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キミは点呼されたか

インタラクティヴ・ライヴの「三が日」も終わり、はや5日が過ぎた。
ほうぼうのサイトでレポートを見かけるようになり、今さら書くのは後出しジャンケンのようで気が引けるが、まだ「松の内」ということでお許しいただこう。
(って誰に?)
曲目などはライヴ直後にNEWSに掲載したが、ようやく脱力から復活し、感想めいたものを書く気になったのだ。

アルバム・レヴューで「ディストピア3部作」などという言葉を使ったけれど、ライヴを観て、まあ、それもあながちハズレではなく、平沢進なりに「けり」を付けたのだなあ、というのが第1の印象。
Astro-Ho!が「私がこの惑星に来てから9年の月日がたった」と言っているように、起点は2000年なのだ。
アルバム同様、ライヴも「ディストピア3部作」となっているのは間違いない。

ただ、前2作においても、決して自らの内側を問うことを忘れなかったのが、平沢である。
そして、今回はアルバム、ライヴともに、視点は外的事象より、むしろ「内なるディストピア」に向けられている。
ファンクラブの会報インタヴューで平沢は次のような要旨のことを語っている。

  • 『点呼する惑星』は情勢の話ではない
  • 内なるディストピアを放置したまま、外的なディストピアに真剣に立ち向かおうとしている人の滑稽さを描いている
  • (要約は高橋による。ちゃんと読みたい方はGreenNerveにご入会ください)

アルバムでは、聴く者の想像力に任せた部分が大きいが、ライヴではそうした要素がより具体的、直截的に説明されていた。
ここで重要なのは「滑稽さ」というキー・ワードだ。
アルバム、ライヴともに、B級SF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』の「ゆるい」「だるい」世界観やテイストが大きく影響しているわけだが、その核にあるのは「滑稽さ」だろう。
滑稽さ、笑い、というのは、言葉を置き換えると客観性である。

ライヴのもっとも重要なアイテムである「トゥジャリット(詐欺)」は、自らが作り出したものであり、簡単に換言するならば「先入観」ということだろう。
もちろん、平沢自身にはもっと別の考えがあるだろうし、トゥジャリットが壊れた時に何故なかからカンカンに怒った「幼児Lonia」が出てくるのか、とか、3種のペルソナ「AAROM」はなにを意味しているのか、とか、いろいろあるわけだけど、この際、そういうことは深く考えない。
まあ、単純に解釈するならば、怒り・悲しみ・恐怖といった強い感情に支配されている時は、外から自分を見る目を失い、自らの感情に支配されてしまうし、その中心にあるのは幼児性だ、などと言うこともできるが、ぜんぜん違っているかもしれない。
(そっから発展させると、空とか禅とかになりそうだけど、よくわからんしな)
でも、そんなん違っててもいいじゃん、と観客がラクな姿勢で楽しめるところが、今回のライヴのいいところである。

そう、今回のライヴは「説明しすぎない」ところがいいのである。
言葉を換えるなら「詰め込みすぎない」ということだ。

ライヴに日参した某アニメーション監督は、しきりに「バランス」という言葉を使っていたが、確かに今回は、音楽・物語・CG・ 文字情報、ゲストのパフォーマンス、そしてネット参加と、どれもが「いいあんばい」なのであった。
じゃあ、今まではバランスが悪かったのかというと、そういうわけでもなく、あのスタイルなりのバランスはあったと思う。
しかしながら、濃すぎ、言い過ぎ、演出しすぎ、難解すぎ、という側面も確かにあって、すべての要素が過剰なところでバランスを取ろうとしていた、とも言えるだろう。
それでも「Limbo-54」などは、その過剰さの臨界点で実を結んだ最高のパフォーマンスだったと言える。

しかし、そんなことは平沢自身がいちばんよくわかっていて、そもそも前の「Live 白虎野」の時点で、新しいスタイルへ移行したがっていたのである。
できれば物語性を廃して、もっとシンプルな構成にしたいというようなことを言っていただが、結局は「Limbo-54」の延長線上にあるスタイルになってしまった。
要はタイミングである、時機でなかったのだ。

今回のライヴで「風通し」がよくなった最大の要因はやはり、ゲストのSP-2によるパフォーマンス。
彼女達によって肉体性の比重が高まった意味は大きいだろう。
特に道化役 Rang のパフォーマンスは、会場の雰囲気を大きく変えた。
また、物語設定やテキストにも笑いの要素がふんだんに盛り込まれていたために、いわゆるバッド・エンディングでもブルーにならず楽しめた。
「父さん…」なんて古谷徹の声で脳内再生されたが、果たして飛雄馬なのかアムロなのかわからんかったよ。
(あ、飛雄馬なら「父ちゃん」か)

