自我はどこまで拡張したか

先月、知人のブログに「え、え、ちょっと、ちょっと〜」と思うことが書いてあり「ありゃ〜」とか思ったが、その次の投稿はなかなか興味深かった。

ダイレクトに政治の話を書くと、気分が高揚することがわかった。
国家レベルの世界に自己愛をコネクトできるんだから、暗黒面に陥るブロガーが多いのも頷ける。

さすが「わかってる」なあ。
でも、実は自分の「よくわかんない」部分ってココなんだよなあ。
なんで自我が国家という概念にまで拡大できるんだろ。

国家というものは法人同様、ひとつの人格として捉えることは可能だし、政治家はもちろんのこと、政治を語る人間というのは、たいては国家というものに「感情移入」しているわけである。
現代の法治国家に生きている人間は自然権の一部(殺す権利とか)を国家に預けて、その権利行使を国に金を払って代行してもらっているわけだから、むしろ国家を個人の拡張として捉えるのは、普通のこととも言えるかもしれない。
しかし、感覚としてはどうもわからんのである。

自我は歴史的、空間的、概念的にどこまで拡大可能なのだろうか。
どこまで自己同一性は延長すべきものなのだろうか。

自我の概念的な拡大よりさらによくわからないのは、自己同一性を歴史的・民族的にまで連続して拡大できるひとたちである。
たとえば、戦後の右翼系知識人にしろタカ派政治家にしろ昨今のネットウヨにしろ、彼らの基本にあるのは「オレは悪くない」という心情であり、その「オレ」というのは、 自分のことだけでなく、ご先祖様、我が民族、我が国家まで拡大される。

「慰安婦」にしろ「南京攻略戦」にしろ「ガス室」にしろ、客観的な史実に基づいて検証することは、そりゃあ重要だ。
存在した人口より多くの人間を殺すのは不可能に決まっている。
東京裁判は茶番だと思うし、原爆投下や東京大空襲、ドレスデン大空襲は、敗戦国の行いであったなら、戦争犯罪として裁かれただろう。

しかし、どうも日本の「右」「タカ」「ウヨ」のひとたち、というのは違うんだな。
戦前の日本という国の行為は「なにがなんでも間違ってない」とばかりに白いものまで黒、黒いものまで白と言いたがる。
始めに答えありきで、その自ら願望する結果になるような論証や史実を集めているとしか思えない。

90年代以降活発に言論活動している阿呆マンガ家などはその典型で「ボクは悪くないもん」と泣きじゃくる幼児のようである。
どっかの都知事や府知事同様、幼児の全能感から脱していないのである。

もちろん、自分の主義思想に合致するよう史実を編集したがる傾向は「左」「ハト」「サヨ」「リベラル」というひとたちにもあるわけだが、こちらはもっとイデオロギー的であるし、良くも悪くも自我を歴史的連続として捉えていない傾向がある。
ご先祖様の悪行を「我がこと」として捉えるどころか、アカの他人様のやったことであり、知ったこっちゃないのである。
だから「右」「タカ」「ウヨ」のひとたちがバカのひとつ覚えのように好んで使う「自虐史観」という言葉は、そもそもあり得ない。
「自虐」というのは、戦前の日本を自我の一部として捉えられる「右」「タカ」「ウヨ」のひとたちだからこそ出てきた言葉であり、そもそも歴史的な自己同一性をもっていない「左」「ハト」「サヨ」「リベラル」のひとたちにとっては、自虐でもなんでもないのだ。
つまり「自尊史観」というのはあり得ても「自虐史観」などというのは成り立たない。

それにしても、どうして自我を安定させておくために、自我を歴史的・民族的にまで拡大せずにいられないのであろう。
戦前の日本どころか、神話時代にまで遡って自己を拡大・肯定し、未だに天皇という上位自我を設定しなくては安心できない人たち。
とにかく神国日本は建国以来なんら恥ずべき行いはしていないのであり、そうでなくては、自分自身の存在が否定されたことになる、とでも思っているようだ。
そうしたひちたちの心理構造を想像はできても、理解はできない。
自我の拡張や自己投影というのはよくある話で、会社、家、クルマ、腕時計と、いろんなところに自我を広げたり、映したりするするひとはいる。
自分にもあるとは思う。
でも、自我を広げるのは、せめて身の回りのものだけにしといたほうが身のためだと思う、直感的に。

岩谷宏ふうに言うならば、なぜ「ヒリヒリとした生身の個」として存在できないのか。
平沢進ふうに言うならば、なぜ「宇宙の捨て子」として存在できないのか。
まったくもってわからない。

