フリー・ソフトウェアとしての平沢進

「ASCII.jp」に、四本淑三による平沢進インタヴューが掲載された。

ソロデビュー20周年記念・平沢進ロングインタビュー【前編】
「私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない」 本人に聞いてみた
ascii.jp/elem/000/000/482/482115/

ソロデビュー20周年記念・平沢進ロングインタビュー【後編】
平沢進が語る、音楽の新しいスタンダード
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近年の平沢進の立ち位置や態度というものを知るうえで格好のインタヴューであり、類がないほど優れた平沢分析になっているだけも素晴らしいのだが、既存の音楽産業の問題点やネットを中心とした新しい音楽シーンを知るという意味では、平沢進に興味のないひとも読むべきテキストになっている。

そこでちょっと便乗する形で、インタヴューでもキイ・ワードとなっている「フリー・ソフトウェアとしての平沢進」について少し書いてみたい。
「フリー・ソフトウェアとしての」といっても、平沢進は音楽そのソースコードにあたる出力前の音楽データを公開しているわけでもないし、GPLやCCに則って音楽配信しているわけでもない。
再配布や改変については(建前上は)制限が加えられている。
だから、ここで言うのはもちろん厳密な言葉の意味での「フリー・ソフトウェア」ということではない。
ここでフリーでオープンというのは、態度や心意気の話である。
だからこそ、書籍『音楽産業廃棄物』のP-MODEL篇を「Open Source」と名付けた。

さらに、ここに「ハッカー・スピリット」という言葉を加えてもいいだろう。
「必要なら、ないものは作っちゃう」「とりあえず用が足りればよい」という感じでガシガシやっちゃう「hack」という言葉のイメージはここらへんをご覧いただきたい。

山形浩生 Hackについて
cruel.org/freeware/hack.html

平沢進のハック精神を知るために、ちょいと82年にまで遡る。
このころ平沢は、自作サンプリング・マシンの「ヘヴナイザー」をP-MODELのライヴで使っていた。
ヘヴナイザーは83年リリースのP-MODEL『不許可曲集』や84年リリースの旬「(I)-Location」などの作品でも使われ、業界関係者から「平沢は宝くじに当たったに違いない」とウワサされたそうである。
当時、サンプリングマシンはジ・アート・オブ・ノイズなどのサウンドで知られるようになったが、数100万円〜1000万円もする高価なシロモノで、平沢進にそんなものを買う金があるはずもなく、徳間ジャパンにもそんな機材を買う資金はないだろうから、いったいどうやってあのサウンドを作ったのだろうといぶかしく思ったというわけだ。

ご参考
www.asahi-net.or.jp/~AH9Y-NKJM/NAIYO/comment/text_e.html

つまり、そのサウンドを聴いた者は、イミュレータだのシンクラビアだのを使ったのかと思ったわけだが、もちろん実際にはヘヴナイザーに同等の機能があったわけではない。
エヴァンスのテープ・リヴァーヴの消去ヘッドにオン/オフのスウィッチをつけ、シンセサイザーのゲートブロックを通したというシロモノで、デジタルなサンプリング・マシンよりはむしろメロトロンに近いアナログ機材だったわけだ。
しかし、ここで重要なのは、貧乏を努力と創意工夫で乗り越えたということではない(笑)。
自分の望む効果さえ得られれば、あり合わせの素材でかまわない、という態度である。
そのうえ世間を騙せたら愉快というひとの悪さ。
これは今まで続く平沢進の一環した態度である。

──ライヴではデジタルのシーケンサーは使ってなかったんですか。
中野 持ってなかったんじゃないかな。シンセサイザーに内蔵の簡単なものはありましたけど、それをドラムと同期したりするっていうことはなかったです。「カルカドル」のイントロとかはテープでしたよ。
高橋 「OH MAMA!」とか。
中野 「OH MAMA!」はすごかっただろう。間奏の女性コーラスの部分って、カセット・テープのポン出しなんですよ。同期もなにもしてないんですよ。高橋くんが演奏しながらやってるんですよ。頭出しも勘なんですよ。シーケンス的なものも手弾きでやったりとか。私なんか「おやすみDOG」の16ビートの単調なフレーズを、ずーっと生でやってましたから。
高橋 今だったら、シーケンサー使ってなんとなくやってるところを、全部肉体労働でこなしてたんですよね。
中野 でも、あれは必然です。P-MODELは、今ある機材や素材の中でやりくりするっていう。原始的だし、乱暴だし、それを疑いもしないし。そこがよかったのかもしれないんですけれども。
──あ、基本的な発想がね。なければ作るとかね。
中野 自作派ですね。なきゃ作るっていうのは、いい考えですよね。
高橋 長ーい30mのMIDIコードとかも必要で、でも売ってなかったりするじゃないですか。そういう時って3人で半田付けしてたりとか。
(書籍『音楽作業廃棄物』中野テルヲ/高橋芳一対談より)