まあ、バッドでも振りだしに戻っただけで、兄弟で暮らせていいね、って感じ。
逆にグッド・エンディングでも「それなりのカタルシス」はあるものの、世界が一変するわけでもなく、そこには日常があるだけ。
また日々を生きるだけだよ、あとは自分でなんとかしてね、と。
そこも『キン・ザ・ザ』っぽいわけだが、非常に見ていて清々しい。
ただ、オチに「私のトゥジャリット」云々の台詞を持ってくるのは、ちょっとずるい気がしたけど(笑)。

さて、今回は楽器回りにも変化があったのは周知の通り。
キーボードがなくなって、とうとう「普通の楽器」はギターだけに。
かわりに登場したのが、レーザー・ハープみたいな新楽器。
名前はまだ無い。

これは、beamz というレーザー光線がトリガーとなって音を出す楽器をバラバラにして組み直し、パーツを附加しているわけだが、チューブラー・ヘルツ、グラヴィトンと続く、伝統の芸風である。
これを買えばすぐに平沢的パフォーマンスができると思ったら、甘い。
実はこのマシン、オリジナル音源を仕込むようにはできておらず、仕様も公開されていないのだ。
本来は発売元が販売する音(曲)をロードするだけになっているので、オリジナルの音を鳴らすには、自分で手を入れなくてはならない。
平沢版は、ハードとソフト、両面からハックした独自仕様なのだ。
にしても、平沢は製品版が出る以前、プロトタイプがWebで発表された段階からコイツに目を付けていたらしいが、いったいどんなレーダーを持っているのか、不思議である。

ミュージカル・テスラ・コイル(Zeusaphone)も今回はパワー・アップ。
前回(PHONON2551)よりもファラデー・ケージを大型化したため、その分、スパークも大きくなった。
もともと設計では150cm以上のスパーク出ることになっていたのだが、ほんとにあんなに大きなスパークが出るとは思わなかった。
疑ってごめんよ、スティーヴ。
しかも、今回は山車に乗って現れる新趣向。
トゥジャリット破壊にもひと役買って電撃をお見舞いした。

アルバム『点呼する惑星』と同様、ライヴ「点呼する惑星」も、この10年を総括すると同時に、新しい方向性を示すものとなった。
2010年代の平沢進がなにを見せてくれるか、非常に楽しみである。

…と、音楽ライターみたいに締めておこう。

春来たりなば夏遠からじ

なんてことはシェリーは書いていないわけだが、あっという間に3月も終わり、もうすぐ4月である。
このぶんではすぐに夏が来てしまいそうだ、イヤだけど。

庭では桃の花が満開だ。
桜と違って桃はなかなか散らず、寒の戻りもあってか、2週間ほど満開状態を維持している。
などと時候の挨拶ではなかった。

1980年代 全ドラマ・クロニクル

80's drama chronicle

学研
TV LIFE編集部/編
2009年3月31日発売
定価 4410円
B5判・368ページ
www.tvlife.jp/

10日ほど前までこのような本の編集作業に忙殺されておりました。
わたしはB5判で分厚くて高額な本の専門編集者なのだろうか(苦笑)。
この本は(あくまで予定だが)1990年代、2000年代も企画されていて、反応がよければ、またすぐに作業が始まる。

オフィシャル・サイトにはまだ情報が上がってないようだが、書店サイトを見ると、なんか値段が違ってるな。
ひょっとすると値下げしたのか値上げしたのか。

www.7andy.jp/books/detail/-/accd/R0403952
www.bk1.jp/product/03089668

正確な情報や表紙写真など、またアップいたします。
1か月ぶり以上の更新ですが、今日はここまで。

———————-

4/6追記
リンクと写真を追加。
価格は4410円(税込)で正しかったようで、上記販売サイトでも修正されていました。

点呼する惑星 (4)

平沢進は「からくりお江戸」に住むのがよいのではないかと思う今日このごろ。
団子はお嫌いか?