ただ、国家や民族、歴史といったものを自己の延長線上にあるもの、もしく拡大した自我の一部として捉えられないのは、自分の側にモンダイがあるのではないかと思うこともある。

たとえば、高校野球にしろオリンピックにしろ、よくわからないのが、同郷人や同国人の戦績を「我がことのように」喜んだり悲しんだり怒ったりすることである。
スポーツを「芸」として鑑賞するのはわかるが、なぜに他人の行いを我がことのように応援できるのであろうか。
そりゃあ、友人・知人が出場していたなら、それなりの感情移入もできるかもしれないが、なんで国籍や出身地が同じだからといって、見ず知らずの人間を応援できたりするのか、ほんとさっぱりわからんのである。
なんの努力もせずに寝ころんでビールを飲んでTVで観戦しているような人間が、勝った時だけその喜びを搾取する。
他人様の業績を我がことのように喜ぶというのは、失礼なんじゃないかとすら思うのだが、一般的にはどうもそうではないらしい。
相対的に見るならば、これってやっぱり自分がおかしいのであろうか、とも思う。

北海道というのは「日本」から歴史的に「切れた」土地である。
稲作の北限を越えた道東というのは、風土的にも「日本」から「切れた」で土地である。
さらにアイヌがご先祖様らしいというところで、自分は民族的にも「日本」から「切れた」存在なのかもしれない。

いかにも温帯的な田んぼの広がる「日本的原風景」と言われるものは、後付で学習したものであり、まったく自我形成には関与していない。
小学校の理科の教科書にある記載がまったく当てはまらないことも多かった。
そういうところで生まれ育つとこうなってしまうのか、とも思ったりするが、別に北海道東部に生まれ育った人間がみな高校野球を楽しめないわけではあるまい(笑)。
むしろ、こうした「断歴史感覚」のようなものは、音楽から、ロックから学んでしまったものだろう。

「誰にも殺されないくらい美しくあれ」というメッセージにヤられてしまったまま30年も生きているのだから仕方がない。
美しさが現実的な「力」たりえないとわかっていても。

自分のやったことだけでなく、ご先祖様、我が民族、我が国家まで拡大される。

Twitter Weekly Updates for 2009-08-10

  • この歳になって感染性気管支炎というのを知った。マイコプラズマっていうのは聞いたことあった気がするけど。まあ、普通は「風邪」で済ませて直っちゃうんだろうけど。 #
  • いや、自分が罹ったわけじゃないけど。体調はあんまよくないなあ。気温が低くても、昨日みたいに湿度90%とかってしんどいわ。というわけで、どんよりした月曜の朝。 #
  • 朝から雨に濡れて気持ち悪いぞ…って、毎日、天気に対する愚痴ばかりか。夏だからしょうがない。 #
  • Windowsにはデフォルトのショート・カット・キーを変更する機能が標準搭載されていないことを知った。やっぱダメOSだなあ。いったいどこが「ユーザに優しい」だか #
  • だからさあ「失跡」なんて得体の知れない造語を使ってんじゃないよ、新聞は。 #
  • 昨夜、鰹のタタキ(茗荷乗せ)にタイ風レッド・カレーという、自分でもどうかと思う組み合わせで料理を作ったが、意外と合わないことはなかった。タタキはちょっと火を入れすぎてしまったが。でもって、余った茗荷はカレーに入れてしまった。 #
  • 今日は「ランドセルは花火でいっぱい♪」の日だったのだね。 #
  • う〜ん、写真サシカエかな #
  • TBSへ行ったら、K-ONグッズがいっぱいあった。担当者いわく「いや〜、すごい人気で」とか。そうなのか。 #
  • グッズにいちいちメンバ全員の名前がローマ字で書いてあって心のなかで笑う。 #
  • 43先生も萌えてしまうらしい。 ascii.jp/elem/000/000/425/425222/ #
  • わたしはアニメ絵もアニメ声も生理的にダメなんだが、そういうネタで原稿を書こうと思ってはや数年…はウソだな。 #
  • 数年はウソだが、脳内で寝かせているうちに劣化したネタなので、もういいや。ちなみに電子工作も好きなので、やはり「齢45にもなる大人」の典型ということになるのだろうか(笑) #
  • 地震の多い地方で生まれたせいか、震度はだいたい当たる。 #

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Twitter Weekly Updates for 2009-08-03

