろうか。
ああ、狭い。

そういえば、ジャカジャカ・ギターだけでなく、ハーモニカ、ブルース・ハープというやつもあまり好きでないのだな。
いや、実を言うとブルース、ブルーズ、あれがダメなんだから致命傷。
ブルースといえばロックにとっては親も同然。
神聖にして侵すべからず。
あれを否定する輩はロックも聴いちゃいけません。
そう言われそうだが、身体がまったくなじまないのだから仕方がない。
ハード・ロックにしてもプログレッシヴ・ロックにしても、ブルースの変形ということはわかるが、変形したものが好きだからといって原形が好きだとは限らない。

というわけで、やはりボブ・ディランは身体が受け付けませんでした。
フォーク・ソングを攻略するには別なルートから登ったほうがよいのかもしれない。
ブリテッィシュ・トラッドとかブリテッィシュ・フォークとかから聴いてみるべきであったか。
ケルト系はぜんぜん抵抗感がないからな。
ジャガジャガは嫌いだが、アルペジオは好きだぞ。
フェアポート・コンヴェンションとかペンタングルとか、ちゃんと聴いたほうがいいですか?
ただ、ジミー・ペイジが敬愛するバート・ヤンシュといっても、ZEPのフォークっぽい曲は飛ばして聴いてたほうだぞ。
ああ、狭量。

そして、喰わず嫌い(ほんとはちょっと食べたけど嫌い)を克服するためには、超えるべきさらなる巨大な山がある。
黒人音楽、ブラック・ミュージック、である。
ああ大きい。
実はブルースどころか黒人音楽全般が苦手なのである。
にしても「黒人音楽」というくくりはひどくないか。
人種はジャンルじゃないだろ。
白人音楽という言い方は文脈によってしないでもないが、イエロー・ミュージックとか言わないよなあ。
もちろん、黒人がクラシックをやっても黒人音楽とは言わないし、民族音楽としてのアフリカ音楽もあまり黒人音楽とは言わないので、ふつうはアメリカの黒人(民族もしくは集団)をルーツとする音楽を指すのだろうけど、それにしても幅が広すぎる。
そしてその広大かつ高く聳え立つ黒人音楽連峰が総じて苦手なのだから、困ったものだ。
抵抗感がないのは、せいぜいレゲエ(って黒人音楽?)くらいか。
ソウルやブルースも白人のぎこちないインチキくさいもののほうがやはりしっくりくる。

そういえばむかし、ひとから平沢進の音楽を指して「これだけ黒人音楽の影響を感じない音楽も珍しいよね」と言われたことがある。
ま、人間そんなもんだ。

Sweet Child

喰わず嫌いの治し方 その1

食べものに好き嫌いはほとんどない。
ましてや喰わず嫌いはない。
進んでは食べないものというのはあるが、食卓に供せられたならだいたいなんでもいただくほうである、虫以外は。

しかるに、音楽は好き嫌いが多い。
喰わず嫌いも多い。
いや、喰わず嫌いと言えば嘘になるが、アルバムをちゃんと聴くことなく、なんとなく耳に入ってきた数曲で嫌っているミュージシャンは多い。
ジャンルごと嫌いな音楽のほうが多いのではないかと思うくらいだ。
こう音楽の許容範囲が狭いと人間も狭量なのではないかという気がしてくる。
いや、気がするのではなく実際に小さいのだ。
人間極小だ。

かといって、音楽の趣味を狭めることで人生も狭めているのではないかと反省した、ということはまったくないのだが、第1印象で決めつけて聴かずに損をしている音楽もあるかもしれないし、それではもったいない。
というわけで聴いてみることにした。
きっかけは円高というか、ドル安、ユーロ安、ポンド安である。
輸入盤なら500円もせずに買えるアルバムは多い。
しかもボーナス・トラックやボーナス・アルバムがついてたりもする。
お目当てのアルバムを注文するついでに、どうでもよい(と自分では思っていた)アルバムを買ってみることにした。
10代はアルバム1枚買うのに吟味に吟味を重ねたものだが(5000円の小遣いでは月に2枚も買えないだから当然だ)溝に捨てる気持ちで買えるとはいい時代になったものだ。
ま、それでも激しく後悔はするけど。