8. 可視海

ミドル・テンポのリズム・ボックスのイントロを聞くとそれだけでわくわくしてくるのはわたしだけでしょうか。

かったるいリズム・ボックスにウィスパー・ヴォイス。
自称スペイシーなボトルネック。
高揚と沈静の両面をもったヘンな曲。
計算された「ゆるさ」や珍しく「甘い」ギターがいい。
ちょっとロキシー・ミュージックを思い出しました。
これまたいかにもインタラクティヴ・ライヴの終盤に位置しそうな、ちょっとヘンな次元を感じる。
「ヘン」しか語彙がないのか。

9. Phonon Belt

ホルンに坊主のオペラ。
アルバム中もっとも美しく懐かしいメロディと歌声に包まれる、もっとも安心して聴けるドラマティックな曲。
歌詞的にも「裏主題歌」と呼びたくなるアルバムを代表するナンバ。
平沢らしい「記憶掘り起こし」手口満載。
まさに「見たこともないのに懐かしい」元型刺戟曲。
これまたライヴのクライマックスに似つかわしい。
…って、クライマックスばっかりか。
ライヴの中盤を盛り上げる曲はないのか…いや、あるけど。
でも、そういやPhantomNotesで本人も書いてたな。


よく思うのだが、私の曲はほとんどが何かのエンディングテーマのように聞こえる。何かが終わり、良くも悪くも全てを綺麗さっぱり置き去りにして異境へ向かう感覚が目標だったりもする。


すごい自己分析力。
これ以上、言うことなし。

10. Astro-Ho!帰還

そしてラストでふたたび奈落へ。
M2に呼応するだるくかったるいワルツ。
ハープが奏でるもの悲しくも美しいメロディが被さった平沢流ジンタPartIIだ。
ここから始まる物語でもよかったのではないかと思えるが、リスナーを奈落へ突き落とし、いやあああああな余韻をぶった切る悲鳴でアルバムは終わる。
キャ→
「パレード」で終わった『白虎野』にも通じるが、あのように重い気分ではなく、あーバカバカしかった、と誰にも看取られず最期を迎えることができた一生だ。

悔やまれるのは「ASTRO-HO-06」が収録されなかったこと。
いや、収録の予定があったとかそういうわけじゃないのだけど、アルバム未収録なんだし。
せっかくアストロ・ホーが主人公なんだし(決めつけ)サウンドもメロディもぴったりこのアルバムにはまると思うのだが。

たぶん続くがいつとは言えぬ。

点呼する惑星 (3)

菊池桃子さんと花粉症と80年代について語らった日は100枚もの写真に映った人物の肖像権をクリアしなくてはならない日。
…と、某三行logを真似てみながら、さあ続き。

点呼する誘惑星

3. 人体夜行

シンフォニックなシンセにかぶさるモジュレートされたブリープ。
ピアノとティンパニが奏でる平沢らしいドラマティックな導入。
どアタマの「頂上に降る雪」でもうやられてしまう曲。
闇。雪。といったフレーズが似つかわしいピアノとハープをバックにした浮遊感のある美しいメロディ。
モジュレートされた声。

視点は天空にある。
天空から地を行く人を見ている。

ディストピアにおいて心安まるシーン。
天空から神が励ましていうような。
悟空を見守る菩薩。
「夜は無尽蔵」「キミは無尽蔵」「道は無尽蔵」と自ら課したリミッタを外そうとする。

4. Mirror Gate

平沢が「ロックン・ロール」と表現したという疾走感あふれるスピーディでドラマティックな展開。
シンセのピューンというイントロを聞くとそれだけでわくわくしてくるのはわたしだけでしょうか。

…のはずが、一転して奈落へ、ダーク世界へ。
思い切りハイ・スピードで走り抜けようとして関所の壁に激突したようなシャウト。
まさに鏡像の関。
龕灯返し暗転明転が仕込まれた背反要素を強引にブレイクでつないでひっぱる強引すぎる強引なナンバ。

だしぬけに別キャラ登場。
「通すまじ」って誰が?
ここにも別種の「天の声」が。

アルバム中最も演劇的なナンバ。
コンセプト・アルバムという言葉も古めかしいが、さらに懐かしい「ロック・オペラ」という言葉を久しぶりに思い出した。
しかし、そういうとどうもザ・フーの『四重人格』とかピンク・フロイドの『ザ・ウォール』とかデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』とかを思い浮かべてしまうな。

なんか『P-MODEL』あたりのP-MODELとか『サイエンスの幽霊』あたりのソロを思い出すサウンドですが「夢の島思念公園」のように気持ち悪いほどの陽気さが漂っていてステキです。

5. 王道楽土

テープの逆回転ぽい音のイントロを聞くとそれだけでわくわくしてくるのはわたしだけでしょうか。

平沢の「常套手段」てんこ盛り。
デスが共演したがるような、ハード・ロック的バロック的大仰な派手世界。

空間的視点ではなく、時間的視点を持ち込んだ曲。
歴史的記憶を呼び覚ます。
紀元前になにがあったか。
堯舜の時代へ。
でも思い出せない。
シャウト!!

