ID3タグの文字化けは解消したか

MP3プレーヤを新調してみた。
2年半ほど使ってきた LUXPRO の Top Tangent のバッテリが1時間ももたなくなってしまったのである。
Top Tangent は「iPod shuffleのバッタモン」と言われた商品で、そのいかがわしさとアップルをコケにした態度がよろしくて買ったのであるが、LUXPRO の商品は日本市場でほとんど見かけなくなってしまった。
Top Tangent
www.luxpro.com.tw/English/product/Top_Tangent.htm

最初は engadget で見て発売前から気になっていた Iriver の Lplayer にしようかと思っていた。
Ogg Vorbis にも対応してるし、デザインもよろしい。
Lplayer
www.iriver.co.jp/product/iriver/lplayer/

でも、動画はそんなに見ないだろうし、結局はコスト・パフォーマンスで Trancend の T.sonic 850 8GB (TS8GMP850) にしてしまった。
製品として面白みはないが、なかなかよいB級の匂いがする。
USBマスストレージとして扱えるので、小賢しいソフトは必要なく、Linuxでも問題ない。
ちゃんとパッケージには対応OSとしてLinuxも書いてある。
にしても、1ギガ1000円とはいい時代になったものだ。

T.sonic850
www.transcend.jp/Products/ModDetail.asp?ModNo=194

高機能や多機能は求めていないので、性能的には充分である。
音質は個体によって当たり外れがあるといクチコミを目にしたが、手持ちのヘッドホンで聞いてみたところ、許容範囲。
まあ、こんなもんだろう。
Top Tangent に比べると遙かにマシ(苦笑)。
ただ、最大音量が小さすぎるかな。
ファームウェアの改善でなんとかしていただけると嬉しい。

どうしても気にくわないのが日本語フォント。
Top Tangent もそうだったのだが、輸入食材のラベルに使われているような、東南アジアのホテルの日本人向けガイドに使われているような、バッタモン臭い明朝体である。
今どきフリーフォント(商用利用できるかどうかはわからないが)でもずっとマトモである。
英語もいかがなものかというフォントなので、あんま考えていないのかも。

さて、プレーヤの問題でなく困ったのがMP3のID3タグの文字化けである。
わたしのPCに入っているMP3ファイルは、リッピングした時期や環境によってファイル名およびタグの文字コードが EUC, Unicode, Shift JIS と混在しているうえに、タグのヴァージョンもまちまちである。
調べてみると、ID3 Ver2.x以降はUnicodeに統一されたそうなので、今のLinux環境に合わせてしまえば問題ないはず。
検索すると、文字コードの一括変換にはiTunesを使うのが簡単かつ便利とかあちこちで書いてあるので、試してみたが、化けたもんは化けたままである。
そもそもWindows環境で読み込むとファイル名からして化けてたりするし。
(ふだんはファイル名に日本語は使わないのだが、MP3はリッピング・ソフトが自動的に日本語にするのでそのままである)

そこで使ってみたのが、EasyTAGというLinux用のID3タグエディタ。
Fedoraに標準搭載されているにもかかわらず、これまで使ったことがなかったが、意外と使える。

easytag.sourceforge.net/
linuxsalad.blogspot.com/2007/07/easytagid3.html

「%g/%a/%b/%t」とか「%a_-_%b_(%y)/%n_-_%a_-_%t」とか、規則に沿ってタグを書き換えることができる。
自分でルールを作ることもできるが、だいたいプリセットでうまくいく。
特に便利なのが、MP3ファイルの情報を元にCDデータベースを検索し、タグを付け直す機能。
手動検索で日本語は苦手っぽいけど、アルバム単位なら自動検索でけっこうヒットする。

