点呼する惑星 (1)

2003 蛮行と戦争の恐怖で制御される惑星 ―― BLUE LIMBO
2006 枯れシダ教に支配された世界 ―― Live 白虎野
2009 メガホン・タワーから日に1000回ものコール

今年の惑星は点呼する!!

Planet Roll Call 点呼する惑星
2009年2月18日発売
ケイオスユニオン(TESLAKITE)
CHTE-0046
01. Hard Landing
02. 点呼する惑星
03. 人体夜行
04. Mirror Gate
05. 王道楽土
06. 上空初期値
07. 聖馬蹄形惑星の大詐欺師
08. 可視海
09. Phonon Belt
10. Astro-Ho!帰還

平沢進の『BLUE LIMBO』『白虎野』に続く、ディストピア3部作(例によって勝手に命名)の完結篇。
その途中には、核P-MODEL名義の『ビストロン』という「番外篇」もあったわけで、21世紀の最初の10年はディストピアの告発と克服に充てられたとも解釈できる。
ひとつの契機となったであろう9.11も随分と遠い記憶となってしまった。

また本作は、ある「物語」をベースにしたコンセプト・アルバムでもある。
ただし、Phantom Notes に記されたセルフ・ライナーノーツによると、リスナーの自由な解釈を阻害しないよう、その「物語」はいったん解体され、アルバムにはその骨子と断片のみが残されたらしい。
平沢がアルバム制作後に断片を再構築した物語は次のインタラクティヴ・ライヴで明らかになる。


荒涼とした平地が果てしなく続く「点呼する惑星」。
文明の気配はなく、しかし不気味に並ぶ無数のメガホン・タワーは日に何度も点呼を繰り返す。
何処に居ようとも届く点呼の声に、その男の脳ははっきりとした「世界」を作り出す。
男はその「世界」に住んでいるのだと信じていたのだが…。
彼は、地図にはない地の果てを目指す旅に出た。


私はこのアルバム『点呼する惑星』を作るにあたって、ある物語を作った。
しかし、それは創作の地図として作ったに過ぎず、伝えたいメッセージとして在ったものでは ない。
これは音楽の作品である。物語は音楽の流れを整えるために解体され、断片化された。
まずは音楽として楽しんでもらいたいと思う。
「点呼する惑星」の物語は、リスナーの数だけ有っていいのだ。(平沢進)


(以上、オフィシャル・サイト NO ROOM より)
http://noroom.susumuhirasawa.com/modules/artist/rollcall.html

M10「Astro-Ho!帰還」が示すように、これは地球に帰還したAstro-Ho!の物語なのかと思い、うっかり「地球オチ」の名作ディストピアSF『猿の惑星』を思い出してしまったが、そう単純な話でもないらしい。
「Astro-Ho!」とは、99年にP-MODEL名義で公開されたMP3「Astro-Ho (narration Ver.)」に登場し、平沢が「宇宙の捨て子」と呼ぶキャラクタで、2006年には平沢進名義で公開された亜種音TV Vol.14「ASTRO-HO-06」で再登場した。
「宇宙の捨て子」からは「宇宙の孤児」という言葉も浮かぶが、ハインラインはあまり関係がなさそう(アルファ・ケンタウリは出てくるけど)。
平沢版「コンスタント」「トム大佐」「トーマス・ジェローム・ニュートン」と言い換えてもいいだろう。

作品のイメージに重要なヒントとなったのが、平沢が常にフェヴァリットに挙げるロシアSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』なのは言うまでもない。
さらに加えるならば同じロシアSF映画『惑星ソラリス』あたりか。

個人的に思い浮かべたSF映画に『ミクロの決死圏』がある。
この映画では潜水艇か宇宙艇のような乗り物が不思議な空間を旅するが、そこは宇宙でも海中でもなく、人間の体内なのである。
べつに「実は体内だった」オチというわけではないが、インナー・スペースもアウター・スペース同様に不思議な世界であることを幼児だった自分に教えてくれた。


あなたが人より遠くへ行けないのは、あなたが描いた地図のせいだ。


Phantom Notes 2009年1月22日 新譜世界断片高倍率拡大図7 より
http://noroom.susumuhirasawa.com/modules/phantom/index.php?p=116

結局、この世界を形作っているのは自分のイメージであり、自分の脳内イメージから逃れられない。
『マトリックス』などもそうだが、結局、ディストピアを形作っているのは、自分のイマジネイションなのである。
ジョン・レノンに言われなくても、養老孟司に言われなくても、そうなのである。
いや、言われてもいいんだけど。

これは「Live 白虎野」でもそうだったが、ディストピアから脱出するには「支配者を討つ」のではなく、自分自身と対決するしかない。
その意味では、平沢進というひとは一貫している。
恐怖のパレードも「キミの名の下に」やって来るのだ。
他人のせいなんかにしないのである。

『BLUE LIMBO』『白虎野』と続いたせいか、平沢進は陰謀論のひとだと思われている節もある。
陰謀論というのはSFのようなもので、通常の世界観とは違う、もうひとつの視点を得るという意味ではたいへん面白いし、フリー・エネルギーなんかと同様に平沢の想像力をかき立てるひとつの素材になったであろうことは想像に難くない。
ただ、平沢はオカルト信者のような「ロマンチスト」ではないし、そっち方面には意外なほど(残念なほど?)醒めた視点を持っている。
そんなに平沢進は「いい人」でも「おめでたい人」でもない。
そんなことは平沢リスナーなら百も承知だろう。
いや、性格が悪いわけではないが(笑)。

現実感を削ぎ落として、異世界での物語に仕上げているものの、そこには恐ろしい現実の鏡像がある。
とはいっても、ガチガチにシリアスなものはなく、主人公と思われる主観的存在を「バカじゃねーの」と天空あたりから見ている客観的存在がある。
きっちり組み上げた物語ではなく、積極的に穴だらけでバカバカしい。
これは『キン・ザ・ザ』を観たことがある者ならば納得の「質感」である。

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