6. 上空初期値

「LAYER-GREEN」系列に属する平沢らしい疾走感あふれるスピーディでドラマティックな展開。
個人的には「山頂晴れて2009」と呼んでもいる。
霧深い山を越えてきて、急に視野が開けたかのような爽快感。
歌詞を読まなくても、サウンドだけでそう感じさせる。
初めて聴いた時からインタラクティヴ・ライヴのクライマックスにいる自分を感じたほど。
平沢自身も自分の作った曲によってイメージを広げて作詞したのではないかと想像する。
「Mirror Gate」のように途中で化け物でも現れたらどうしようか、どこかに突き落とされたたらどうしようか、と疑心暗鬼になるものの杞憂に終わる。

見よ「ようこそ」と聞こえた

と、歌詞も非常に肯定的。
掘削機のようなドラム・ロールにプロペラのエンジン音。
意外なほどに安心して聴ける曲。

7. 聖馬蹄形惑星の大詐欺師

ジンタに誘われて入ったサーカス小屋に歴史の秘密を見た。
古代まで時間と記憶が遡り、神話と伝説を呼び起こす。

アルバム中もっとも派手でノリのいいアストロノーツ的サーフ・サウンド。
60年代エレキ〜70年代ハード・ロック〜80年代ニュー・ウェイヴと平沢音楽史が凝縮。
P-MODELっぽいとも言える。
ぜひ「美術館」もモズライトで弾いてもらいたいものである。

続きは明日だ、さあ、寝よう。

点呼する惑星 (2)

Green Nerve 会員には新譜と一緒に会報25号も届いているであろう今日このごろ。
続きを書くといたしましょう。

点呼する惑星

しかし、今回のアルバムは非常にレヴューしにくいのである。
平沢進自身が微に入り細に入り、というか、微細過ぎてどの部分が拡大されているかわからなかいような、親切なんだか嫌がらせなんだかわからない解説を、サウンドと歌詞の両面でやっているので、どうも書きにくいのだ。
特にサウンド面などは、客観的事実も多く書かれているので、生半可なことは書けないのである。
そんなPhantomNotesに加え、さらに会報では、自問自答(ノリツッコミ)漫才のような全曲解説までしちゃているのであるから、なおさら書きにくい。
まあ、作り手の解説が常に「正解」とは限らないが、まだ読んでいない方は、まずはこちらを読むことをお薦めする。
noroom.susumuhirasawa.com/modules/phantom/

…はい。
読みましたか?

では、こちらのレヴューは主観で逃げることにする。

「相反する複数の要素が同居した奇妙な世界」は、サウンドでも表現される。
もう、地味なんだか派手なんだかよくわからない。
この多彩なひねくれ度合は、ここ10年で最高値を記録している(計測はあくまでわたしの体内)。
「白虎野」のようなキャッチーな曲を求める向きにはいかがなものかと思うが、これはかえって初期で去っていったリスナーを呼び戻すのではないか。
古い技法も新しい技法もすべて同じ面に並べられ、新しいサウンドを紡ぎ出す素材となっている。
もう不意打ちが当然の連続で、フツーの曲展開が続くとどこかからなにか出てきやしないかとどきどきする始末。
機関(からくり)屋敷に放り込まれた気分。
出てくる時に頭がおかしくなっているか正常に戻っているかは人次第。
お代は見てのお帰り。
まずはこちらをご賞味あれ。


王道楽土

85秒で巡る『点呼する惑星』ツアー

というわけで、以下、初聴雑感。

1. Hard Landing

異世界へのドアを開く、導入的インスト。
メガフォンから響く「点呼」のアラート。
テルミンのような、というか、カーロスのようなレトロで不安定なシンセ。
重厚なシンフォニーにティンパニ、コーラス。
曇天の惑星に大気圏突入し、宇宙から惑星へ。
いつの間にか別の曲になっているようだ。

