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2018年

ことしは起きようかな、と思う。
いや、ずっと寝てたつもりもないのだが。

ことしの目標などを年始に掲げる習慣はないのだけれども、目標がないわけではない。

2014年の自己内目標は「個人名義の仕事をする」というものだったが、結果として、平沢進25周年記念リマスタ再発シリーズ(Project Archetype)の仕事で、思うようなことができた。
2015年の自己内目標は「紙媒体への復帰」というものだったが、これもまた成就できた。
しかしながら、紙媒体へ復帰したおかげで、2016年、2017年は、目標もなく、ただただ働いた気がする。
旅行関係というまったく経験のないジャンルで、パンフレットだの広告だの販促物だのを作っていたのが、この年になって新しい世界を知るというのは、なかなかよい経験ではあった。
これまで地理的知識にはまったく欠けていたのだが、そこは少し補完できたかもしれない。
しかも「勤務」という形をとっているので、ふつうの会社経験がなかった自分にとっては、その点も新鮮ではあった。
ただ、やってることは、文章と写真をまとめて紙に印刷するという、30年以上続けてきたことに変わりはなく、仕事というより労働に近い気もする。

自分で文章を書く機会もめっきり減ってしまった。
ほんと、この2年は公私ともども異様に忙しかったというのもあり、いい意味での「余計なこと」がぜんぜんできなかった。

というわけで、控えめに言って、ことしは少し長い文章を書く機会をちょっとは作りたい。
中途半端に投げ出してしまった『音のみぞ』とトーク・イヴェントもなんとかしたい。

と、具体的プランがあるわけではないのだが、とりあえず言ってみて自分を追い詰めてみる。

2018/01/03

『音のみぞ』第2号発行遅れのお詫び

3月末に投稿募集を行い、たくさんの寄稿をいただいた『音のみぞ』第2号ですが、編集・制作作業がたいへん遅れております。
ご協力いただいた方々、読者の方々にはご迷惑をおかけして申し訳ございません。
現在、10月の発行を目標に作業を進めております。
もうしばしお待ちいただけるよう、よろしくお願いいたします。

『KON’S TONE II』編者あとがき

本書は、2010年8月24日に他界した今 敏の第2エッセイ集であり、2002年9月に上梓された書籍『KON’S TONE -「千年女優」への道』の続篇にあたる。
彼の存命中から企画はあったが、昨年の一周忌には回顧展の開催と画集の発売を優先させ、エッセイ集の制作は見送った。ただ、結果的には2年という時間を経てよかったと思っているし、この時間を経なければできなかった本でもある。

書名となった「KON’S TONE」とは彼のWebサイトの名前であり、第1エッセイ集には次のように記されている。

タイトルは「今 敏の口調(TONE)」に「石(STONE)」をかけたもの。化石が好きという理由もあるが、時間が堆積するほど「KON’S TONE」も長続きして欲しいというささやかな願いも込められている。

全体としてはサイト「KON’S TONE」上のブログ「NOTEBOOK」で2007年から2010年に書かれた文章を中心に、2010年の日誌を加えた構成になっている。2003年から2006年までの文章が含まれていないのは、単にこの間はサイトの更新がほとんどなかったためである。『千年女優』後の今 敏が非常に多忙になったことに加え、当時は自分でHTMLを書くというスタイルでサイトを運営しており、とてもじゃないが手が回らなかったのだ。2007年にサイトをリニューアルして更新が容易になってからは、今 敏の文章書きも再び活性化する。

前エッセイ集同様、収録する文章の選択や校閲、構成といった編集作業は高橋が行ったが、著者は他界してしまったので著者自身による校正や加筆訂正はできない。最終確認は、著者の相続人であり、本書の発行人でもある株式会社KON’STONE代表の今 京子さんが行った。
「NOTEBOOK SELECTION」各章は、次のようなテーマに沿って編纂している。

●NOTEBOOK SELECTION 1

作品や創作姿勢についての批評など「仕事寄り」なテキストをピックアップ。時期的には2007年と2008年が中心。
10年以上も専門学校や大学で授業をもっていたせいか、また監督という指導する立場にあったせいか、今 敏は後進へ向けた文章を意外なほど多く遺している。
厳しい表現が目につくが、ほとんどは自戒を込めた文章であり、創作活動を行っている者、行おうとしている者にとっては示唆に富む。