  • USB2.0が使用可能なはずのマザーボードなのになぜかUSB1.xでしか動かない。悪いのは接続する機器か、ケーブルか、ドライバか、はたまたマザーボード自体かと、いろいろ試してみたが。どれもハズレ。BIOSのデフォルトではUSB2.0が無効になっていたのであった。なんでだ。 #
  • Googleカレンダーに9月までの予定を書き込んだら、憂鬱になった。できそうな、できなさそうな、でもできないわけにはいかない(笑)。基本的に仕事は楽しいほうだが、さすがに2か月の予定を1か月に圧縮されちゃね。工期圧縮された飯場の気分 #
  • …と書こうとしたら「飯場」はAtok的にサベツ用語らしく、変換できないので単語登録したよ。「沖仲仕」も「土方」も変換できん。Atok自体が特定ジャンルを差別しているようだ。 #
  • 本日の予定が予想外にはかどったので、うっかりNHKのガンダム特集を見る。P-MODELとガンダムは30周年なのか。 #
  • P-MODELデビュー30周年か。平沢進は「ファン」と「リスナー」という言葉を使い分けるが、そういえば自分はP-MODELファン、平沢進ファンだったことは1度もない気がする。だからファン心理がわからないんだな。 #
  • そもそも「ロック・ファン」というのは論理矛盾のような言葉で、まったくしっくりこない。「アイドル・リスナー」って言葉と同じくうらいヘンだ。 #
  • そういえば、21世紀になってからファンになったアイドルっていないかも。明らかに老化だ。 #
  • そうか。平沢進やP-MODELをアイドルだと思えれば「ファン」になったっていいのか。自分にとってはアイドルじゃなかったってことか。当たり前のことに今ごろ気づいた。それはそれでちょっと寂しい(笑) #
  • でもなあ、ビートルズだってアイドルじゃなかったしなあ。ボウイは…アイドルっていうよりヒーローか。むしろ、ブライアン・フェリーのほうがアイドルかも(笑) #
  • というくだらんことより昼食だ。 #
  • そういや「○○はアイドルか?」ってテーマで単行本を作ったこともあったのだ。これまた今ごろ思い出したよ。 #
  • とりあえず今日のアイドルはこのコにしておこう。http://bit.ly/kYC1d #
  • 「明日のアイドルを探せ!!」って意味が違うよな。「日替わりアイドルを探せ!!」か。 #
  • むしろ、今日のアイドルは こっちか。http://japanese.engadget.com/2009/07/27/led/ かわいい定規。 #
  • 茄子、おくら、ピーマン…夏野菜を食べると元気になった気になるなあ。朝、納豆におくらの微塵切りと鰹節を入れたのを食べるとなんか頑張れそうな気がしてくるぞ。 #
  • T-Storms ってなに? って思ったら、Thunder-Storms (雷雨) だった。 #
  • 東京は毎日、Scattered T-Storms って予報だ。 #
  • 降水確率は PoP (Probability of Precipitation) というらしい。英語もわからないのに英語のソフトウェアを使ってるとこうなる。 #
  • 家を出た途端、9時だというのにこの暑さと陽射し。お助けを…電車へ逃げ込む #
  • フジテレビからの帰り道、灼熱の潮風公園で実物大ガンダムを見た。実物が存在しないのに実物大とはこれいかに #
  • 意外と小さい…と心のなかで呟いたら、隣から声になって聞こえてきた #
  • フジテレビでやっている夏期イヴェントは、ガンダム効果で予想以上の盛況だとか。 #

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Twitter Weekly Updates for 2009-07-27

  • 虹発生時刻、わたしは家の中におり、窓が夕暮れとも違う妙な色に染まっているので、核爆弾とか最終戦争とかSF的妄想が3秒くらい脳内をかけめぐりましたが、窓外を見ると隣のマンション上空に大きな虹の1/4カットが見えました。 #
  • 今になって日蝕を見たい気がしてきた。どうせ曇り空かもしれないが、ピンホール式観測機でも手作りするか。 #
  • 12:00ころ、五反田で打ち合わせを終えてビルを出ると一瞬の晴れ間があり、肉眼で30%ほど欠けた太陽が見えた。日蝕グラスをかざしているリーマンもいた。 #
  • ま、日蝕どころか雨空だったのでピンホール式観測機は作らなかったけど。てゆーか、それ以前に日蝕のピーク時には打ち合わせ入れちゃってたんだな。晴れてたらピンホール式観測機を片手に打ち合わせに臨んだかかもしれないが。 #
  • 向かう方向がまったく違うとはいえ、mixiの村社会のような閉鎖性に比べて、twitterのほうがはるかにオープンで都市的ですね。勝手につながれるし。 #
  • WordPressにtweetsを読み込むツールを試してみたが、どうもうまくいかん。XOOPS版だからか。 #
  • アップデートしたらXOOPS版WordpressでもTwitter Toolsが動いた #
  • 電車のなかで聴いていて思った。ドアーズの「タッチ・ミー」はブラスが余計なんじゃないか。でも、公言したら叱られそう。これも公言だけど。 #
  • 5月6月と予定していた仕事が足踏み状態でヒマだたっが、そのスケジュールの遅れがすべて圧縮されて8月に詰め込まれてしまった。さて、今日は夏期最後の休みとするか仕事するか。 #