2. 点呼する惑星

重厚なオープニングから一転、思わず笑いたくなる。
「徒労」「シーシュポスの岩」「賽の河原」といった言葉が浮かぶ、タイトル・チューンとなったSF仕掛けのジンタ。
平沢流「美しき天然」か(ぜんぜん違う)。
ヴィブラ・スラップ(キハーダ)やシロフォンといったおもちゃ楽器。
バックではシンセのヘンな音がこれでもかと効果音的に流れる。
重荷を背負ったかったるい気鬱な調子から一転し「天の声」のように典雅なメロディ。
同じ舞台上でまったく違うシチュエーションが展開される芝居さながら。
『キン・ザ・ザ』はもちろんのこと、テリー・ギリアム作品なんかも思い浮かんでしまう。
…って、実は『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』くらいしか観てないんだけど、ほんとは『バンデットQ 』あたりが近いのだろうか。

では、昼休み終了(笑)。

点呼する惑星 (1)

2003 蛮行と戦争の恐怖で制御される惑星 ―― BLUE LIMBO
2006 枯れシダ教に支配された世界 ―― Live 白虎野
2009 メガホン・タワーから日に1000回ものコール

今年の惑星は点呼する!!

Planet Roll Call 点呼する惑星
2009年2月18日発売
ケイオスユニオン(TESLAKITE)
CHTE-0046
01. Hard Landing
02. 点呼する惑星
03. 人体夜行
04. Mirror Gate
05. 王道楽土
06. 上空初期値
07. 聖馬蹄形惑星の大詐欺師
08. 可視海
09. Phonon Belt
10. Astro-Ho!帰還

平沢進の『BLUE LIMBO』『白虎野』に続く、ディストピア3部作(例によって勝手に命名)の完結篇。
その途中には、核P-MODEL名義の『ビストロン』という「番外篇」もあったわけで、21世紀の最初の10年はディストピアの告発と克服に充てられたとも解釈できる。
ひとつの契機となったであろう9.11も随分と遠い記憶となってしまった。

また本作は、ある「物語」をベースにしたコンセプト・アルバムでもある。
ただし、Phantom Notes に記されたセルフ・ライナーノーツによると、リスナーの自由な解釈を阻害しないよう、その「物語」はいったん解体され、アルバムにはその骨子と断片のみが残されたらしい。
平沢がアルバム制作後に断片を再構築した物語は次のインタラクティヴ・ライヴで明らかになる。


荒涼とした平地が果てしなく続く「点呼する惑星」。
文明の気配はなく、しかし不気味に並ぶ無数のメガホン・タワーは日に何度も点呼を繰り返す。
何処に居ようとも届く点呼の声に、その男の脳ははっきりとした「世界」を作り出す。
男はその「世界」に住んでいるのだと信じていたのだが…。
彼は、地図にはない地の果てを目指す旅に出た。


私はこのアルバム『点呼する惑星』を作るにあたって、ある物語を作った。
しかし、それは創作の地図として作ったに過ぎず、伝えたいメッセージとして在ったものでは ない。
これは音楽の作品である。物語は音楽の流れを整えるために解体され、断片化された。
まずは音楽として楽しんでもらいたいと思う。
「点呼する惑星」の物語は、リスナーの数だけ有っていいのだ。(平沢進)


(以上、オフィシャル・サイト NO ROOM より)
noroom.susumuhirasawa.com/modules/artist/rollcall.html

M10「Astro-Ho!帰還」が示すように、これは地球に帰還したAstro-Ho!の物語なのかと思い、うっかり「地球オチ」の名作ディストピアSF『猿の惑星』を思い出してしまったが、そう単純な話でもないらしい。
「Astro-Ho!」とは、99年にP-MODEL名義で公開されたMP3「Astro-Ho (narration Ver.)」に登場し、平沢が「宇宙の捨て子」と呼ぶキャラクタで、2006年には平沢進名義で公開された亜種音TV Vol.14「ASTRO-HO-06」で再登場した。
「宇宙の捨て子」からは「宇宙の孤児」という言葉も浮かぶが、ハインラインはあまり関係がなさそう(アルファ・ケンタウリは出てくるけど)。
平沢版「コンスタント」「トム大佐」「トーマス・ジェローム・ニュートン」と言い換えてもいいだろう。

作品のイメージに重要なヒントとなったのが、平沢が常にフェヴァリットに挙げるロシアSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』なのは言うまでもない。
さらに加えるならば同じロシアSF映画『惑星ソラリス』あたりか。