これでPCでも携帯プレーヤでも文字化けなし。
めでたしめでたし。

カッコの内と外

調べ物の途中でふと手に取った太宰治の文庫撰集をめくっていて、気がついた。

へぇ、太宰ってカッコの内側にマルを入れるのね。

つまり

「あれはこうなんだよ。」と彼は言った。

という表記である。
閉じ括弧の内側に句点を入れるわけだが、現代の文章作法ではあまりコレをやらない。

「あれはこうなんだよ」と彼は言った。

という表記が小説でも雑誌原稿でも一般的である。
だがそれが絶対というわけでなく、今でも絵本とかではカッコの内側にマルがあったりするし、Webなどを見ていると、いわゆる素人の文章では珍しくない。

試みに隣にあった芥川龍之介の文庫全集をめくってみると、芥川もカッコの内マル派であった。
これは時代的な問題であろうかと、師匠筋の夏目漱石の『こゝろ』に目をやると、漱石は内マル派ではなかった。
どうも時代のせいではないらしい。
ちなみに新聞表記ではカッコの外マル派が主流である。
いちいち
」。
などとなっていてむずがゆい。

もうちょっと調べてみようか。

DEVOは半ズボンをはいたか

8月11日(月) DEVOの来日公演(渋谷AX)へ行ってきた。

DEVOのフェスティヴァル参加での来日については年頭に某レコード店オーナーからきいていたが、それはぜんぜん行く気はしなかった。
40代にとっていわゆる夏フェスなどというものは地獄である。
しかも、DEVOはニュー・ウェイヴのリスナーにとって最重要用バンドのひとつだが、実はわたし、そんなに思い入れがない。
アルバムだって揃えていない。
だが、単独公演もやるらしいと聞いて迷った。
どうしようかな〜、武道館も観てないしな〜。
でも、前座があるし、スタンディングだしな〜。
と、考えあぐねていたら、まだAXの2階席が空いていることがわかり、決心。
死ぬ前に1回は観とこ。

前座はポリシックス。
考えると彼らもメジャー・デビューから10年である。
たとえばロックン・ロールやブルーズというジャンルの音楽は「極める」という言葉が似つかわしく、同じ音楽スタイルを40年続けていたっていいことになっている。
しかしながら、初期DEVOや初期P-MODELのようなパンク/ニュー・ウェイヴ、バンド・スタイルのテクノ・ポップというのは初期衝動の最たるもので、同じスタイルを延々と続けるもんではない。
変化してナンボである。
しかしながら、彼らはそれをひとつの「芸」「スタイル」として10年以上続けているのである。
初期ルースターズはよく「どの曲がカヴァーでどの曲がオリジナルかわからない」と言われたものだが、ひとつのスタイルとして完成したR&Bというジャンルは、そういうもんだろう。
ところがポリシックスの場合、ニュー・ウェイヴでありながら、カヴァーなんだかオリジナルなんだかわからない曲ばかりやっているし、そもそもオリジナリティなんか目指していないのではないかと思う。
これはこれで偉い。

さて、45分ほどでポリシックスは終了。
前の席にはシャンプーの折茂さんとPEVOさん。
セット・チェンジして22:00。
DEVOのヒストリーを追ったようなPVのリミックス上映に続いていいいよメンバー登場。

げ……太っている。

Webで顔写真しか見ていなかったのでわからなかったが、ボブ1号とサポート・ドラムであるジョシュ・フリーズ(ドラマーは事前にアナウンスされたジョシュではなかったというもある)以外、つまりマーク、ジェリイ、ボブ2号の3人は巨漢と言っても過言でないほど太っている。
先日も学生時代の友人に「ピストルズ行かないの?」と訊かれて「でぶっちょ4人組になったピストルズなんか行かないよ、P.I.L.は観てるし」とか答えたところだったのだが、DEVOよ、お前もか。
www.clubdevo.com/mp/live.html

前半はでぶっちょ3人がキーボード、それにギター、ドラムという編成。
「THAT’S GOOD 」「PEEK-A-BOO!」「WHIP IT」とか、3rd以降の曲をやったと記憶している。
紙でできたツナギがはち切れんばかりである。
しかし、なんかこれはこれでコミカル度、変態度が増していていいような気がしてくるから不思議だ。