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言い忘れたこと

だからさ、いつも言ってるでしょ。
「日食」じゃあ、日本食堂の略だって。
まあ、今は日本レストランエンタプライズとかってわけのわかんない会社名に変わったから、国鉄民営化後世代には馴染みはないだろうが、昔は世界一不味くて高い親方の日の丸レストラン・チェーンとして名を馳せていたんだから。
と思って検索したら、その不味さは博物館級だったらしく、鉄道博物館に陳列されておる。
www.nre.co.jp/tenpo/16981/16981menu.html

ということはどうでもよろしい。
戦後の造語であるところの「日食」はキモチワルイという話だ。
この代用漢字というやつほど気持ちが悪く、罪深いものはない。
これならまだ「日しょく」とか開いたほうがまだマシだ。
いや、これも相当に気持ち悪いな。
潔く「にっしょく」としていただきたい。
だいたい「むしばむ」と「くう」じゃ、ぜんぜん意味が違うでしょ。
なのに音が同じというだけで用字を変えるなんて乱暴過ぎる。

そういえば昔の衛星放送はTV欄に「食のため放送休止」とかって書いてあって、まじめに「職員の食事休憩」かと思ったものだが、あれは「蝕のため」なんだよな、天文用語の。
間違った用字が誤解を生む好例だ…違うか。

そもそも国家が言葉の成り立ちを無視し、国民に誤った知識を押しつけようとしているのだから犯罪的だ。
そのお先棒を担ぐ大手マスコミはマスゴミと言われてとも仕方あるまい。
長年の歴史のなかで言語の使用者が誤用を重ねて、意味や表記が転じていくのは言葉の必然であるが、かようにして国家規模の策謀で言語を破壊した例はない…というのは大嘘で、おとなり中華人民共和国の漢字事情はもっとひどいが、他所の国だからほうっておく。
というわけで2132年になったらまた怒りたいと思う。

そういえばNEWSのほうには書いておいたけど、平沢進のアルバム『SIREN』と『救済の技法』がボーナストラック入りのHQCDとして再リリースされた。
HQCDと似たようなものにSHM-CDというのもあるらしいが、どちらも聴いたことがないので、音質についての言及はできない。

UHQCDプロモーションWEB


columbia.jp/hqcd/
shm-cd.co-site.jp/

記録方式の違いではなく、記録メディアの品質の差ということだが、それで果たしてどれだけ音質の差が出るのか。
眉唾とまでは言わないが、それなりの再生装置がなくては差がわからないであろうというのは想像に難くない。
次世代CDの規格がDVDオーディオとSACDに分かれてぜんぜん普及しないってのがこういうよくわからんメディアの出てくる原因なのだろうが、DVDオーディオとSACD、どちらにしろくだらないコピープロテクトはかかってるわけで、DVDビデオ同様に「再生の自由」すら保証されていない。
私的複製権なんてもってのほか、勝手に再生しただけで泥棒呼ばわりのメディアなんて、なんだかなあ、もういいよ、という気がしてくる。
いずれにしても聴いたことがないものの話題は広げようがないので次。

P-MODELのアルバム『舟』が「オンデマンドCD」で出た。
条件付ではあるが、これはけっこういいことなんじゃないかと思う。
そもそもCDというメディアはオンデマンドに向いているにも関わらず、なんで昨年になってようやく商品化されたのだろう。
ぜんぜんオンデマンドに向いていない出版(書籍)の分野のほうが昔からオンデマンドに熱心だったのだから不思議だ。
いや、不思議ってことはないんだけど、出版界以上に音楽界がダメってこったろうなあ。
そもそも今は各社がこぞって参加している音楽配信事業だって、10年前は「つぶしちゃえ」というのが業界の趨勢であったのだ。
オンデマンドCDというのも、そういうダメな業界が死蔵しているコンテンツをなんとかしようとようやく考え始めたということの表れだろう。
単にごく一部の社員の気の利いたアイディアかもしれないし、TV放送のオンデマンドに触発されたのかもしれないけどね。