第1弾はZTTレーベル系。
ジャンルを広げると言いながら、これまた狭いジャンルだが、ま、いい。
アート・オブ・ノイズはリリースされた当時、手法は面白いけど音楽はつまんない気がして買わなかったのだ。
なんか、技法のための習作集というか、音楽はただのお遊びみたいなもんで、1曲聴けばいいっていうか。
あれから四半世紀が経ち、ZTT時代のオール・イン・ワンみたいなベスト盤『Daft』が安く売ってたので、なんかちょっと聴いてみたくなって買ったみた。
しかし、四半世紀前の自分は間違っておらなんだ。
四半世紀を経て買ってしまった自分がバカ。
やっぱりつまんないよ、これ。
バグルスにしてもイエスにしても、トレヴァー・ホーンのかかわった作品はどれも企画モンくさいんだよな。
いや、好きなひとはそこを評価するんだろうけど。
ああ狭量。

プロパガンダはジャパンと交流があったくらいなので、好きな曲もあった気もするのだがすでに記憶の彼方。
『A Secret Wish (25th Anniversary Deluxe Edition) 』というオマケCDがついた2枚組が2.64ポンド。
買ってみた。
けど、ああ、やっぱダメだわ。
いや、曲によっては好きだったりするのだが。
たとえば「Jewel」なんかいいかなって思うし「P-Machinery」にしてもイントロダクションはいいんだけど、大仰で俗っぽいメロディのストリングスが入ってくると萎えてしまう。
「Dream Within A Dream」なんてつい恥ずかしくなってうつむいてしまう。
ああ、恥多き80年代を象徴するような音色群よ。
恥の多い生涯を送ってきました。
まあ、いまも恥は多いわけだが。

というわけで次回「フォークの神様は救ったか」に続く。

Daft-Art-Noise
Secret-Wish-25th-Anniversary-Propaganda

 

沈みたい / 中野テルヲの発振するシグナルとノイズ

震災からこっち、節電のため大出力のアンプリファイア+スピーカで音楽を再生することは控えていたのだが、禁を破ってしまった。
ごめんなさい、すべて中野テルヲというひとが悪いのです。

3月4月と世間的にも個人的にも精神的にも肉体的にもしんどいことが続いて、さすがにちょっと疲れていた矢先に中野テルヲの『Signal / Noise』が届いた。
オリジナルとしては96年の『User Unknown』から15年ぶり、コンピレイション(って言っていいのかな)『Dump Request 99-05』からでも6年ぶりのソロ・アルバム。
これがほんとに心地よいのだ。

自分に限ったことかもしれないが、これまで中野テルヲの音楽というのは、聴くほうを構えさせるところがあった。
それはなにも悪いことではなく、生真面目に、真剣に作った音なのだから、こちらも心して聴かねば失礼という対峙の仕方。
だからまさか中野テルヲの音楽に身を委ねることがあろうとは思わなかったのだ。

レトロ・フューチュアなデヴァイス群で奏でる懐かしいシグナル、安堵するノイズ。
「好きに聴いてください」「聞き流してくれてけっこう」
そんなふうに言っている気がする。

特にM3「My Demolition Work」から「フレーム・バッファ I」「Eardrum」の流れ、ラスト・ナンバでタイトル・ソングとも言える8分7秒の「ファインダー」は、音楽で心身のマッサージを受けるが如し。
我慢して携帯プレーヤやPCで聴いていたのだけど、このサウンドに身を沈めたくてオーディオ装置の前に座った。