●NOTEBOOK SELECTION 2

正月や旅行といった私的なイヴェントの記録や日常生活についての雑感を集めた。時期的には2008年と2009年が中心。
理詰めで書かれた前章とは対照的な、ゆるく柔らかい表現で、彼らしいユーモアが溢れている。こうしたバランス感覚こそが今 敏ではないか。

●NOTEBOOK SELECTION 3

2010年7月から8月まで、病床でiPadを使ってタイピングした短文が中心。奇蹟的に危篤から生還したあとであり、当然のことどの文章も死を意識して書かれてはいるが、病気については公表していなかったため直截は触れられていない。
最後の「さようなら」は、8月9日の明け方にメイルで送られてきた文章で、死後に発表するよう頼まれた。癌告知後からの日記をベースに推敲を重ね、時間をかけて書き上げたらしい長文である。死期が延びれば改訂するつもりもあったようで、文頭には「08-09最新」と添え書きしてあった。
息を引き取った翌日に公開され、現在まで40万PV近いアクセスを記録している。

このエッセイ集には、こうした既発表原稿に加えて、彼の「日誌」を収録している。
読んでいただければわかるように、日誌とはいえ公開を前提として書かれたものであり、今 敏自身もなんらかの形で発表されることを望んでいた。末期癌と告知されたあと、彼にはブロクで発表する意志もあったのである。結局、制作中の映画『夢みる機械』への悪影響を慮って公表は控えたが、彼としては日常に出現したこの非日常を克明に記録し、時期が来たら公開したいとも考えていた。自サイトに「今 敏アーカイヴ」のようなコーナーを作り、未発表の文章や録音した語りなどをまとめるのはどうかと提案されたこともある。

そうした経緯もあり、わたしにとってこの日誌をひとつの形にして世に出すことは、彼に託された一種「義務的な遺産」であった。彼に課された宿題のようなものである。

また暑い季節が巡ってきて、2年前が思い起こされる。けれども、この夏が終われば、わたしにとっての長い夏休みもようやく終わるような気がしている。

2012年7月16日 高橋かしこ

KON'S TONE II

http://konstone.s-kon.net/modules/works/index.php?content_id=12


編集者としてのあとがきでは書かなかった個人的なあとがきはこちら。
http://moderoom.fascination.co.jp/modules/DayScanner/archives/category/aeui/omoi

『来なかった近未来』あとがきのあとがき その2

Limbo-54への道」のせいですっかり埋もれてしまったが、ちょっと前に表紙について書いた「あとがきのあとがき」その2である。

昨日は『来なかった近未来』の発売日。市場に流通しためでたい日ではあるが、さっそく脱字の指摘などを受け、ややうなだれ気味。
もちろん品質向上のためには指摘大歓迎で感謝しておりますし、直しやすいのが電子書籍のいいところ。修正版はリリースする予定。
とはいえ、いくらプロの校正を通しても、やっぱり誤字脱字などは出てきてしまい、あーとうなだれるのが編集者の常なのである。
などと責任転嫁&一般化してはいけないな。自分が無能なだけです。

ただ、電子書籍といっても修正はWebページほど簡単ではない。
『来なかった近未来』は組版ソフトのInDesignでデザインし、PDF出力したものを、Acrobatで編集(リンク張ったりとか)している。
デザイナーと編集者で同じソフトウェアを揃えておけば作業はスムーズで、誤記修正くらい編集者がささっとできてしまいそうなものである。
実際、原理的にはそうである。しかし、現実にはそうはいかない。フォントの問題がある。

フォントには著作権があり、商用フォントでは使用条件が厳しく定められているため、使用フォントをすべて揃えていなくては、文字修正すら思うようにいかないのである。
大きな出版社ではデザイナーとまったく同じ環境を編集側にも用意できるが、零細出版社やフリーの編集者ではそうもいかない(小さな出版社では編集部内でデザインするケースもよくあるが)。

代替フォントを使って修正することもできるが、変更箇所またはページ全体がほかとは異なるフォントになってしまい、えらくカッコ悪い。
よっぽど目立たない箇所ならまだしも、普通そういうことはできない。
あまっさえ、Acrobatでの編集は使用フォントがなければ改行すらできなかったりするし、C&Pくらい認めてほしいもんであるが、それもできない。
デザイナーと異なるOSで作業しているせいか「選択したフォントと文書のフォントエンコードの不一致を解決できなかった」などというエラー・メッセージが出てフォントの変更もできなかったりする。