書籍に限らず、映像や音楽を含めた広義の出版(プレス)界全体に言えることだが、増刷(再プレス)しないくせに権利だけは死んでも手放さないため、コンテンツが世の中に出回らずに死蔵されるというケースは多い。
権利は手放したくないけど、少数を売ってもペイしないからプレスしない、というのは企業の論理としてわかる。
しかし、ならば、ほかで製品化したいという時には出版権なり原盤権なりを貸してやりゃあいいじゃないかと思うが、法外な値段をふっかけて、話をつぶしてしまう。
これでは権利を有する側、借りる側、どちらにとっても損になるはずなのだが、コンテンツの「相場」を崩したくないのだろうか。

このような得をするわけでもない企業のよくわからない事情によって死蔵されたコンテンツは数多く、動画投稿サイトが救済の場になっていたりするから皮肉なものだ。
違法コンテンツだらけの動画投稿サイトにおいても、暗黙の諒解、暗黙のルール、一種の「仁義」として、製品化されていて入手が容易なものはアップロードしない、ということがあるようだ。
金を出せば手に入るコンテンツをアップロードするやつも、タダで欲しがるやつも軽蔑される。
ちょっと屈折したモラルのようなものがある。

というわけで、死蔵されるくらいなら、こうやってオンデマンドでプレスしてくれるほうがありがたい。
ただ、ここから一歩進んで、CDオーディオのISOイメージをダウンロード販売してくれれば、販売する側も購入する側ももっと手間がかからず簡単に済むのにな、とは思う。
LinuxなどOSの配布は今やDVDのISOイメージのダウンロードが一般的であるし、DVDビデオなんかもISOイメージによる販売が行われている。
なぜにCDだけこのような販売形態を取れないのか謎だが、10年前は「MP3はそれ自体悪」としていた業界であるからして、コピープロテクトをかけられないとか、じゃんじゃん焼かれて売られては困るとか、いらんことをいっぱい考えているのだろう。
オンデマンドCDが出てきただけでもマシである。

そうこうくだらないことを言っているうちにブラザーのプリンタ複合機が壊れてしまった。
ほんとに故障は呼応する。
困ったもんだ。

ということではなく、話は「ネットブックは100円PCじゃない」という方向へ向かうのだが、長くなりすぎたので、また改めて。

壊れた・その後

今年はずいぶんと早く梅雨明けしたらしい。
わたしは一般的な人間なので梅雨は嫌いだが、梅雨が明けて嬉しいかというと、あまり嬉しくない。
梅雨よりも嫌いな真夏がやってくるからである。
気温が30度を超えるとてきめん、体調が悪くなる。
つまり夏の間はずっと体調が悪いということになる。
いや、温度より湿度、ヒートアイランド現象特有の不自然な熱気がいけないのかもしれない。
ヒートアイランド現象を悪化させる鬱陶しい真夏のスーツ&ネクタイがクールビズとやらで多少は減少してくれたのはせめてもの救いか。
とにかく、6月中旬から9月中旬までの3か月はなくしてもらっていっこうにかまわない、とさえ思う。
いや、この3か月は自分のほうが消えて、北海道で過ごせばよいのか。

ということを毎年言っているが、3か月が消えてなくなってくれることはないし、北海道で3か月を過ごす算段もまだないので、話題は変わる。

修理に出したポータブル・カセットテープ録再機、端的に言うところのウォークマン・プロは、案の定、部品がなく、修理不能で工場からサーヴィス・センタへ戻されてきた。
引き取りに行くのも面倒なので処分してもらおうかと思う。

買ったばかりの椅子は、リクライニングのロックに不良があることがわかったが、購入店に電話をすると、翌日には新品と交換してくれた。
交換にきてくれた営業マンは、仕事熱心なのか、会社のWebページを見て営業内容のチェックをしてから来たそうだが、もしかするとこのページも読んでいたのかもしれない。
だとすると対応がよかったのも頷けるな、もっと褒めておこうか、などと嫌らしいことを考えたりして。

このエルゴヒューマンという椅子、買った当初は腰が痛くなってしまい、こりゃあ失敗だったかと思ったが、失敗だったのは椅子のチューニングだったようで、いろいろといじくっているうちに身体にフィットするようになり、腰が痛むなどということはなくなった。
今のところ快適である。
調整機能の豊富なのがウリではあるが、逆に言えばチューニングの幅が大きく、それによって身体に合う合わないも出てくる。
もしかするとチューニングに失敗して悪い椅子だと決めつているユーザもいるかもしれないので、メーカや販売店はそこらへんをもっと叮嚀に解説してはどうかと思う。