にしても、うまいバンドなんだなと妙に関心する。
マークも驚くほど声が出ている。

中盤からは、ギターx2(時にx3)、ベース、キーボードという初期編成へチェンジ。
「SECRET AGENT MAN」「UNCONTROLLABLE URGE」「SATISFACTION」「MONGOLOID 」「JOCKO HOMO」といった1st〜2ndのナンバーで突っ走る。
そう、ツナギを破き、半ズボンになり、疾走したのだ、初老と言っても過言ではない、でぶっちょ3人が。
マークは「SATISFACTION」でエフェクターをくっつけたヘンなギターを弾いたり、はたまた「MONGOLOID」で放送禁止のパフォーマンス(そもそも曲そのものがアレだ)も見せたり、メンバー全員でビニール製のカツラ(?)かぶったり、サーヴィスしまくり。
「変態バンド」「元祖テクノ・ポップ」のイメージが強いDEVOであるが、ライヴだオーソドックスなギター・バンドの側面を顕わにする。
うっかりヴェンチャーズとか、寺内タケシとブルージーンズといったものまで連想してしまうパフォーマンスだ。

本篇ラストが「GATES OF STEEL(鉄の扉)」で、アンコール1曲目が「FREEDOM OF CHOICE(自由という名の欲望 )」というのも、個人的に非常に好きな曲なので盛り上がった。
アンコールのラスト「BEAUTIFUL WORLD」をオカマのBooji Boy(?)パフォーマンスで締めくくったマークだが、ケーキはコントのようにメンバーの顔にぶつけるかと思ったら、やらんかったね。

とにかく、ほんとに観ておいてよかったと素直に思えるライヴであった。
DEVOがこんなにすごい「ライヴ・バンド」であるとは、知らずに死ぬとこでしたよ。
どうもわたしは「アイディア先行の頭でっかちバンドだから演奏なんてできません」という彼らが擬装していた「イメージ」にまんまとだまされていたらしい。
初来日当時は、武道館でどうするの、ライヴなんて行ったってしょうがないじゃん、くらいに思っていた。
ヘタなのに上手いフリするミュージシャンは多いけど、その逆を演じなくてはならないとは、ポリスにも通じる。
ぜんぜんタイプは違うけど。

そして、ライヴを観ながら、来年で結成30周年を迎えるP-MODELのことを考えたりもした。
もしも平沢進がこのライヴを観ていたら、80年代P-MODELを再結成してもいいじゃないかと思ってみたりしたんじゃなかろうか。
やんないだろうけど(笑)。

ブラザーは編み機だけじゃないと今さら言ってみる

電気製品の買い物相談はよく受けるほうだ。
そんなに詳しいわけでもないのだが、家電は好きなので、自分で使うものではなくても買う気になってあれこれ調べるのは楽しいし、他人の買い物で自分の物欲を代償行為的に満たしているとも言える。
時に仕事に役立つ情報を得ることもある。

先日も、親戚から普通紙でコピーの取れる、電話兼FAXはないかときかれた。
そりゃあある。
2年ほど前に自宅で使うために似たようなジャンルで商品を探したことがあったので、その時に気に入った製品の最新版を薦めることにした。

シャープ UX-MF25CL
www.sharp.co.jp/products/phone/multi_fax/prod01/uxmf25cl/

これで最安値が17500円というから、いい世の中になったものである。
依頼主はPCを使わないので、プリンタ機能やスキャナ機能は不要なのであるが、家庭向けのいわゆるフラットヘッド型の場合、電話・FAX・コピーだけというのはどうもなさそうだった。