個人的に思い浮かべたSF映画に『ミクロの決死圏』がある。
この映画では潜水艇か宇宙艇のような乗り物が不思議な空間を旅するが、そこは宇宙でも海中でもなく、人間の体内なのである。
べつに「実は体内だった」オチというわけではないが、インナー・スペースもアウター・スペース同様に不思議な世界であることを幼児だった自分に教えてくれた。


あなたが人より遠くへ行けないのは、あなたが描いた地図のせいだ。


Phantom Notes 2009年1月22日 新譜世界断片高倍率拡大図7 より
noroom.susumuhirasawa.com/modules/phantom/index.php?p=116

結局、この世界を形作っているのは自分のイメージであり、自分の脳内イメージから逃れられない。
『マトリックス』などもそうだが、結局、ディストピアを形作っているのは、自分のイマジネイションなのである。
ジョン・レノンに言われなくても、養老孟司に言われなくても、そうなのである。
いや、言われてもいいんだけど。

これは「Live 白虎野」でもそうだったが、ディストピアから脱出するには「支配者を討つ」のではなく、自分自身と対決するしかない。
その意味では、平沢進というひとは一貫している。
恐怖のパレードも「キミの名の下に」やって来るのだ。
他人のせいなんかにしないのである。

『BLUE LIMBO』『白虎野』と続いたせいか、平沢進は陰謀論のひとだと思われている節もある。
陰謀論というのはSFのようなもので、通常の世界観とは違う、もうひとつの視点を得るという意味ではたいへん面白いし、フリー・エネルギーなんかと同様に平沢の想像力をかき立てるひとつの素材になったであろうことは想像に難くない。
ただ、平沢はオカルト信者のような「ロマンチスト」ではないし、そっち方面には意外なほど(残念なほど?)醒めた視点を持っている。
そんなに平沢進は「いい人」でも「おめでたい人」でもない。
そんなことは平沢リスナーなら百も承知だろう。
いや、性格が悪いわけではないが(笑)。

現実感を削ぎ落として、異世界での物語に仕上げているものの、そこには恐ろしい現実の鏡像がある。
とはいっても、ガチガチにシリアスなものはなく、主人公と思われる主観的存在を「バカじゃねーの」と天空あたりから見ている客観的存在がある。
きっちり組み上げた物語ではなく、積極的に穴だらけでバカバカしい。
これは『キン・ザ・ザ』を観たことがある者ならば納得の「質感」である。

点呼する惑星 (0)

さて、いよいよ明日は平沢進『点呼する惑星』の発売日である。
新譜は発売日前日には店頭に並ぶのが通例であるから、もう多くのリスナーがアルバムを手にしたことだろう。
発売日より前に入手することを、和製英語でフライング・ゲット、略してフラゲと言ったり書いたりするらしいが、略する前の和製英語ですら意味不明なのに、加えて略するともう何語であるかさえわからなくなる。
こういう元は隠語のような仲間内でのみ使っていた言葉が一般化するのは、自らが所属する閉鎖的な小さなコミュニティ内でしか通用しない言葉を「外の世界」でも無頓着に使うことから広がっていくのだろうが、きっとコドモかイナカモノなんだろうな。

そういえば流行語になった(させた)らしい、アラサーとかアラフォーとかいうのも、いかにもイナカモンの集まりの広告業界が言い出しそうなフレーズである。
そういえばキンクリとかロバフリとか略する不届き者がいるが、いったいなんなのだろう。
ピーガブにいたっては蔑称のような気さえするが、ここまでくるとちょっとだけ面白い。
そういえば一時期、ムスタングをマスタング、ムーグをモーグに言い換えたように、ピーター・ガブリエルをピーター・ゲイブリエルに言い換えようという動きがメーカ主導であったけれども、根付かなかったな。
それならば、ピーゲブか。
もう妖怪の名前だよ。
それより前に、レッド・ツェッペリンをレッド・ゼプリンと言い換えたほうがよいように思うが、福田一郎先生は喜んでも渋谷陽一先生は喜ばないだろうな。

話が逸れた。

今回は発売日にはレヴューを書き上げて、一気にレヴュー・コーナーに掲載しようと思っていたのだが、なかなかそうもいかない。
またいつものように、だらだらと思いついたことを書き綴って、忘れたころにまとめ直して、レヴュー・コーナーに載せることとしよう。