じゃあなんでePubとかにしないでPDFにしたかっていうと、理由はここに書いてある通りで、2年前からそんなに状況は変わっていない。
もちろん、将来的に電子書籍はePubとHTML5が統合された仕様に落ち着くとは思し、個人史的にPDFは好きじゃないのだが、現状のePubでは仕様もヴューワも発展途上であり、独自の仕様を解釈できる独自ヴューワにするくらいだったら、PDFのほうがよい。

『来なかった近未来』は横書きだし、ルビ、数式、化学式、特殊な記号などもない。
ePubにする利点は、スマートフォンなど画面の小さなデヴァイスでの可変レイアウト表示くらいしかないが、それならPDFヴューワの「テキスト・ヴュー」モードでこと足りる(すべてのヴューワに備えている機能ではないが)。

また、現状では印刷前提の組版ソフトのほうがグラフィック・デザイナーにとって使いやすい。
ePubはむしろWebデザイナーの領分になるのかもしれないが、電子書籍のフォーマットとして普及するには、グラフィック・デザイナーが使いやすいePubエディタは必須だろう。もしくは、InDesignなどの組版ソフトのePub出力がもっと使えるものになってくれるとよいのだが。

特定デヴァイスに最適化したアプリ形式ならば、また違ったやり方になるだろうが、内容がマニアックだけに、デヴァイスで間口を絞るわけにもいかず、どんな環境でも読める汎用フォーマットが前提である。
異なる環境での読みやすさ、という点では、デザイナーの中井さんが骨を折ってくれた。
iPhoneクラス(3.5インチ/960x640px)以上の画面サイズと解像度ならば全ページ表示でも読めるはず。
ちなみに自分が使用している初代Desireは画面サイズ3.7インチだが、解像度が800x480pxしかないので全ページ表示じゃムリ。悔しい。

電子書籍は、音楽ファイルと同列に読書ファイルなどと呼ぶべきだとは前から思っている。
紙の本と電子書籍の違いは、CDと音楽ファイルとの違いのような「物理媒体の有無」よりむしろ、スピーカとヘッドフォンのような体験の違いのほうが大きい。音楽がラジカセで聴くのと大型スピーカで鳴らすのとでは違う体験なように、電子書籍もPCで読むのとスレイトやスマートフォンで読むのとでは違う体験だ。
紙の本も判型など仕様によって異なる体験を提供できるが、固定されているので、ユーザ側に選択の余地はない。

仕様の次に思案したのが価格設定である。
紙の本と違って材料費がかからない電子書籍の原価はほとんどが労務費(著者印税含む)と経費である。
紙の本のような計算では価格を算出しにくいのである。電子書籍の価格設定は、ゲーム業界やPCソフトウェア業界に近いのだろう。
また電子書籍は初版部数というものがないので、初版分の印税保証のような商慣習ともなじみにくい。
いまはある程度の印税保証をしている出版社のほうが多いのかもしれないが、紙の本よりも印税率が高いかわりに保証なし、というほうが「電子書籍的」ではあるとは思う。

などなど吟味しつつ、仕事量を勘案し、部数を読み、著者、編集者、デザイナーそれぞれの印税比率を決めたのであるが、1800円という値段は高価いいと思われるだろうなあという懸念はあった。
周囲やSNSなどで高価い高価いと言われたわけではないが、自分自身の感覚として電子書籍で2000円超えはないよな、というのがまずあった。
単価1800円というのは労働量からすると妥当かむしろ安価だとすら思うし、紙で同じ仕様の本を出すなら4000円くらいになってしまっただろう。
単純に比較はできないが、1993年に出た『AMIGAは最高!』(4C/8ページ, 1C/328ページ)なんて実際、3800円もしている。

ちなみに編輯作業を始めたのは10月で、本文の再構成や註釈を書くのにえらく時間がかかってしまった。写真点数も多いのでデザインにも時間がかかっている。
本文だけならもっと安くできただろうが、ただでさえまだ商品性を認められづらい電子書籍というメディアであるからして、できるだけヴォリューム感や附加価値をつけたかったのだが、大きなお世話だっただろうか。
将来的には本篇だけの「軽装版」があってもいいかもしれない。
構成を変えるなら、リクエストされるまで忘れていた「マンデルブロの森にテクノ有り」あたりを併録してもいいかも、などといまから思っている。

来なかった近未来

『来なかった近未来』あとがきのあとがき その1

もうじき発売になる平沢進のエッセイ集『来なかった近未来』の編輯をした。
これは編者あとがきに書かなかったどうでもよい舞台裏、あとがきのあとがきである。

AMIGAといえば、知っているひとは80年代のサブカルチャ的なものを想起するだろう。
『ウゴウゴルーガ』あたりのチープでポップなCGやDEMOのアンダーグラウンドな世界。
そうしたAMIGAに対する印象は間違ってはいないし『来なかった近未来』が連載されたFAMIGAも「ギークの女王」なんてフレイズを使っていた。