そういえば、ぜんぜん関係ないけが、twitter には「スパム・フォロー」ってのがあるのね。
自ら体験して初めて知った。
twitter は Ustream とか echo とか Dropbox とか、連携したサーヴィスのほうで知ったクチだが、どうもあの Mac臭さが鼻について馴染めなかった。
のであるが、最近、知人に勧誘されてしまい(宗教かよ)登録してしまった。
こういうショーバイをやっている以上、なんでも試してみたほうがよいとは思うだが、新しいメディアにはどうも構えてしまうのだな。
態度を決めかねているものに関してはあまり発言したくないので、このへんで終わり。

壊れる

こわれる。
そういえばそんな曲があったなあ…という遠い記憶はさておき、なぜに故障は呼応するか。
カセットテープのポータブル録再機に続き、今度はサブのPCが起動しなくなってしまった。
どうやら電源が逝ってしまったらしい。
なにしろひとから貰い受けた古いキューブ型PCである。
壊れてしまっても不思議ではない。
しかし、小型の特殊電源は故障しやすいくせに高価であるからして、今さら電源を交換して蘇生させる気もしない。
余りパーツで組める小型のATXケースでも買うことにする。

走行系がイカれてしまったカセットテープのポータブル録再機は、もう交換用のパーツがないかもしれないが、とりあえず修理に出すことにする。
ほかにもカセットデッキはあるが、ライン入出力のあるポータブル録再機はなにかと便利なので、できれば手許に置いておきたいのである。
どうせ壊れるなら大型のカセットデッキのほうが壊れりゃよかったのに…とか言ってるとほんとに壊れそうだ。

というわけで、カセットテープのポータブル録再機、端的に言うならばレコーディング・ウォークマン(プロ)の持ち込み修理およびPCケース購入という2大目的をもって秋葉原へ向かったのであるが、お目当てのPCケースと電源の専門店は、よくわからない同人系の(?)グッズ・ショップになってしまっていた。
ネットで物色したケースの実物を見てみたかったのだが、数軒ハシゴしても見つからない。
潰れたあの店だったら、きっと置いていただろうに徒労である。
(いま調べてみたら、2月に閉店して他店舗と統合されたらしい)
ソニーのサービスステーションまでなくなっていたら、なんのために秋葉原へ来たかわからないが、さすがになくなっていなかった。
いや、電話で修理の事前相談したからあるはずなんだけど、古炉奈も閉店するし、まんだらけは開店するし、こういろんなショップがなくなったりできたりすると不安になるでないの。
テレコ(おお懐かしい響き!!)を修理に出し、言い訳がましくDVDメディアを購入し、秋葉原をあとにした6月の土曜日であった。

周年 その2

「周年」というタイトルで期待して読んだら椅子の話でがっかり、という方もいるかもしれないので、一応書いておこう。
そう。
2009年は「P-MODELデビュー30周年&平沢進デビュー20周年」なのである。
というよりも、個人的には「音楽産業廃棄物10周年」という感慨のほうが強い。
「P-MODELデビュー20周年&平沢進デビュー10周年」という文章をさんざん書き散らして(散らした…は語弊があるな)から、もう10年が経ったのだ。
恵比寿の事務所が思い出されることであるよ。
まあ、それだけなんだけど。

個人的な30周年記念事業としては、消えゆくメディアに記録された重要文献を保存し直す、ということをちょっとやってみた。
平たく言うと、カセットテープやMDに記録された音源をMP3化する、という作業だ。
ベータやVHSのテープをDVD化する作業は、1度チャレンジしてすぐ挫折してしまった。
めんどくさいんだもん。
だから今回のMP3化も、たぶん挫折するであろう。
それでも、15枚ほどのMDは仕事の片手間にMP3化してみた。
MP3レコーダをオーディオ専用機につなげる方法もあるが、それでは仕事しながらというわけにはいかないし、どうせMP3レコーダでダビングしても、PCにコピーして編集することになるので、最初からPCにMD録再機をつなげてリアルタイム・エンコードしている。
ちなみに使っているレコーディング・ソフトはこれ。
Audacity
audacity.sourceforge.net/

実はわたし、MDというものを日常的に使った経験はない。
書籍『音楽産業廃棄物』の編集時に、方々から収集したレア盤やライヴ・テープなどの資料用音源を整理するためにポータブルMD録再機を購入し、その後は『太陽系亞種音』の資料用音源の整理に使ったくらいである。
P-MODELのために買ったと言っても過言ではないだろう。

そういうわけでMDはめったに使用しないのですっかり忘れていたが、手持ちのポータブルMD録再機は内蔵電池だとばかり思っていたら違っていて、実はガム型の充電池なのであった。
でもって、数年ぶりに取り出してみると、案の定、液漏れしていた。
充電池の液漏れというとAmigaのマザーボードの死亡原因の第1位だが、その心配ばっかりしていちゃだめだったのだ。

