昨2025年8月、渋谷陽一の訃報を受けて「メディアとしてのロックン・ロール」という文章を書いた。
渋谷陽一の最初の単行本(ロッキング・オン増刊)の書名であり、彼の生涯のテーマであると思えるフレイズである。
その認識はまっとうだったようで、生きていれば75歳の誕生日にあたる2026年6月9日にロッキング・オン(以下RO)からリリースされた渋谷陽一の上下巻アンソロジイのタイトルも『メディアとしてのロックン・ロール』となっている。
まえがきを書いているロッキング・オン・ホールディングス代表取締役の海津亮という方は存じ上げなかったのだが、たいへん素晴らしい文章で、わたしの渋谷陽一像と一致する内容になっている。
わたしが読者でなくなってから入社した若い方かと思ったら、キョードー東京や雲母社を経てRO入りしたヴェテラン、同世代の方であった。
2026年版『メディアとしてのロックン・ロール』は、上下巻に分かれており、全1000ページのヴォリューム。上巻に1972年〜1996年、下巻に1997年〜2025年に書かれた文章を収録。悪筆で有名な渋谷陽一の生原稿をあしらい、ザ・ビートルズのベスト盤(赤盤/青盤)を意識したデザインになっている。
自分がROを読まなくなったのが1997年ころなので、ちょうど上巻はほとんど読んだ文章、下巻はほとんど読んでいない文章が所収されている。
『SIGHT』以降の雑誌は知らないし、ロック・フェスのプロデューサーとしての渋谷陽一も知らない。しかし、フェス立ち上げに際して、渋谷陽一の文章は、1972年からまったく変わらない、期待通りの文章を寄せている。
ロック・イン・ジャパン・フェスをロッキング・オンとして主催していく事を決めたのは、フェスもひとつのメディアであると気づいたからである。
(中略)
トータルな表現としてのフェス作りは雑誌作りに似ているのではと考えたのである。『メディアとしてのロックン・ロール 渋谷陽一評論集 1997-2025』「客のプロが作るロック・フェスの正しさ」より
渋谷陽一がロック・フェスを始めたと聞いた時、紙媒体がどんじりになって新商売を見つけたのかと思ったが、そういうことではないのだ。なんだ最初から言ってよ、いや言ってるよ、ということが下巻の最終章「フェス 主催者メッセージ」には書かれている。
わたしはフェスを毛嫌いしていて、2019年にようやく初めてフジロックへ行ったフェス新参者である。しかし、行ったいまだからこそ、その文章の意味が分かる。変わらない「観客(読者)が主役」の思想も。
その章に掲載された最後の2本は、Webが初出なのでわたしも読んでいた。なので昨年8月の文章でわたしも言及したのである。
いつになく文体はたいへん礼儀正しいけれども、慇懃無礼というのとも違う、心の奥底の怒りが伝わってくる文章だ。
上巻はほとんど覚えているような文章ばかりなのであとまわし。下巻もまだ拾い読みした程度であるが、連載時にたまに目にした日経新聞のライヴ評(新聞表記のままというのも新鮮)のような短文が多くて楽しい。あの「トーキング・ヘッズ批判」は2009年にちゃんと責任を取ってるんだなぁ、とか。アート関係、政治関係の文章は初読なので新鮮。Web日記も収録してくれればよかったのに。