しかし『来なかった近未来』の単行本化ではそういう路線の装幀はやめようね、というのがデザイナーとの共通認識であった。
さらに言えば、これまでの平沢作品のジャケットからも外れたデザインがいいよね、というのも共通認識であった。

安直な譬えをするならば、あっさりとした純文学系書籍のような、もしくは女性誌のような(って幅ありすぎ)感じ。
結果としてそうなっているかどうかはともかくとして、要はダークだったりメカニカルだったり男性的だったり変態的だったりするのはやめようということである。
キッチュだったりスチームだったりサイバーだったりといった近未来SF的なデザインにするのはやめようということである。

じゃあこんなんはどうだろうと、デモ写真をデザイナーに見せたところ「なんだか“来なかった感”があっていいんじゃないですか」とのこと。
プロに頼むには過酷すぎる撮影条件だし予算もないので、結局、使用写真も自分で撮ることになったのであるが、作品ではなくあくまで素材なので芸術性は問わないでいただきたい。

12月末の夜明け前、デザイナーの遠隔ディレクションのもと、極寒(大袈裟)のなか高所恐怖に耐えながら、数日にわたって異なる天候条件のもといくつかのパターンで撮影。
被写体はA600という小型マシンなのだが、自分自身もさることながら、ビル最上階の舳先みたいなところに置かれたA600が地上45mから転げ落ちそうで不安であった。
目が眩み身体はびびりながらも撮影は決死の覚悟(だから大袈裟だって)でなんとか完遂。
にもかかわらず、デザイナーによって表紙に採用されたのはデモで撮った最初の写真。
ま、世のなかそんなもん。

実は表紙には裏コンセプトのようなものがあって、クラスター&イーノイーノ・メビウス・レデリウス『アフター・ザ・ヒート』そしてフリップ&イーノ『イヴニング・スター』のジャケットである。
単に画面が空と地上で2分割されてるとか、その真ん中にブツが映ってるとか、そういう程度ではあるが、ああいうひんやりとした孤独感が出せればいいなあと思ったのである。
思っただけで出せなかったけど(笑)。
そんなこんなで年末年始はイーノばっかり聴いていたのであった。

来なかった近未来

来なかった近未来

年頭のご報告。
平沢進のエッセイ『来なかった近未来』をPDF形式で単行本化します。

『来なかった近未来』は、1998年12月から2002年3月まで、いまは無きFAMIGA(ニフティサーブのAMIGAフォーラム)7番会議室に「x占拠x:平沢進の“来なかった近未来”」として連載された文章。
10年前からの平沢リスナーなら読んでいるかもしれないが、ニフティサーブといういわゆるパソコン通信のサーヴィス自体がなくなってしまったので、近年のリスナーは誰かが保存したテキストを「回し読み」させてもらうくらいしか目にする機会がなかったし、そもそもこの連載の存在すら知られていないかもしれない。

AMIGAというのは、1985年に発売されたマルチメディア・コンピュータで、平沢進はPVやCGの制作、インタラクティヴ・ライヴのオーサリングなどに使用してきた。発売元のコモドールは1994年に倒産してしまったけど、コミュニティがAMIGAを延命させ、恐ろしいことにことしも新しいモデルが発売予定だったりする。
連載の前半は「平沢進のAMIGA事始め」的な懐古譚が中心となっているが、AMIGAに関する専門的な話ではなく、誰でもげらげら笑い転げながら読めるようなエンタテインメントに徹している。いま読み返してみても充分に面白い。

編集作業は昨年10月に始めたのだけど、文章整理や素材蒐集に思いのほか手間がかかり、2か月以上も費やしてしまった。
すでに終わった連載に素材を揃えるもなにもないだろうと思われるかもしれないが、本文に加筆訂正リミックスが施されたほか、けっこうな分量のAMIGA解説がつく。AMIGAを知らないひとに向けた解説のつもりだったが、豊富な資料写真などはむしろAMIGAユーザのほうが楽しめるかもしれない。
まだ未確定要素もあるので、プレス・リリースとして発表できる段階ではないけれど、おおよその内容はこんな感じ。
各回のタイトルを見ただけでそそられる、かも。