さて、他人にシャープを薦めていながら、実は2年前にわたしが買ったのは、シャープではなくブラザーの製品である。
2年前には、プリンタ・スキャナ・コピーの一体機に、さらに電話・FAXがつき、ネットワークに対応しているような家庭向け商品は、ブラザーしか出していなかったのである。
もちろん業務用のデカいものはいくらでもあったし、事務所では使っていたが、そんなものは家庭に置けない。
シャープはデザインも機能も気に入ったのだが、1台で済ませるには機能が足りなかったのである。
そこで、選んだのがこの機種。

830CLN
www.brother.co.jp/product/mymio/info/mfc830cln/

買う前に調べたクチコミ情報には一体型はよくないとか、プリンタ・スキャナ・コピーと電話・FAXは別々に買うべきだという話もあり、実際、この機種のプリント画質は貧弱だが、わたしは自宅で写真のプリントなんかしないし、モノクロでもかまわないくらいなので、充分なのだ。
(そもそもプリント自体あまりしないので、自宅にプリンタがなかった期間も長い)
ただ、評判通り(?)子機の音質は悪く、ヘンな反響音があって違和感を覚えたが、アナログなのでしょうがない。
買ったすぐあとにデジタル子機の新製品が出たので、その点は改善されたであろう。

無線LANにも対応した現行機種はこちらのMFC-870CDN
www.brother.co.jp/product/mymio/info/mfc870cdn/

さて、それでは、他社からも同機能の製品が出ている今、もし自分が買い換えるならどうするかというと、やっぱりブラザーにするであろう。
なぜにそんなにブラザーに拘るか。
なんとブラザーの複合機はLinux用ドライバを自社提供しているのである。
しかも、プリンタだけではなく、スキャナ、FAXのドライバもあり、もちろんLAN対応である。
これはかなり偉いと思う。
solutions.brother.co.jp/support/os/linux/index.html

ブラザー以外に複合機のLinuxドライバを提供しているメーカはたぶんないんじゃないかな。
プリンタドライバだけだってそう多くはない。
Linuxザウルス向け開発環境を提供しているのなんかも、すごく偉いと思う。
www.brother.co.jp/dev/mwprintersdk/tool6/index.htm

シャープの上記製品なんてMac用ドライバすら提供していない。
(プリンタ部分はHPのOEMらしく、HP用の汎用ドライバでプリントだけはできるらしいが)
かつてZaurusでLinuxを採用した企業とは思えないていたらくである。

ところが、こんなに偉いブラザーだが、Linuxコミュニティですら、そんなに話題になっているわけではない。
もったいないと思う。
もっと評価すべきだと思う。
だが、そうならない理由もわかっている。

Linuxはサーバ用途や組み込み用途ではそれなりに普及したが、いわゆるデスクトップOSとして実際に日常的に使っているというひとは、非常に少ないのである。
特に英語圏以外では少ない、と思う。
「遊び用」「PCの勉強用」にWindowsマシンの別パーティションにインストールしているユーザはそれなりにいるだろうが、メイン・マシンにLinuxだけ入れて日常的に使っている事務職の人間というのは非常に稀であろう。
サーバ用途や組み込み用途では、プリンタなんかは普通使わない。
だから需要がないし、評価もされないのは当然なのだ。

こういう状況になったひとつの原因は、2000年前後の「Linuxブーム」があると思う。
あの時、これはマズいなあと思ったものだ。
当時、デスクトップOSとしてLinuxを使うには、まだまださまざまな「努力」や「我慢」が必要であるにもかかわらず、世間的には「Linuxはカンタン」「誰でも使える」「これからのWIndowsの代替OS」というような持ち上げられ方をした。
ぜんぜんそんなことないのに。
結果、試しにLinuxを使ってみた多くのひとは「ウソじゃないか」「ぜんぜん使えないぞ」と思い、以後、Linuxに触れることはなかった。
浮かれた企業もLinuxから手を引いた。

だがしかし、今やほんとにLinuxは誰でもカンタンに使えるWIndowsの代替OSになった、とわたしは思う。
自分でWindowsをインストールできるひとなら、Linuxもインストールできるだろうし、Windowsを使えるひとなら、Linuxも使えると思う。
もちろん「慣れ」の問題はあるし、勝手は違うと思うが、難易度は違わないと思う。