ごめんね、Firefox

メモリ・リークらしき現象に悩まされていると書いたが、どうやら真犯人は別なところにいたらしい。
グラフィック・ボードを取り替えたら、ウソのように怪奇現象は収まってしまったのだ。

ハードウェア的に故障したのか、ソフトウェアの不具合かはわからないが、Fedora8では問題なく、Fedora10にしてから問題が発生したということは、後者の可能性が高いのではないか。
もちろん、OS入れ替えのタイミングでたまたまハードに不具合が発生した可能性も否定できないが、ほかの環境で検証することなく、古いボードは物入れへ仕舞われてしまった。
いや、仕舞ったのは自分だけど。

Fedora(というかLinux全般?)のドライバ開発は nVIDIA GeForce ばかりに力が入っていて、ATi Radeon のドライバは性能が低かったり、不具合があったりすると評判が悪かった。
しかしながら、事務職である自分にはどうも GeForce は敷居が高いというか、ゲーマー御用達のイメージがあって、これまでは Radeon を使っていたのだ。
いや、 Radeon だってゲーマーが使ってるとは思うけど、自分が使っていたのは X300SE 128MB というロウ・エンド向けだし、使い始めたのは PCI Express になってからで、ほかに選択肢がなくなったからだ。
AGPやPCIの時代はMatroxのMillennium を使っていたし、ISAの時代は…S3 ViRGE とかだったかなぁ……覚えてないや。
確かに、Fedora8でも Radeon では Compiz なんかはフリーズしまくりだったので切っていたが、普通にGnomeで1600×1200表示するぶんには問題なかった。

であるのだが、こうしょちゅうXが落ちるようになったのでは、致し方ない。
とうとう nVIDIA の軍門に下ることになった。
といっても、原因がRadeonドライバと決まったわけではないので投資は最低限。
これまたロウ・エンド向け、いわゆるエントリー・モデルの 9500GT DDR2 512MB というやつ、しかもバルクだが、ゲームなんかまったくやらないので、これで充分である。
いや、ゲームなんかまったくやらないのであればオンボード・チップでよいではないかと言う向きもあるだろうが、1600×1200でワークスペース4面、しかもVMを使ったりするには、オンボードでは頼りないし、そもそも使ってるマザーボードにグラフィック・チップは載っていない。

結果として、不具合は解消されたのだが、ふだんの表示性能は、体感できるほど変わらないのが悲しい。
自分の作業的には前のボードのスペックで充分だったということか。
まあ、それでも4面のワークスペースを行き来するのは軽くなったし、Compiz も問題なく動くようになった。
いや、Compiz が動かなくても、仕事上は関係ないのだけど、まあ、気分の問題だ。

さて。
というわけで Firefox が真犯人ではなかったようなのだが、Flock に比べて Firefox が重たく、メモリ・リークと見られる現象が起きるのもまた確かなようなので、現在も Flock を使い続けている(余計な機能も多いのだが)。
ただ、Firefox もホームディレクトリ上の設定ファイルやプラグイン、アドオンの類をいったん全て消去したら、かなり動作は軽くなった。
ほんとはメジャー・ヴァージョン・アップの際にはいったんそれらを消去して、バックアップから復元すべきらしいのだが、めんどくさいので1.xあたりからずっとそのままにしていたのがいけなかったらしい。
というわけで、Firefox よ、疑って悪かった。

VirtualBox は Amigan のために

VirtualBox 2.1.2 がリリースされた。
2.1.1 がちょっと不安定な気がしていたので(気のせいかもしれないが)今回はちゃんとまじめに Changelog を読んでみた。
そして、目を疑った。

# VMM: fixed guru meditation for PAE guests on non-PAE hosts (AMD-V)
# VMM: fixed guru meditation on Mac OS X hosts when using VT-x
# VMM: fixed guru meditation when installing Suse Enterprise Server 10U2 (VT-x only; bug #3039)
# VMM: fixed guru meditation when booting Novell Netware 4.11 (VT-x only; bug #2898)

www.virtualbox.org/wiki/Changelog

……や、guru meditation って、それって一般的なPC用語じゃないでしょ。
Amigaユーザと平沢進リスナ以外、わからんでしょう。
もともとはドイツのヴェンチャ企業かもしれんけど、今やサン・マイクロシステムズでしょう。

やっぱりな、ドイツで妙なものを開発するのは、Amiganか。
VMのご先祖たるエミュレータはAmigaの十八番だもんな。
詳しく調べたら、UAEやAmithlonの開発スタッフがいるかもね。