【第1章 近未来のバッタ物】

■近未来のバッタ物
■その組は、電脳科学日本
■大型住宅用コンピューター
■グルよ、わたしはフィリピーナが恐い

【第2章 すすむくん がんばって】

■TRANSGENDER AMIGA
■すすむくん がんばって
■お願いだから1000にして
■ウソつきはAMIGAの始まり
■キミのボードに神の奇跡が降りますように

【第3章 存在してはいけません】

■アメリカ製マウスパッドの傾斜角
■存在してはいけません
■小鳥ちゃんJAZZの巨匠をつつきなさい
■アジアでAMIGA

【第4章 来るかも知れない近未来】

■インタラクティブ・ライブ準備レポート開始
■最後の奉公娘?
■8つの結末
■金属のイジメ方
■来るかも知れない近未来
■課題が見出されすぎるCG
■世界初!本番中にインストールする男?
■大阪前々日、深夜のエコカー暴走
■宙吊りのハードディスク
■シェーの恐怖

【第5章 グルよ、太陽系に連れてって】

■Solar AMIGAへの道 予告篇
■グルよ、太陽系に連れてって
■オニイサン、知りたいのは値段なんだ
■アラブを我が手に
■自殺するアクセサリー
■機械の中の田井中

【附録】

■[FAMIGA特別企画]平沢進さんとアミーガでQ&A
■平沢進 LONG INTERVIEW about AMIGA
■註釈/AMIGA用語解説
■CLASSIC AMIGA LINEUP
■平沢進/AMIGA 略年譜

発売元はケイオスユニオン、編集はファッシネイション、発売日は未定だけど、たぶん2月ころ。
詳細は決まり次第お知らせしますが、まだ確定情報ではないので、ケイオスユニオンへのお問い合わせはお控えください。

A2500

電子書籍と呼ばれない

電子書籍と呼ばれて」と書いたもののさっぱり電子書籍とは呼ばれない『改訂復刻DIGITAL版 音楽産業廃棄物』が10月16日に発売された。

通販がメインなのでダウンロード開始とか発送開始というのが正しいところだろうか。
パッケージ版は製版データ入りという衝撃の仕様なのだが、出版業界人でなければさほど衝撃は受けないと思われる。
いや出版業界人でもそんなに驚くことじゃないか、ほかに例がないってだけで。
これは電子書籍というものへの皮肉という意味合いもあったのだけど、ま、いい。

当初、DIGITAL版はダウンロード販売だけのつもりだったのだが、Shop Mecano 店主の中野さんが強く推奨するので、予約が500以上集まったらパッケージ版も作ることにした。
だってほら、パッケージもんって作るのも売るのもめんどくさいじゃん。
そうしたら、予約が500も集まっちゃったから大変。
予約開始前からコンテンツはほとんどできあがっていたので、中身に関してはよかったのだけど、問題は外側である。
より正確に言うならば外側をデザインするひとである。

もともとはパッケージ版を出すとしても、ブロードバンドが一般化する以前のLinuxみたいにダウンロードできないひとへの救援策くらいに思っていたので、単にDVD-Rに焼いただけのバルクDVDでいいんじゃないかと考えていたのだが、せっかくだからP-MODEL30周年/平沢進20周年の記念品的な意味合いも持たせて、手にして嬉しいものにしようじゃないかという考えにシフト。
そこで、おなじみイナガキキヨシ巨匠にお願いしたのであるが、クライアント泣かせで有名なのである、いろんな意味で。

メイルのログによると依頼をしたのは7月24日。
超意外なことに8月6日には第1案があがってきている。
それが、コレ。

カッコいいと思う。
思うが、うーん、店頭販売だけだったらまだしも、どうやって発送すんの?
袋に入れて、折れたり割れたりしないように箱に入れて……あ、それだとデザインのコンセプトとズレる?
そんなやりとりをしていろいろ検討したけれども、見積もりの結果、穴開け文字の「型代」だけで40万円くらいするとかで、価格が500円ほど上がってしまいそうなため、あっさり挫折。
せっかく「どこでもCDクリップ」みたいなのまで探してもらったんだけどね。

途中、USBメモリ案なども浮上するもやはりコストで断念。
ピザ・ケース案を経て8月23日に出てきたのがコレ。

う〜ん。
店頭でコレが並んでたら確かにオカシイ。
某監督も画像を見て軽く笑った。
でも、買ったひと、どう思うだろ。
パッケージを開けたあと、どうやって保管するのよ、発送の時にどうやって梱包するのよ。
などなど難点が多かったものの、とりあえずと見積もり依頼を出したところ、CDが入る大きさの食品トレイの手配がつかず、型から作るとコスト高になるというのでまたしても玉砕。
同時提出された通常のDVDケースを使用する案へと方向性は固まったのであった。