その証拠に、昨年から話題の「UMPC」「ネットブック」「ミニノ−ト」と呼ばれるのラップトップ(パームトップ)PCには、海外ではLinuxが採用されるケースが多い。
実際、Webやメール、ワープロや表計算、動画再生程度なら、Linuxで充分なはずだし、誰でも使えるのである。
(ほんとはそれ以上のことだってだきるし、Linuxのほうが優れてる点はたくさんあるけど、今は敢えて言わない)

しかし、ASUSのEeePCもHPの2133も何故か日本版はWindowsだけである。
それだけ日本ではWindows信仰が強いのか、Linuxは日本では商売にならないと判断されているのか、はたまたLinuxでは日本語処理に問題があると誤解されているのかはわからない。
ちっちゃなマシンのちっちゃなキーボードに、わざわざローマ字変換に不要な日本語キートップを用意したりするメーカがあるくらいだから、要は「考えすぎ」なのかもしれない。
こういうのは、シャープがLinux(Zaurus)を捨ててWindowsMobile(W-ZERO3)に走ったのと同根かもしれない。
なんかね、もったいないですよ。

でも、WILLCOM03でATOKを捨て、懐かしのワープロ「書院」の末裔「ケータイ書院」を採用したあたり、シャープもなかなか過去の資産を大切にしているではないか……と思ったのだが、なんか評判悪いみたいね(苦笑)。

果たしてナイロン100%はニュー・ウェイヴの巣窟だったか

かのニュー・ウェイヴ喫茶「NYLON100%」に関する400ページにも及ぶ著作が発表された。
まだ読んではいないが、平沢進インタヴュー掲載ということで紹介する。

NYLON100%
80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流

NYLON100%

ばるぼら 著
100%Project 監修
2008年7月23日発売 (2008年8月1日発行)
アスペクト
2520円
www.aspect.co.jp/np/details.do?goods_id=1073

実はわたし、ナイロン100%へ行ったことがありません。
ついでに言うと、ピテカントロプスやツバキハウスにも行ったことありません。
なんかこう、オシャレ人種の巣窟ってイメージがあって、気後れしたんだな。
将来こんな職業に就くとわかっていれば、話の種に行っておけばよかったと思うのだが、当時はどうもそいいうのは違うんじゃないかと、距離を置いていたのだ。
岡崎京子『東京ガールズブラボー』の主人公のように、くったくなくミーハーに楽しめたらよかったのだけど、頭でっかちに無駄に屈折していたのですね、ああ恥ずかしい。
そういや、ツバキハウスはキャバレー・ヴォルテールのライヴに行くつもりでチケットも買っていたのだけど、予定が狂っていけなかったんだな。
縁がなかったのだと諦めよう。

さて、平沢進ナイロン100%にまつわるエピソードを語る、であるが、これがなかなか興味深い。
(本は読んでないが、平沢進の項だけ読んでいる)
自分的には新事実発見なのである。
まず、P-MODELのレコード・デビュー前のライヴをおさらい。

1979年
03/16 下北沢ロフト(デビュー・ライヴ)
04/01 吉祥寺・DACスタジオ801
05/02 渋谷・ワルツ 共演:ヒカシュー
05/26 渋谷・エピキュラス 共演:ヒカシュー(巻上公一のサイトには「渋谷ジァンジァン」とある)

今回のインタヴューによると、3月16日の下北ロフトと5月2日のワルツの間に、P-MODELはエピキュラスでもライヴをしているのである。
これはシンセサイザー教室がらみのイヴェント(エピキュラスはヤマハのスタジオ)でのライヴだったらしいが、これまで記録には残っていなかった新事実である。
このライヴが終わったあとに平沢進はナイロンでヒカシューのテープを聴かせてもらったらしいが、巻上サイトによると、ヒカシューは79年の3月3日にデモ・テープの録音を行い、4月第3日曜から「週一ナイロン」でライヴをやっていたそうだから、3月〜4月ころナイロンにヒカシューのテープがあって当然であり、確かに平沢進の記憶と符合する。
www.makigami.com/jbio.html