MD収録音源を劣化することなくMP3化するには、光でデジタル接続すべきなのではあるが、残念ながら手持ちのポータブルMD録再機にはアナログのライン出力があるのみである。
またこの方法は劣化がないとはいえ、アナログ同様、収録時間と同じだけの時間がダビングに費やされるわけで、めんどくさいことに変わりはない。
そこで調べてみるとやはりあるんですね、USB接続でMDのデータを吸い出せる録再機が。

ソニー MZ-RH1
www.sony.jp/products/Consumer/himd-rec/
k-tai.impress.co.jp/cda/article/stapa/29128.html

スタパ齋藤氏も大絶賛であるが、わたしの場合、ダビングが必要なのはたかだか20枚程度で、しかもマスタはほかのひとが持っている。
そのために3万円も使う気がしない。
しかし、世の中にはそうしたニッチな需要に応えるひともいるようで、オークションには1週間2000円とか「レンタル」の形でMZ-RH1が出品されていたりする。
すごいな。
ま、それさえ面倒なので借りなかったけど。

今思えば、MDなんかじゃなく、最初からMP3にしておけばよかったのだが、アナログ・プレーヤとPCをつなげたり、それをMP3にエンコードしたりするのが非常に面倒だったのだ。
当時はまだポータブルMP3レコーダはなかったし、机上でカセットテープをMDにダビングするのですらめんどくさかったんだから。

今回はなんか「めんどくさい」の連発だな。
さて、こんどはカセットテープのMP3化でもしようかな、と思ったら、テープがからんでワカメになってしまった。
どうやら、かつて愛用したカセットテープのポータブル録再機も、これまた数年間使用していないうちに走行系がダメになってしまったらしい。
せっかく電池は抜いていたのに。
作業に入る前から挫折してしまったよ。

周年

先日(といってももう2週間も前か)天安門事件20周年というのをニュース番組で見ていて、そういえば……と思い出した。
今年は、株式会社ファッシネイション設立20周年であったのだ。
といっても特に感慨はないのだが、感慨にひたるべき事件が別に起きてしまった。
10年以上使い続けた仕事用の椅子が壊れてしまったのである。

アームレストにガタがきていたし、ウレタンがへたって座り心地も悪くなっていたので、そろそろ買い換え時期ではあったのだが、修理を試みたところ、トルクスのネジ頭を潰してトドメを刺してしまった。
ふだんは使うことのない固くなりがちな箇所のネジに潰れやすい材質のトルクスを採用するのはいかがなものかと思うが、これも寿命と思って諦めることにした。

ところで、愛着があるようなこと書いておきながら、その椅子のメーカなどはまったく覚えていなかった。
というのも、自分で探して購入した品ではなく、知人に「同じ椅子を2脚買ったんだけど、1脚は不要になってしまったから引き取ってくれないか」と売りつけられた椅子なのである。
ファッシネイション恵比寿時代の話だから、少なくとも10年前、もしかすると12年とかもっと前かもしれない。
デザインがいいので買い取ることにしたが、こだわりをもって選んだわけではないので、使っているうちに愛着がわいたという感じである。

椅子をひっくり返してみると「vitra」とある。

www.vitra.com/
www.hhstyle.com/cgi-bin/omc?port=33311&req=IPRODUCT&code=info_vitra

スイスの家具メイカーで、イプシロンやメダといったシリーズが有名らしい。
わたしが使っていたのはそれらより以前の商品でWebにも載っていないが、見た目だけでなく、座り心地もよく、各部調節機構も当時としては高機能だった。

さて、新しい椅子だが、ウレタンは蒸れやすくへたりやすいので、今回はメッシュ素材のものにしてみたかった。
メッシュ素材の事務用椅子と言えば、ハーマン・ミラーの元祖アーロン・チェアや、岡村製作所のコンテッサ、バロンといったあたりが有名どこである。
近年は買い物に関してまったく横着になってしまって、ネット通販で実物を見ることなく買ってしまうことが多いが、椅子はやっぱり座ってみなければわからない。
というわけで、ゴー・新宿、ゴー・大塚家具。
ちなみに大塚家具のショウ・ルームは、受け付けが必要で、案内人がついてまわるが、押しつけがましいことはなく、非常に好感がもてた。