M6「Long Distance, Long Time」以外はミディアム・テンポ〜スロウ・テンポの曲ばかり。
中野テルヲが少年時代からなじんできた短波ラジオのチューニング・ノイズ。
UTS(Under Techno Sysytem)の発するプリミティヴな信号音。
シンプルで抑制されたシンセサイザーの発振音とメロディ。
半分くらいはインストゥルメンタルのような気がしていたのだが、聴き終わって確認したら全曲が歌入りだった。
押しつけがましくなく品がある中野ヴォイス。
なにより気持ちがいいのは身体を包み込むようなダブっぽいエコー。

ジャケットがまたいい。
と思ってクレジットを見たら中野テルヲ自身によるアート・ワークだった。
すべてが中野テルヲそのもの。
テクノ・ポップにおけるアコースティック、テクノ・ポップにおけるローファイってこういうんじゃなかかろうか。

このアルバムを聴いたあとに1stアルバムを聴いてみたら、以前とは違って聞こえた。
もしかすると中野テルヲ自身はなんの変化はなくて、受け手である自分が変わっただけかもしれない。

中野テルヲ公式サイト
www.din.or.jp/~teru-o/

Beat Surfers
2011年7月23日には高円寺HIGHにでワン・マン・ライヴ
beatsurfers.syncl.jp/

Signal / Noise

加弦知らず

音源があがってから3週間。
わけあって封印していた平沢進のニュー・アルバム『変弦自在』だが、発売日も迫ってきてそうも言ってられなくなったので開封することとする。
これも仕事だ。

変弦自在 / 平沢進
変弦自在
2010年11月10日発売
ケイオスユニオン(TESLAKITE)
CHTE-0051

バンディリア旅行団

一聴したところの第一印象を列挙してみる。

01: 夢みる機械
ナイロン弦からスカラ・プールへ。アースを取ってスパークで奏でる。優雅な調べでヒエロニムスの回路を通る。大太鼓打ちすぎ。

02: サイレン*Siren*
一団が棺を掲げて角を曲がってくる。小太鼓打ちすぎ。警報鳴りすぎ。神田川の増水じゃないっつーの。泣くっつーの。

03: MOTHER
母になった千代子がどこまでもいつまでも疾走していく。タイ語の経文に乗って。

04: 金星
雷雨の去ったアンデスの空に輝く宵の明星。

05: バンディリア旅行団
低解像度アナログから高解像デジタルHDへ。進化したペルーの草原の中継映像。ティンパニ鳴らしすぎ。

06: トビラ島(パラネシアン・サークル)
ナイロン弦で祝うポリネシアの火祭り。倍量の薪で燃える。地表を埋め尽くす暗雲のごときありえぬ低音。ストレス・ボンドのごとく襲来す。

07: 環太平洋擬装網
暗黒のAPECを呪詛するがごときシンバルにからむデストロイ・ギター。ピアノだって内部は弦楽器。音数多すぎ重厚すぎ。どこが還弦かわからぬほど台無しにする劇的な素晴らしき終焉。

合い言葉は過剰。
オリジナルとの差別化もあるだろう。
やりすぎと言っていいほどやりすぎている。
けれど「もっとやれ」と言いたくなるほど心地よき豊穣な過剰。
溢れだしてキミへと届くように。

このアルバムは「今敏追悼アルバム」と銘打っているわけではないし、全体がそのように設計されているわけではないだろう。
しかし、少なくとも「サイレン」は追悼曲として作っているし、マスタリング後には仏前試聴会も開かれたくらいだ。
M02〜M06の流れは『SWITCHED-ON LOTUS II』と呼びたくなるくらいである。
その流れを笑いを醸すM01とM07で挟み込んでいるのだから恐るべき調和。