また、これまでP-MODELがナイロンでライヴを行ったという記録は発見されていないのだが、平沢進の記憶によると、間違いなくP-MODELは1度だけナイロンでライヴをやっているそうである。
そのあたりのディテイルもこの単行本には語られているので、興味のある方は読んでいただきたい。
いや、平沢インタヴューだけでなく、錚々たる面々の証言集となっているので、平沢進抜きでもぜひ(笑)。

清原版『家族八景』

アマゾンにアクセスしたらば、この本を買えと言われたので買った。

家族八景
漫画: 清原なつの 原作: 筒井康隆

家族八景

2008年3月5日発売
角川書店
上・下巻 各651円
(帯の推薦文は、上巻=今 敏、下巻=筒井康隆)
www.kadokawa.co.jp/comic/bk_detail.php?pcd=200712000040
www.kadokawa.co.jp/comic/bk_detail.php?pcd=200712000041

清原なつのは五指に入る好きな少女マンガ家だし、筒井康隆は五指に入る好きな小説家であるからして、わたしにアマゾンが買えというのは当然である。
むしろ、清原なつのがこのようなマンガを連載していたことを知らなかったのが自分でも不思議なくらいだが、そもそも『コミックチャージ』なる雑誌は存在すら知らなかった…と言えばウソになるが、手にとって見る気がまったくせず、吊り広告も見たことがなかったので致し方ない。
www.comiccharge.jp/pc/top.php

まさに幸運な出会いとはこのこと。
清原なつのにはSF作品も多く、筒井康隆の作品をマンガ化すること自体はなんら不思議ではないし、読者としては期待してしまう。
清原マンガの知的な文体、潔癖さとエロスが同居した作風は七瀬をヴィジュアル化するにはぴったりである。

しかし、待てよ。
『家族八景』というのは情景描写や心理描写よりも登場人物それぞれから溢れ出す怒濤の思念が重点的に綴られた特殊な作品である。
とりとめのない思考の断片が羅列されたかのような小説をいかにマンガ化するというのか。
いかな天才・清原なつのであろうと、ちょっと企画自体に無理がないか。

そうした期待と不安はほぼ当たってしまった。
なんだかんだ言って期待が大きかったせいなのか、最初はどうにもアラのほうが目について仕方がなかった。
が、再読してみるとそう悪くない。
下巻の解説で、筒井康隆自身が直木賞落選時の選評として「暗い、いやな話ばかりだ」と言われた(書かれた)作品としているが、確かに『家族八景』は暗い。
これまで目を逸らしてきた自分自身の恥ずかしい側面を無理矢理見させられたような、そういう気分にさせれれる小説である。
むしろ厭な気分にさせる力があるからこそ、小説は成功しているとも言える。
その点は、マンガという表現の必然もあって、やや図式的になっている(よく言えば話が整理されている)とはいえ、清原版も成功している。
筒井自身が解説で「原作以上の文学的効果をもたらした」としているのもうなずける。
清原流のキャラクタ造形は期待以上で、特に七瀬を筆頭とした登場人物の女性たちは、みなそれぞれ原作とはまた違った魅力があふれている。

ところで『家族八景』と一緒に、これまで買いそびれていた『千利休』も今さらながら買ったのであった。

千利休
清原なつの

千利休

2004年11月25日発行
本の雑誌社
1700円
www.webdokusho.com/kanko/zassi-kankou11.html#rikyu

清原なつのが描く千利休の伝記マンガ。
後書きによれば他社で刊行間近までいきながらぽしゃった企画を、近年、清原なつのと縁が深い本の雑誌社が単行本化したものらしい。
全体はエピソードの積み重ねで、直線的なストーリテリングではないのだが、読後には利休の人物像が浮かび上がってくる。
古田織部を主人公にした山田芳裕の『へうげもの』(モーニング連載中)のような作品を想像してはいけないが、影響を与えた可能性はある。