試座してみて、気に入ったのは、やはりアーロン。
さすが名にし負うMoMA所蔵品である。
もうひとつは、コンテッサでもバロンでもなく、エルゴヒューマンという無名の椅子。
座った瞬間に身体が包み込まれるようで「おっ!!」という感覚があったのである。
今監督には悪いが(ってほどではないか)コンテッサは座ってみても、そういう「発見」のようなものはなかった。
椅子なんてものはもちろん体型によって合う・合わないはあるだろうが、大袈裟に言えば、エルゴヒューマンは身体が軽くなった気がしたのである。
「“意外と”いいですね」と言うと「みなさんそうおっしゃいます」と店員。

しかし、デザインが…なあ…。
エルゴノミクスなデザインというのは珍妙な外観を呈していることも少なくないが、どうも馴染めそうにない。
後ろ姿はよく言えばサイバー・パンク(懐)なのであるが、わたしはシルエットの美しいすっきりしたデザインが好みなので、こういうごちゃついたのは趣味ではない。
なんちゃってアーロンとか貧乏人のためのコンテッサといった酷評もあるようだが、メッシュ素材というだけで、デザインはぜんぜん似ていない。
むしろ似ていて欲しかった(笑)。
最大のウリである「独立したランバー・サポート」というのが外観上は奇異に見える。
デザインだけなら格下のブラントのほうがマシな気がする。
ごめんよ、呉耀全(Neil Wu)さん。

しかも、ブランド品を所有する快楽とは程遠いよくわからん製品である。
そもそもなにが怪しいって、メーカが不明なのだ。
日本やアメリカの輸入代理店の公式サイトはあるが、メーカの記載はない。
得体が知れないとはまさにこのこと。
www.ergohuman.jp/

調べてみると、どうやらエルゴヒューマンというのは2005年くらいに登場した商品で、デザイン(開発?)は台湾、メッシュなどの部材はアメリカ、生産は中華人民共和国本土、検品は日本ということらしいが、オフィシャルな情報はない。
なにか隠さなくてはならない事情でもあるのか。
台湾とかチャイナとかいうと、ひとによってはマイナスなブランド・イメージがあるからかもしれない。
しかし、ASUS, AOpen, ABIT, GIGABYTE, MSI, VIA….と、日ごろ接している素晴らしい台湾ブランドもたくさんあるではないか。
それともコンピュータと椅子では事情が違うというのか。
そりゃ違うよな。

問題はデザインに馴染めるかだなあと、考えること1週間。
結局、買ってしまった。
vitraの椅子は入れ替わりに引き取られていってしまった。

ブランド・イメージよりも自分の体感を信じたわけだが、果たして吉と出るか凶と出るか。
Web上でヘッドレストはかえって邪魔という意見を散見したが、確かにヘッドレストは前過ぎかも、とか早くも思っていたりもする。
気がついたら別なvitraに座っていたという事態は避けたいものである。

あ、マイナー・ブランドを応援するつもりで書いたのに、微妙な終わり方になってしまった。

ATOK X3 for Linux が GTK+ 2.16 に対応

こちらの記事で Fedora 11 Preview Release での ATOK X3 for Linux 使用において、変換候補の解説ウィンドウ表示に不具合がある旨を書いた。
また、あとになって気づいたのだが、Atokパレットから環境設定や辞書登録などのユーティリティを起動することもできないこともわかった。
しかし、こうした不具合はF11PRに限った話ではなく、GTK+ 2.16 を使ったシステムで起きる不具合だったようで、Ubuntu 9.04 でも同じような現象が起きていたらしい。
というわけで、ジャストシステムから’アップデート・モジュール配布のお知らせが来た。

▼ATOK X3 for Linux Ubuntu 9.04(GTK+ 2.16) 対応モジュール▼
support.justsystems.com/qadoc?QID=044668&m=jui4x01
(ファイルサイズ:約68KB)
─────────────────────────

【回避項目】
本モジュールの導入により、以下の現象を回避します。
…………………………………………………………………
・Ubuntu 9.04(GTK+ 2.16の環境)で、ATOK X3 for Linux の
電子辞典検索ウィンドウ、同音語用例ウィンドウ、解説ウィンドウ、
ATOKパレット(縦型に切り替え時)が正しく表示されない現象

ぱっと見で「Ubuntu 9.04」が目に入ったので関係ないかと思ったのだが、よく読むとGTK+の問題らしい。
試しに導入してみた。
インストーラなどはない。
ダウンロードしたファイルを展開するとできる /opt/atokx3/lib/client/jsgtkext.so を入れ替えるだけ。
念のためバックアップを取ってから差し替えたが、不具合が解消され、こうしてちゃんと動作している。

atrok_01atrok_02

こうしてアップデータを出してくれるのはありがたいが、最近のシステムにも根本で対応したニュー・ヴァージョンの ATOK for Linux のリリースが望まれる。
と、真面目に締めてみる。

動作検証用Weblog