というわけで、やはりこのアルバムはしばらくの間は聴き込むことができそうにない。
よって再封印。
どうせライヴのころのはまた聴くことになるだろう。

SWITCHED-ON LOTUS

電子書籍と呼ばれない

電子書籍と呼ばれて」と書いたもののさっぱり電子書籍とは呼ばれない『改訂復刻DIGITAL版 音楽産業廃棄物』が10月16日に発売された。

通販がメインなのでダウンロード開始とか発送開始というのが正しいところだろうか。
パッケージ版は製版データ入りという衝撃の仕様なのだが、出版業界人でなければさほど衝撃は受けないと思われる。
いや出版業界人でもそんなに驚くことじゃないか、ほかに例がないってだけで。
これは電子書籍というものへの皮肉という意味合いもあったのだけど、ま、いい。

当初、DIGITAL版はダウンロード販売だけのつもりだったのだが、Shop Mecano 店主の中野さんが強く推奨するので、予約が500以上集まったらパッケージ版も作ることにした。
だってほら、パッケージもんって作るのも売るのもめんどくさいじゃん。
そうしたら、予約が500も集まっちゃったから大変。
予約開始前からコンテンツはほとんどできあがっていたので、中身に関してはよかったのだけど、問題は外側である。
より正確に言うならば外側をデザインするひとである。

もともとはパッケージ版を出すとしても、ブロードバンドが一般化する以前のLinuxみたいにダウンロードできないひとへの救援策くらいに思っていたので、単にDVD-Rに焼いただけのバルクDVDでいいんじゃないかと考えていたのだが、せっかくだからP-MODEL30周年/平沢進20周年の記念品的な意味合いも持たせて、手にして嬉しいものにしようじゃないかという考えにシフト。
そこで、おなじみイナガキキヨシ巨匠にお願いしたのであるが、クライアント泣かせで有名なのである、いろんな意味で。

メイルのログによると依頼をしたのは7月24日。
超意外なことに8月6日には第1案があがってきている。
それが、コレ。

カッコいいと思う。
思うが、うーん、店頭販売だけだったらまだしも、どうやって発送すんの?
袋に入れて、折れたり割れたりしないように箱に入れて……あ、それだとデザインのコンセプトとズレる?
そんなやりとりをしていろいろ検討したけれども、見積もりの結果、穴開け文字の「型代」だけで40万円くらいするとかで、価格が500円ほど上がってしまいそうなため、あっさり挫折。
せっかく「どこでもCDクリップ」みたいなのまで探してもらったんだけどね。

途中、USBメモリ案なども浮上するもやはりコストで断念。
ピザ・ケース案を経て8月23日に出てきたのがコレ。

う〜ん。
店頭でコレが並んでたら確かにオカシイ。
某監督も画像を見て軽く笑った。
でも、買ったひと、どう思うだろ。
パッケージを開けたあと、どうやって保管するのよ、発送の時にどうやって梱包するのよ。
などなど難点が多かったものの、とりあえずと見積もり依頼を出したところ、CDが入る大きさの食品トレイの手配がつかず、型から作るとコスト高になるというのでまたしても玉砕。
同時提出された通常のDVDケースを使用する案へと方向性は固まったのであった。

DVDのスリーブ(外箱)デザインにはこういうアイディアもあって迷ったのであるが、現行のものに決定。
このデザインだと版を重ねるごとにどんどん写真が入れ子になっていっておかしかったのだけど。
でもって、デザイン案があがってから実際に入稿データができるまで1か月を要したところが巨匠が巨匠たる所以であり、まったく気が抜けない。
最終ヴァージョンはコレ。

実はこのデザイン、質感を出すため、いったん出力したものをさらに撮影し、それを印刷用データにしたそうである。
裏には「ヘソ」も残っている。
さらに梱包用段ボール箱も作った。

限定1000枚で作ったパッケージ版は結果として、すでに700枚以上売れ、Mecano納品分も加えると800枚は捌けている。
対してダウンロード版は30程度。
ダウンロード版完敗。
これも中野店長の読み通りである。
中野店長にも完敗。
ここらへん真面目に分析すると面白そうなネタではある、しないけど。