インタラクティヴ・ライヴにしろ、ソーラー・ライヴにしろ、広告代理店が入り、巨大スポンサーがついて、金に糸目を付けずに、機材やスタッフを使いまくってやったとしても、それは意味がないことだと平沢はよく言う。
リスナーに「自分にもできる」と思わせないと意味がないのだと。
初期のインタラクティヴ・ライヴなんて、コンピュータの素人である平沢が自分でスクリプトを組んでAmigaにやらせたわけだが、スポンサーの名乗りを上げた某有名国産コンピュータ・メーカに対して平沢が「同じことできますか?」ときいたところ、うなだれて帰っていったそうである。
しかしながら、平沢リスナーは、自分たちなりに「似たこと」ができるようなシステムを考えて、インタラクティヴ・ライヴの「コピー」までやってしまったのだ。

すべてそうだなのだ。
なるべくなら民生機を使って、なるべくならプロ用機材を使わない。
なるべくならフリー・ソフトウェアやフリーウェア、無料のサーヴィスなどを活用したい。
こういう姿勢はほんと変わらない。

だからこそ、以前のインタラクティヴ・ライヴはPeerCastでP2P中継したし、今年はUstreamやStickamでライヴ中継し、Skypeを使ってユーザをつないだ。
オフィシャル・サイトの構築に XOOPS Cube や WordPress, ZenCart といったフリー・ソフトウェアを使っているのもそのためだ。
やろうと思えば、誰だって投稿サイトやSNSを利用するなり、自分でポータル・サイトを作るなりして、音楽配信なんてできるのである。

ハードディスク・オーディオ・レコーダが民生機となった時点で、ローランドのVSシリーズ(Digital Studio Workstation) を導入し、プライヴェート・スタジオでの制作に完全にシフトした。
音が悪いと言うリスナーもいたけれども、MP3にしてもなんにしても、平沢はツールとしてそれらを使うことに意義を見出していた。

Amigaのシーケンス・ソフトの Bars&Pipes は現在オープンソースのフリー・ソフトウェア BarsnPipes として配布されているが、自ら「フリー・ソフトウェアで作曲するプロ・ミュージシャン」と平沢は誇らしげに語る。
さすがに音源ソフトやDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)はプロ用を使っているが、素人で手が出ないというほどではない。
そして、プロ用機材や高いソフトウェアを使用する時、平沢は恥ずかしそうにする。

冒頭で掲げたインタヴュー記事で平沢進は自己分析して次のように語っている。

  • 音楽の「資本主義と相容れない性質」をある程度、体現できているということです。
  • 平沢は「管理された商品」に見える一方で「フリーウエア」にも見えるという矛盾。ここにそういう現象の芽があると思えますね。
  • そういう質感を持たなけりゃいけないんだよね、ミュージシャンは。

そうした「平沢進像」を作り上げているひとつの要因が、ここまで書き連ねてきた平沢進の態度である。
フリー・ソフトウェアやオープンソースといった概念は、90年代までは、空想的社会主義のような理想主義と見られていたはずだ。
しかしながら、現在では従来の資本主義的ビジネスモデルを根底からひっくり返すような革命を起こしてしまった。
もはや、パッケージ・ソフトを売るだけの商業形態は半ば崩れてしまっている。
これは音楽についても同じである。

MP3配信を始めた当初、平沢進は「昔ならたくさんの血が流れたような劇的な変化が、ネットのなかでは無血で静かに進行している」と語っていた。
そうした変化を音楽シーンに波及させてしまった一端を、平沢進は確実に担っている。

なお、文中ではわざと「フリー・ソフトウェア」と「フリーウェア」をごっちゃにして書いたが、本来は違うものです。

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