DVDのスリーブ(外箱)デザインにはこういうアイディアもあって迷ったのであるが、現行のものに決定。
このデザインだと版を重ねるごとにどんどん写真が入れ子になっていっておかしかったのだけど。
でもって、デザイン案があがってから実際に入稿データができるまで1か月を要したところが巨匠が巨匠たる所以であり、まったく気が抜けない。
最終ヴァージョンはコレ。

実はこのデザイン、質感を出すため、いったん出力したものをさらに撮影し、それを印刷用データにしたそうである。
裏には「ヘソ」も残っている。
さらに梱包用段ボール箱も作った。

限定1000枚で作ったパッケージ版は結果として、すでに700枚以上売れ、Mecano納品分も加えると800枚は捌けている。
対してダウンロード版は30程度。
ダウンロード版完敗。
これも中野店長の読み通りである。
中野店長にも完敗。
ここらへん真面目に分析すると面白そうなネタではある、しないけど。

そして、パッケージ版が好評なのは2か月を費やした装幀のおかげでもある。
パッケージ商品が減っていくご時世だからこそ、パッケージとしてのありがたみがないとパッケージで出す意味はない。
そういう当たり前のことを改めて感じた次第である。

新説P-MODEL史

本日発売の『キーボード・マガジン 2010年10月号 AUTUMN』の特集「アーティスト列伝 P-MODEL」を電子書籍よろしくPDFで読んでいる。
自分で言うのもなんだが面白い。
いや、自分で書いたところ以外が面白い。

メインであるP-MODEL歴代キーボード・プレーヤの取材記事は感心することしきり、発見も多い。
さすが四本淑三だ。
機材知ゼロ・楽器知ゼロのわたしでは「プレーヤの心ライター知らず」でこうはいかない。
というか、いままでこういう側面から捉えたP-MODELの包括的記事ってなかったのではないか。
キーボード・プレーヤを軸として機材面・サウンド面から見たP-MODEL史。
ほんと新しいP-MODEL像が見えてくるといっても過言ではない。

取材には同席させてもらったのだが、田中靖美というひとは音楽から離れていてもミュージシャン的かつノン・ミュージシャン的でめちゃくちゃカッコよかった。
同行した特集企画者・中井敏文(モノグラム)感涙。
よく似ていると言われる初期XTCと初期P-MODELだが、同じフレーズも同じ音色も使ったことはないそうで、似て聞こえるとすれば、バンドのアンサンブルのせいであろう、と。

國崎晋編集人が特別寄稿したコラム「跳ねる田中靖美」も名文だなあ。

詳細な解凍P-MODELのサウンド解説ってのも初めてじゃないかな。
ライヴはほとんどシークエンサ任せだとみんな思ってたはず(自分だけか?)だが、リアルタイムで処理していた部分も多かったという。
ヤスチカのキックが実は音は出ていなくてシークエンスのテンポを作るためのトリガーだったとか、驚き。
あの「キーボード要塞」は伊達ではなく、裏では信じられないほどキテレツなことをやっていたらしい。
あ、詳細は記事を読んでくださいね。
そういえば記事にはならなかったけど、80年代のことぶき光がいっつもライヴでガム噛んでたのは、緊張感を高めるための彼なりの工夫だったらしい。

中野泰博Mecano店長による全アルバム・レヴューもものすごい勢いで「P-MODEL早わかり」できちゃう力作。
スペースの都合で入れられなかったけど、廃盤となっている解凍P-MODELの2作は「ゴールデン☆ベスト」というカップリングで入手可能なので、ぜひMecanoで買おう。

話は前後するが、自分で書いたP-MODEL略史も、細かいことは忘れて短くまとめることで実は自分なりに発見があった。
これまで見えなかった骨格が見えたというか。
けど、あんまり書けることじゃないなあ。
要は『パースペクティヴ』でP-MODELはいったん終わってるってことなんだけど、わかるひとにはわかるよね。
掲載された文章自体はビギナー向けで新しい情報なんかないので、予備知識がある方は2ページとばしてください。
あ、その2ページにも写真は珍しいのもあるか。
ほかのページも含めて書籍『音楽産業廃棄物』には載っていないレア写真がけっこうあります。
よく見る写真にしてもやっぱり大きいと迫力が違うしね。