リーク・リーク♪ メモリ・リーク♪

リーク、といってもP-MODELは関係ない。
このところ、メモリ・リークらしき現象に悩まされている。
PCを操作中に急激に動作が重たくなり、しばらくするとフリーズしてしまうのだ。

Fedora10にしてから起こった現象であるが、Fedora10関連のBBSで同様の現象は報告されていないし、Fedora10全般に起きる現象なら今ごろ大騒ぎになってるはずなので、たぶん個別の環境に起因する問題なのであろう。
システム・ログを見てもその痕跡がないので、システム内部でどういう現象が起きているか、その原因がなんなのか、よくわからない。
ハードウェア的な問題かと Memtest86 でメモリを、DFT (Drive Fitness Test) でハードディスクをチェックしてみたが、エラーはなし。

いろんなアプリケーションを停止したりして調べてみたのだが、どうも単独犯ではなく、複数犯のようで、こいつが悪い! という原因の特定ができない。
いちばん怪しいのが Atok X3 for Linux で、次が Firefox3 であり、どちらも以前のヴァージョンでメモリ・リークの前科がある。
Sylpheed (メイル・クライアント) で文字入力中にフリーズしたこともあるので、ほんとは Atok をまず止めるべきなのかもしれないが、別なIMにすると仕事にならないので、これを止めるのは最後にしたい。

Firefox3 にしても、本体に問題があるのか、プラグインに問題があるのかわからないので、プラグインやアドオンの類をすべて無効にしてみた。
Flashのプラグインも過去にメモリ・リークの報告がある。
www.bub-site.com/archives/2005/09/000386.html

Adobe製品は伝統的にメモリ管理がなっておらず、野放図にメモリを喰いまくる習性があるので、Adobe Reader や Adobe AIR なんかもかなり怪しい。
あとは、Compiz (デスクトップの表示効果拡張) とかバックアップ・ソフト FlyBack (rsyncのGUIフロントエンド) とか KFTPGrabber とか、挙動が怪しいものはいろいろあるが、そういうのは切ってしまっても仕事上差し支えない。

Firefox本体やプラグインに問題がなくても、JAVAスクリプトなどによってメモリ・リークを引き起こされることもあるらしい。
Firefox にはメモリ・リークをチェックするプラグインがあるので、それを入れてみた。
Leak Monitor
addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/2490

そうしたら、出るわ出るわ、もうしょちゅうポップアップするのでうざくて使えないほど、メモリ・リークのアラートが出まくる。
Firefox本体の問題ではなく、表示したサイトのスクリプトに問題があるのかもしれないが、やはり Firefox の使用が原因のひとつであるのは間違いない。
にしても Firefox の代替ブラウザといってもなあ。
Opera は動作は機敏だし、悪くはないが、プラグインが貧弱なので、見られないサイトが多い。
テキストと写真程度のHTML文書をローカルで見るなら Konqueror もいいのだが、やはりWebサイトを見て回るには不便だ。

そこで行き当たったのがこの記事。
jp.techcrunch.com/archives/firefox-3-beta-1-the-memory-use-says-it-all/
早速 Flock 2.0 をインストールしてみた。
flock.com/

Flock は、Firefox をベースに開発されたブラウザで、Firefox のプラグインやアドオンのほとんどがそのまま利用でき、インストール時に Firefox のブックマークや蓄積された個人情報を簡単に引き継ぐことができる。
Flock 2.0 は、Firefox3 がベースになっており、今のところまだ英語版しかないが、Firefoxユーザなら問題なく使えるだろう。
ウリはSNSやブログ、ソーシャルブックマークなどの利用がより便利になった「ソーシャルWebブラウザ」とのことであるが、個人的にはそういう附加機能はどうでもよい。
www.atmarkit.co.jp/news/200711/05/flock.html

インストールしてみて、Firefoxより動作が軽快であることがすぐにわかった。
メモリ使用量自体は少なくなく、タブを20とか開いていると180MBくらいはいってしまうが、Firefox3よりはるかに動作が軽い。
そして、悩まされていたメモリ・リークらしき現象の起きる頻度は激減した。
メモリ・リークらしき現象がまったくなくなったわけではないが、我慢できる程度に減った。
Flock の開発には Nautilus の開発元だった Eazel のスタッフがかんでいるというのも納得である。
d.hatena.ne.jp/keyword/Eazel