そして、パッケージ版が好評なのは2か月を費やした装幀のおかげでもある。
パッケージ商品が減っていくご時世だからこそ、パッケージとしてのありがたみがないとパッケージで出す意味はない。
そういう当たり前のことを改めて感じた次第である。

新説P-MODEL史

本日発売の『キーボード・マガジン 2010年10月号 AUTUMN』の特集「アーティスト列伝 P-MODEL」を電子書籍よろしくPDFで読んでいる。
自分で言うのもなんだが面白い。
いや、自分で書いたところ以外が面白い。

メインであるP-MODEL歴代キーボード・プレーヤの取材記事は感心することしきり、発見も多い。
さすが四本淑三だ。
機材知ゼロ・楽器知ゼロのわたしでは「プレーヤの心ライター知らず」でこうはいかない。
というか、いままでこういう側面から捉えたP-MODELの包括的記事ってなかったのではないか。
キーボード・プレーヤを軸として機材面・サウンド面から見たP-MODEL史。
ほんと新しいP-MODEL像が見えてくるといっても過言ではない。

取材には同席させてもらったのだが、田中靖美というひとは音楽から離れていてもミュージシャン的かつノン・ミュージシャン的でめちゃくちゃカッコよかった。
同行した特集企画者・中井敏文(モノグラム)感涙。
よく似ていると言われる初期XTCと初期P-MODELだが、同じフレーズも同じ音色も使ったことはないそうで、似て聞こえるとすれば、バンドのアンサンブルのせいであろう、と。

國崎晋編集人が特別寄稿したコラム「跳ねる田中靖美」も名文だなあ。

詳細な解凍P-MODELのサウンド解説ってのも初めてじゃないかな。
ライヴはほとんどシークエンサ任せだとみんな思ってたはず(自分だけか?)だが、リアルタイムで処理していた部分も多かったという。
ヤスチカのキックが実は音は出ていなくてシークエンスのテンポを作るためのトリガーだったとか、驚き。
あの「キーボード要塞」は伊達ではなく、裏では信じられないほどキテレツなことをやっていたらしい。
あ、詳細は記事を読んでくださいね。
そういえば記事にはならなかったけど、80年代のことぶき光がいっつもライヴでガム噛んでたのは、緊張感を高めるための彼なりの工夫だったらしい。

中野泰博Mecano店長による全アルバム・レヴューもものすごい勢いで「P-MODEL早わかり」できちゃう力作。
スペースの都合で入れられなかったけど、廃盤となっている解凍P-MODELの2作は「ゴールデン☆ベスト」というカップリングで入手可能なので、ぜひMecanoで買おう。

話は前後するが、自分で書いたP-MODEL略史も、細かいことは忘れて短くまとめることで実は自分なりに発見があった。
これまで見えなかった骨格が見えたというか。
けど、あんまり書けることじゃないなあ。
要は『パースペクティヴ』でP-MODELはいったん終わってるってことなんだけど、わかるひとにはわかるよね。
掲載された文章自体はビギナー向けで新しい情報なんかないので、予備知識がある方は2ページとばしてください。
あ、その2ページにも写真は珍しいのもあるか。
ほかのページも含めて書籍『音楽産業廃棄物』には載っていないレア写真がけっこうあります。
よく見る写真にしてもやっぱり大きいと迫力が違うしね。

一応、ラストには平沢進のインタヴューもあって、例の煙に巻く名調子で楽しませてくれる。
いつも感心するのは、この記事によらず田中靖美と平沢進の発言というのは、申し合わせたように整合性がとれていること。
不思議に思って平沢進に質問してみたことがあるのだが「なぜ田中とはP-MODELを共有できたかがわかるでしょ」との答え。
P-MODELはノイズと誤用のバンドである、か。
最後の最後で14ページにわたる大特集を台無しにするような「オチ」までつけてくれてちゃってる。

キーボード・マガジン
キーボード・マガジン 2010年10月号 AUTUMN 2010.年9月10日発売 リットーミュージック