一応、ラストには平沢進のインタヴューもあって、例の煙に巻く名調子で楽しませてくれる。
いつも感心するのは、この記事によらず田中靖美と平沢進の発言というのは、申し合わせたように整合性がとれていること。
不思議に思って平沢進に質問してみたことがあるのだが「なぜ田中とはP-MODELを共有できたかがわかるでしょ」との答え。
P-MODELはノイズと誤用のバンドである、か。
最後の最後で14ページにわたる大特集を台無しにするような「オチ」までつけてくれてちゃってる。

キーボード・マガジン
キーボード・マガジン 2010年10月号 AUTUMN 2010.年9月10日発売 リットーミュージック

電子書籍と呼ばれて

5年前に改訂版を出した『音楽産業廃棄物』を再改訂してデータ版で復刊することにした。
世間的に言えば「電子書籍」というやつになるのだろうが恥ずかしいのでそうは呼ばない。

本題に入る前に「電子書籍」のおさらいをしておこう。
世間様の言うところの電子書籍をめぐる昨今の論議というのは、3つのレイヤがごちゃまぜになっていることが多い。

(1)コンテンツ
(2)デヴァイス
(3)流通販売

(1)は本の中身であるが、ヴューア(ソフトウェア)とそれに対応したファイルフォーマットと密接な関係にあり、標準化規格から独自規格までいろいろ。
(2)はKindleやNookなどの読書に最適化された専用デヴァイス、iPadなどスレイトPCと呼ばれる読書もできる汎用デヴァイス。
(3)はAmazon(Kindle), Barns & Noble(Nook), iBookstore(iPad)といったデヴァイスと紐付きのオンライン・ストアや実店舗のサーヴィスが中心だが、Googleのように世界中の書籍のデータベース化という特殊な野望もある。

この3つのレイヤはそれぞれ複雑に関連しあっているし、Kindleにいたっては読書専用デヴァイスを指すこともあれば、さまざまなプラットフォームに対応したソフトウェアを指す場合もあり、話がごっちゃになりやすいのは確かだ。
しかし、実はこれ、ほんとはどれをとっても新しい話ではない。
単に「役者が揃った」というだけである。
もちろん、携帯音楽プレーヤも音楽用ファイルフォーマットも90年代からあったにもかかわらず、一般に普及したのはAppleがiPodとiTunesをセットで送り出したから、という歴史的事実はあるし、書籍ヴューアや書籍ファイルフォーマットにも起爆剤は必要だろう。
それがいまなのかもしれない。
ただ、電子書籍が斜陽の日本の出版産業をさらに窮地に追い込むとか、逆になんとかしてくれる救世主だとか、そういう筋合いのものではない。

電子書籍とかいっても、トドのつまりはWebコンテンツをオフラインでの閲覧に最適化したうえでどう課金するか、という話になってくる。
いや、トドのつまり、というより、そもそもの出発、オボコことはじめがそうだったはずなのである。
にもかかわらず「電子書籍って動画や音楽も入れ込めるし、ほら、こーんなこともできちゃう。すごいでしょ」などという紹介がされたりする。
アホか。
あなたWebページを見たことないんですか。
情報誌の電子雑誌化に至っては意味不明だ。
いまある旅行・食・音楽・演劇などの情報サイト、チケット販売サイトの類はいったいなんだというのだ。

PCのWebブラウザでも、小説を読むことはできる。
しかし、PCのモニタは長時間見ていると目が疲れるし、ポータブルではないので「読書」には向かないうえに、紙と違ってWeb上の「情報」はなかなか金を取りにくい、さてどうするか。
そういう話だったはずだ。

実際、電子書籍のオープンな標準フォーマットである ePub も中身はXHTMLである。
個人的には将来 ePub は HTML5 と統合されていく可能性が高く、過渡期のフォーマットだと思っている。
逆にWebページも雑誌のレイアウト並みに縦書き・横書き混在の複雑なレイアウトが組めるように進化していくだろう。

紙媒体がデジタル化することで、音楽のようにメジャーとマイナー(インディーズ)の境界が希薄になって面白い動きが出てくる可能性は高いし、商売の方法も変わっていくだろうが、メジャー音楽産業がダメなままダメになっていったように、中身がダメなものはダメである。
有能な編集者はますます希少価値化し、会社に守られていたようなダメ編集者は消えていく。
などということを言うと我が身に翻って唇寒し。