ここでもやはり女性の登場人物は魅力的だ。
いや、男性キャラクタに魅力がないわけでなく、清原なつのの描く女性に弱いのだな、自分が。
しかし、作品内容とは別のところで、どうにも困った。
読むのに時間がかかるのである。

これは作者の責任ではない、自分の教養のなさのせいである。
逆に言えば、教養を要求するマンガなのだ。
ここで言う教養とは、文字から得る教養だけに限らない。
一般常識的一般教養的日本史知識があってもだめなのだ。
日本各地の美術館で、茶道においては基本とされる陶磁器、書画、茶道具など、名物の数々を自分の目で見ていなければ、本当の意味で物語が頭に入ってこないのだ。
テキスト主体の知識があったとしても、だめ。
『日曜美術館』を毎週見ていても、だめ。
「本物」が目に焼き付いていないと、だめである。
期せずして、そういう読者の教養度を問う作品になっていると思う。

わたしなんかは、武器商人・政商の顔と芸術家・宗教家の顔が同居している当時の茶人たちが、どうにも「理解」できなかったりする。
これはきっと近代的価値観から離れられないからなのだろうが、もしかすると「煩悩」が足りないのかと思ったりもする。
諸星大二郎『孔子暗黒伝』の終わりのほうで、孔子は「あなたは知識に饕餮(とうてつ/あくなき貪欲)な方なのです!」と顔回を慕う女性からなじられるが、それでいくと、利休は「美に饕餮な人」という気がするのだ。

—————————————-
書き終わったあとでこんなものを見つけた。
これは珍しい清原なつのインタヴュー(本人写真はなし)
books.yahoo.co.jp/interview/detail/31457484/01.html

Firefox3と入力フォーム

Firefox3では、入力フォーム周りのレイアウトが崩れやすいようだ。
上位のテーブルなどで幅を固定していても、input の size や textarea の cols を指定しておかないと、テーブル幅を無視してどどーんと入力エリアが突き抜けたりする。
XOOPSでは入力フォームを多用するので、テンプレートでいちいち上記を指定してやんないと、テーマによってはぐちゃぐちゃになります。

万祝 完結

望月峯太郎の『万祝』が完結した。
『ヤングマガジン』2002年39号から2008年16号の連載なので5年以上だ。
偉大なる失敗作(と勝手に呼んでいる)『ドラゴンヘッド』の次作に当たり、連載開始当初は、主人公・大和鮒子の明るくくったくないキャラクタに「作者も楽しんで描いてるなあ」とほっとしたものだ。

こちらのほうが望月峯太郎本来の持ち味だとも言えるし、やっぱり『ドラゴンヘッド』はあまりに長いトンネルだった。
闇の中で必死に光を見出そうとしながら、どうしてもネガティヴにならざるを得なかった『ドラゴンヘッド』に比べ、こちらは光り輝く海から物語は始まる。
言ってしまえば、少年少女が主人公の、夏休みの冒険譚である。
暗くなりようがない。
連載期間は長くても、物語上の実時間は短いのだ。

もちろん、明るく楽しいだけの話なわけではないし、カトーという闇を抱えた青年も対峙している。
生きることの意味を必死になって探し求める姿を描くという点は、前作『ドラゴンヘッド』を含め、ほかの望月作品と共通している。
主人公が17歳の少年と16歳の少女という違いはあれど、望月峯太郎が少年期に影響を受けたと思われる『漂流教室』や『十五少年漂流記』そして『宝島』といった素晴らしい少年少女の冒険世界を、自分のマンガ世界で描き直すという点でも前作『ドラゴンヘッド』は共通している。
(そういえば、少女が主人公の長篇は初めてか)
陳腐な言い方になるが、やはり『ドラゴンヘッド』の闇を通過したからこそ、このきらきらと眩しい世界を描けたのだろう。