あまりに前置きが長かった。
本題の書籍『音楽産業廃棄物』のデジタル化についてである。

電子書籍といっても既存の書籍のデジタル化と新しい書籍を企画する場合とでは、発想も方法も異なってくる。
テキスト主体であるのか、画像主体であるのか、テキストと画像の組み合わせが複雑か単純か、といった本の中身によっても作り方は異なってくる。
また、部数が多ければ各プラットフォーム版を作ることもできるだろうし、特殊な層に向けた内容であればiPad専用アプリケーションなどもあり得るだろう。

書籍『音楽産業廃棄物』の場合は読者の数が限られる本であるからして、PCからスレイト、スマートフォンなど多岐にわたるデヴァイスに向けた汎用の標準フォーマットにするしかない。
特定のプラットフォームに向けた独自フォーマットなど論外である。
内容的にはレイアウトが複雑で、写真と文章が入り組んでいるページが多く、縦書き・横書きも混在している。
こうした本をデジタル化に際して完全に組み直して可変レイアウトにすることも可能は可能だが、それには新しい本を作るのと同じくらい時間と労力、言い換えれば金がかかる。
部数が少ないということは予算が少ないということで、デジタル化にかけられる費用も限られてくるのため、それもあり得ない。
既存の印刷データがそのままデジタル化されることが望ましい。
そういうことで条件を絞っていくと、PDFしかないのが現状である。
英語であればePubでもできないこともないだろうが、日本語は縦書きすら標準化されていない。

というわけで『音楽産業廃棄物』は古式ゆかしきPDFフォーマットでデジタル化されることとなった。
というか、印刷データはもともとデジタルなのであり、デジアナ変換されているのが紙の本なのだ。
デジタル・データそのままデジタル出力しているに過ぎない。
初版が99年の本のためフォントやファイル形式が古く、印刷会社泣かせではあるが。

また初版本から『音楽産業廃棄物』には附録CD-ROMがついていて、そこに書籍本体を組み込むことも可能だというのもPDFにした理由のひとつである。
附録に本体を収録するとは本末転倒だが、それもまた時代的である。
考えてみれば、前回の改訂版も本来は紙ではなくこういう形でデジタル版で出す予定であったのだ。

ほんとは販売形式もダウンロードだけにして思い切り安くすればいいじゃないかと思っていたのだが、周囲にリサーチしたところ反対意見が多く、パッケージ版も作ることにした。
さらにパッケージ版には印刷用PDFデータも収録する。
印刷用PDFデータというのはトンボが入ったアレで、印刷会社へ持ち込めば私家版書籍を1冊作ることができるというものだ。
印刷費はオンデマンドでも1冊数万円はするだろうから、実際に印刷するひとはそういないとは思うが、個人使用の範囲を超えて複製されても困るし、印刷用データを売った例はあまりないのではないか。
こういうことを許可してくれるところが平沢進らしいところだ。
なんと画期的。

ただし、予約が集まらなければパッケージ版は出ませんので、みなさんよろしくお願いします。

http://moderoom.fascination.co.jp/modules/release/miwd.html

http://shop.fascination.co.jp/

pbook_1st
初版 音楽産業廃棄物
P-BOOK2
改訂復刻版 音楽産業廃棄物

春来たりなば夏遠からじ

なんてことはシェリーは書いていないわけだが、あっという間に3月も終わり、もうすぐ4月である。
このぶんではすぐに夏が来てしまいそうだ、イヤだけど。

庭では桃の花が満開だ。
桜と違って桃はなかなか散らず、寒の戻りもあってか、2週間ほど満開状態を維持している。
などと時候の挨拶ではなかった。

1980年代 全ドラマ・クロニクル

80's drama chronicle

学研
TV LIFE編集部/編
2009年3月31日発売
定価 4410円
B5判・368ページ
http://www.tvlife.jp/

10日ほど前までこのような本の編集作業に忙殺されておりました。
わたしはB5判で分厚くて高額な本の専門編集者なのだろうか(苦笑)。
この本は(あくまで予定だが)1990年代、2000年代も企画されていて、反応がよければ、またすぐに作業が始まる。

オフィシャル・サイトにはまだ情報が上がってないようだが、書店サイトを見ると、なんか値段が違ってるな。
ひょっとすると値下げしたのか値上げしたのか。

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/R0403952
http://www.bk1.jp/product/03089668

正確な情報や表紙写真など、またアップいたします。
1か月ぶり以上の更新ですが、今日はここまで。

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4/6追記
リンクと写真を追加。
価格は4410円(税込)で正しかったようで、上記販売サイトでも修正されていました。