万祝

Amazonのレヴューを見たら、内容ではなく、11巻の薄さを批判して、10巻と合本にすべきだと怒っていたひとがいたけれど、わたしは、そういえば『日出処の天子』の11巻もそうだったなあ、と思い出して懐かしくなりました。

Firefox3とIPAフォント

Firefox3の正規版がリリースされた。
Fedora9やUbuntu8.4ではβ版のころ既に標準ブラウザにしていたことだし、対応プラグインもかなり出揃ってきたので、インストールしてみた。

レンダリングエンジンが大きく変わったとかで、フォントの表示もなんか違う。
困ったのはIPAフォントやIPAモナーフォントにアンチエイリアスがかからないことだ。
IPA+Mフォントだときれいに表示されるし、見出し部分だけ汚かったりするので、ローカルな問題かもしれない。
フォント周りは自分でもよくわからないくらいいじっているので、OSをクリーンインストールした状態で入れてみないと、どこに問題があるのか、よくわからない。

しばらくはいじりながら慣らし運転してみることにする。

テトラグラマトンは美味しいか(3)

いい加減、思いつきのタイトルはやめたい今日このごろ。
昨日はグラマーなテトラのサンプルCDが届いた。
まずは前回の訂正。

> (デストローイとか言ってるようです)

ぜんぜん言ってませんでした。
空耳現象です。

> ジャケットを見て「ASHURA CLOCK」「LAYER-GREEN」を思い出したひとも多いのではないか。

印を結んでいるわけではなかった。
小さなジャケット写真ではなく、実物を見るとよくわかるが、東洋(仏教)と西洋(キリスト教)の「合掌」を重ねているのである。
平沢進とリッカルド・ブレットのユニットを象徴しているのであろう。
ちなみに、表現に困ってちょっと検索してみたら、キリスト教でも指を折り曲げて手を組む合掌だけでなく、指先まで掌をぴったり合わせる、仏教的な合掌ポーズもとるのだとか。

似てると言えば、実物を見るとわかるが、P-MODELのアルバム『P-MODEL』のほうがよっぽど似てるかも。
26本対18本だけど(笑)。

裏ジャケットの合成2ショットもなかなか大まじめで笑えていい。
ま、これは購入者のお楽しみということで。

さて、サウンドですが、MP3で聴いた時と印象が大きく異なりはしなかったのだが、ヘッドフォンで聴くより、スピーカの前で大音量で聴くほうが向いているように思う。
そのほうが、エレクトリックで突き刺さる音と、シンフォニックなサウンド広がりの両方を楽しめると思う。
もっとも、ヘッドフォンといっても、すんばらしい専用アンプとハイエンドなヘッドフォンの組み合わせなら話は別だろうけど。
PCやMP3プレーヤで聴く場合と比べた話ね。

デス・メタルとかゴシック・メタルとかいっても、こういうサウンドなら、インダストリアルとかノイズとかが好きなひともイケるのではないか。
例が古くて恐縮だが、初期のキャバレエ・ヴォルテイルとかさ、ノイバウテンとか、通じるものがある。
平沢進がやっている以上、どうしてもプログレとニュー・ウェイヴの要素は入ってくるわけだけど、先鋭的なハード・ロックからも影響を受けていることを思い出したりもするサウンドであります。

まずはこちらのサンプルで試聴してみてください。

tetragrammaton

Tetragrammaton(テトラグラマトン)
Susumu Hirasawa+InhVmaN(インヒューマン)

2008年6月25日発売
ケイオスユニオン(TESLAKITE)
CHTE-0043
1575円

平沢進: Composition, Sub Vocal & Instruments
Riccardo Brett(リッカルド・ブレット): Lyrics, Melodys & Vocal

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